ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

なぬかのせみ

2018-08-19 04:19:40 | 短歌





空蝉の いのちはちさき 玉なれど なぬかのせみの 世をしらすかな





*夏といえば蝉。今も外を蝉の声が今を盛りとばかりに鳴いています。たしかに、彼らはひと夏を支配しているかのようだ。蝉の喧騒のない夏など考えられない。いや、うるさすぎてかえって静寂ともとれる騒ぎです。

一匹の蝉は、手のひらに載るほど小さいのだが、それが木の梢のどこかにいて鳴いていると、木そのものが鳴いているようで、しばらく木を見上げて立ち尽くしてしまう。何を言いたいのだろう、と首をかしげてしまう。蝉の声は何かを言っているような気がする。羽化してから七日しかない命を、焦りに焦って生きている叫びのようにも聞こえるが、それは人間に、ぐうたらしていると何もせぬうちに死んでしまうよと、言っているのかもしれない。

今年の夏はことのほか暑いですね。地球温暖化の影響でしょう。地球環境は神がなんとかしてくださっているとはいえ、人間の影響は無視することはできない。焼き付くような暑さの中で、人間もそろそろ何かをせねばならぬと焦り始めるかもしれない。

冷房の効いた部屋でぼんやりしているだけではだめだ。時にしがみつくように、焦って何かをしなければ、何か大事なものを失ってしまう。そんな焦りを蝉の声は掻き立てます。しかし何をすればいいかというと、わからない。たいていの人は、焦りを感じつつも、凡庸の水に浸りこんで、これでいいんだと何かに言い訳をしながら、ひと夏をぼんやりと過ごしていくのです。

みんみんぜみを「見む見むせむ」と言ったのはたしかわたしが最初でしたね。いやすぴかだったかな。あまりに多産しているとわけがわからなくなる。最近は馬鹿の妨害で歌が不調ですが、それでもにじるような前進を続けています。今できることは、とにかく自分にできることをやることだ。これしかないということをやることだ。

人々のために最善のことができるようにと、神に祈りながら、わたしたちにできるすべてのことをやることだ。

そういう心でいると、蝉の声が優しく聞こえてきますよ。






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まことなる人

2018-08-18 04:17:59 | 短歌





すさみゆく 浮世の常を とほく見て ひたにすすまむ まことなる人





*世間の様子を見ていると、わたしたちがどんなに叫んでも、変わろうとしない人間の姿ばかりが目につきます。

偽物の自分を着て、いかにもよい人間だという感じにして、みんなに見せつけている。その正体が丸見えだということに、まったく気づいていないわけでもないのに、舞台を降りることができない。

芸能界などはもう腐りきっていますよ。かわいい顔をした女の子の正体がみんなに見えるのに、まだやっている。天使の真似をしている男や女がたくさんいる。それがみっともないなどというものではないのに、やめられない。

人間は自分がつらいのです。何にもしていない、何にもないのに、醜いからです。あまりにも自分を小さく感じている。それなのに、見栄えが通用しなくなった。見せかけだけの幸福が通用しなくなった。

本当の幸せは、まったく別のものなのだ。

本当の幸せとは何か。もちろん、本当の自分を生きることです。その本当の自分がどういうものかを、馬鹿はわかっていない。ただの馬鹿と思っているのです。自分は何もしていないから、いやなことばかりしている、とるにたらない馬鹿だと思っているのです。

だが真実はそうではない。解脱して本当の自分に帰る時、人はそれがどんなに美しく、いいものかを知るでしょう。あきれるほど美しい自由の翼が自分にあることを知る。その自由は何でも好き勝手にしていいということではないのだ。愛のためにすべてをやることができる自分の自由なのです。

理屈では説明できません。解脱して初めて、人間は本当の自分のすばらしさを知ることができる。

できるのです。わたしたちは、すばらしいのです。

愛のために愛で自分をやっているときの幸福はすばらしいものです。もうそれが人間にわかりかけてきている。

偽物の自分は捨てましょう。それは馬鹿だと思い込んでいた自分を隠すためのものだった。嘘ばかりついて、永遠に自分から逃げるためのものだった。それはあまりにも激しい苦しみだ。偽物でいる限り、永遠に終わらない。

もう人間はその苦しみを捨て、本当の自分に帰っていくのです。本当の人間は、その道を、まっすぐに行くでしょう。






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こひのふね

2018-08-17 04:19:10 | 短歌






かなしきは みなとをしらぬ こひのふね 櫂をかへして 夢にかへらむ





*恋に溺れる者は、港を知らない船のようだ、という歌ですね。どこにもいきつくところがない。永遠にさまよっているしかない。そういう恋の道など早くにあきらめてしまったほうがいいということです。

あなたがたが、好きと思うてもかなえられないのは、愛を馬鹿にしてきたツケというものです。セックスがしたいのなら、暴力で奪えばいい、などということを考えて、そんなことばかりやってきたからです。

法則的現象として、暴力でセックスを奪うと、セックスがしたくてもどうしてもできない、ということになって帰ってくることが多いのです。

好きな女性ができて、セックスがしたくてたまらないのに、どうしてもできない。それでいろいろとあがいているうちに、馬鹿なことを繰り返し、恐ろしい闇に落ちてしまう。そういうことになる人が多いのです。

因果の法則は厳しい。人間はセックスに関してあまりにひどいことをしすぎているので、それがとてつもない現象になって帰ってきたのです。

かのじょを落とそうとした男が何人いたでしょう。女を馬鹿にして、金でてなずけられる馬鹿にして、なんとか手にいれようとしたが、そんなことにひっかかるような人ではなかった。あらゆる手を使って、狂ったように何度も同じことを繰り返して、やってやれないことはないとがんばったが、とうとう最後までかなわずに、かのじょに死なれてしまった。

結局、なんにもならなかった。それどころか、人類の救済を大幅に崩してしまった罪が発生し、それを永遠をかけて支払っていかねばならないことになった。かのじょが人類の救済を目的に生まれてきていた天使だったからです。

ひどいことですね。性欲に狂った猿と言われても返すことができない。

だがこれは覚えておきましょう。暴力でセックスを奪うなどということをすると、セックスがしたくてもどうしてもできないという法則上の結果を引き寄せるのです。そしてそれに延々と苦しみ、地獄のようにのたうつのです。






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恋のたかどの

2018-08-16 04:18:48 | 短歌





澄みのぼる しろき月夜の 高くして たててとどかぬ 恋のたかどの





*なんだかバベルの塔などを思い出す歌ですが。

ご存知の通り、かのじょにはいくらもストーカーめいた馬鹿がつきまとい、何とかして手に入れようといろいろと策を弄していましたが、思いを遂げられた人は誰もいませんでした。

それはもう、美女ひとりを手に入れるために、高殿を建てるなんてことをした人もいたようですがね、結局は馬鹿になっただけだった。

かのじょは、手に触れられそうなほど近くにいて、今にも落ちそうなほど貧乏な暮らしをしていましたから、馬鹿な人たちは簡単に手に入れられると思ってあらゆることをしたのです。が、何にもならなかった。まるで逃げ水のように、追いかければ追いかけるほど遠ざかる。なぜそんなことになるのか。

それはかのじょの心が、まさに澄みのぼる月のように高いところにいたからです。

掃除夫の妻としてつましく暮らしながら、心は偉大なことを考えていた。国を救い、人類を救うためにはどうしたらいいかと。汚い罵倒を陰から浴びながら、心はいつも清らかな神の世界にいた。

偉大なことをなせる魂には、いつも神の加護があるのです。

人間は何も知らなかった。神が存在することすら疑い、馬鹿にしていた。目に見えないものになど何の力もないと思い込んでいた。だが本当は、目に見えない力のほうが恐ろしいのです。

馬鹿どもが陰からしたことは、ずるいことをして女性をかっさらい、みんなで好きなようにできる女にするということでした。しかしそれがかなったことはありませんでしたね。きつい例外もすぐにだめになった。見えない世界が彼女たちを守っていたからです。

へまをやったなどというレベルではない。彼らはこれから、永遠に馬鹿のしるしをつけられて、馬鹿にされるのです。未来永劫、伝説は語り継がれていく。天使を盗もうとして、高殿を何本も建てるような馬鹿をして、すべてが馬鹿になった馬鹿として、全人類に、あほうといわれるのです。

かのじょをそういう女にしようとしたからです。






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いつはりの玉

2018-08-15 04:19:59 | 短歌





いつはりの 玉を噛みては 真鍮の 勲章を編む 世のましらかな





*今日は一年前のツイートから持ってきました。最近の歌が、脳みそをしばられているかのように、表現力が小さいのでね、どうしても一年前に目が行ってしまいます。

今わたしたちは、馬鹿の霊の妨害によって、かなり活動が苦しくなっているのです。なぜ馬鹿が妨害をするかというと、自分たちの活動がとうとう大きな袋小路にぶつかり、破壊的な結末が見えてきたからです。

うそばかりついては偽物の勲章を作る世の中の猿であることよ。

世間にはいろいろと脚光を浴びている人がいますがね、それらのほとんどは嘘です。嘘で作った自分を着込み、嘘で作った技能を見せびらかし、嘘ばかりの栄光を浴び、悦に入っている猿のような人間ばかりが目立つ。テレビを見ると、猿山の風景を見ているような感がありますよ。性欲がむき出しという感じの男が、実に紳士的な服を着ている。猿がスーツを着ているように見える。

ところがそんな嘘の世界が、根底から崩れてきつつある。人間誰もが、その嘘を見抜くことができるようになったからです。

表向き人間は何にも変わらないように見えているが、根底で激しい変化が起こっています。それが証拠に、馬鹿どものわたしたちへの妨害がきつくなっている。わたしたちがこの人類世界における天然革命というべき活動をトップから指導しているからです。

もう猿の時代は終わりだ。人間が嘘にだまされなくなり、性欲に踊らされなくなったら、馬鹿にはもう何するすべもないのです。すべては、人間がまだ若く、性欲に抗しきれず、嘘に簡単にだまされる段階だったからこそありえたことだったからです。

馬鹿はそれがつらくて、今もわたしたちの活動を、きつい方法で妨害しています。わたしたちは苦しいがなんとかやっている。こんなことは今までにもありましたから。

そろそろ、嘘の時代は終わりますね。今から、何らかの準備はしておいたほうがいいでしょう。本当の時代が来た時に、困ったことにならないように。






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おのれになきもの

2018-08-14 04:20:18 | 短歌





夢にまで かけておのれに なきものと なりしをみなの あはれなるかな





*馬鹿な女というものは、痛い勉強ができていないものですから、自分以外の美人を見ると、つい夢中になって、すぐその真似をしてしまいます。

それは愚かなことだといっても聞きはしない。ほかの美人の真似をすれば、簡単に美人になれるものですから、長い年月をそればかりでやってきてしまったのです。

人の顔を盗み、いろいろなものを盗み、まるで自分とは違うものになってしまう。それがどんなに本当の自分を痛めつけるかということがわかっていない。

女の甘さと言いましょうか。つらいときはだれかがなんとかしてくれるものと思って、自分の努力というものを怠るものが多い。その自分の努力というものが、自分を美しくするものなのだが。そのような正しい道を行って自分が美しくなった女性がいれば、みんなで嫉妬して、つぶして、殺そうとしてしまう。

馬鹿な女というものは、昔からそういうことばかりしてきたのです。大勢に紛れて、逃げることはできない自分から逃げて、ほかの美人をみんなでいじめ、その美人が死んだあとに、みなで一斉にその真似をするということばかりやってきたのです。世の中に、似たようなタイプの美人がたくさんいるのはそのため。馬鹿女がモデルになった美人の真似をみんなでやっているからなのです。

本当の自分は、いやなことばかりをしてきてとてもきつい感じになっている。醜いというより、バカみたいな感じになってしまっている。それが本当の姿だというものを見るのが嫌で、彼女らはずっと、他人の顔ばかりかぶってきたのです。何もしてこなかった。やってきたことはといえば、ほかの美人の悪口をいうことくらいなのです。なんでもかんでもいいものは他人から盗んで得てきた。自分の努力で得たものは少ない。

そういう怠けブスともいえる馬鹿女は、この時代で全部落とされます。残念ながらもう二度とこの世界に生まれてくることはできない。人類世界とは別の世界にいき、そこで一から修業をやり直すのです。

勉強をしなければ美しくはなれないのだということを、馬鹿女はそこでいやというほど、教え込まれるのです。






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星もなき夜

2018-08-13 04:17:48 | 短歌





いはのごと かたきねぶりに 月はすみ 星もなき夜に ひとりをおもふ





*かのじょは眠っています。神の愛に包まれて、岩のように動かず眠っている。

霊魂がこういうことになるのは、あまりにひどい目にあいすぎたからだ。かのじょはだれにも理解されず、ひとりで地球を背負い、救済をやらざるを得なかった。たったひとりで、全人類の運命を背負わざるを得なかった。

それなのに、人類がかのじょにやったことはひどすぎた。

苦いことですが、これからもこれは何度も言われるでしょう。この現実があまりにすさまじいので、あなたがたはいまだにはっきりと現実をみとめたがらない。人類を救ってくれた天使を、嫉妬に狂い、セックスのえさにしようとして、動物のように低級なことをやりまくったことなど、ないことにしてしまいたいほど、つらいのだ。

人間は自分というものがつらすぎたのです。えらいことなどできないのに美しくない自分がつらかったのです。ずるい方法で自分を美しくしても、なにかいやなものが自分につきまとう。自分はいやらしいことばかりする。それなのにかのじょは何も悪いことをしない。それだけで自分が馬鹿になる。それがいやで、まるごと否定して、消してしまった。

そういう人類の現実に気づきながらも、天使はやらざるを得ない。たったひとりで、かのじょは人類の大矛盾と戦ったのです。それで倒れた。永遠に言われ続けるでしょう。人類は、人類の救済という大転換の時代に、天使ひとりにすべてをやらせて、自分は何もやらなかったのだと。

今も事態はさほど変わらない。ほとんどのことはわたしたちがやっている。人類はついてくるだけです。しかも表向き何の反応も示さない。無視を続けている。わかってはいますがね、わたしたちも苦しいですよ。いつまでも、人類は自分を守るためだけにしか動かないのかと思うとね。

この存在は、大勢の霊魂が動かしていますが、この世の現実的には、たったひとりです。ひとりで、いつまで戦わねばならないのか。思うと、星もない真っ暗な空を見上げるような気持になる。

あなたがたは、それだけ大勢いて、いつまでこのひとりに頼っているつもりなのですか。






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あさはかさ

2018-08-12 04:18:46 | 短歌





ひとまねは 馬鹿な女の あさはかさ すればするほど 自分が消える





*勉強のできていない女性というものは、ほかに美しい女性を見ると、自分を忘れて飛びつくようにその美を欲しいと思うらしい。

自分がそれほど美しくないのがつらくてしょうがないのです。ですから目立った美人を見ると、その自分を忘れて、ほかのひとになりたいという勢いで、全力を傾けてその人の真似をしてしまうのです。

その愚かさがまるでわかっていないのが、勉強ができていないということだ。

自分らしい自分というものは、それぞれみな違うものだ。自分には人にはない美しさがある。ほんとうに美しくなりたいと思えば、人まねなんかに凝らず、自分の顔が教えてくれる自分の修業をまじめにやっていくことが正しいのです。

美しくはない形を通して、人に尽くす修業をしていくことが大事なのです。その過程において、人の心を理解することができ、自分が何をすれば人を喜ばすことができるかがわかってくる。

本当に美しくなりたいのなら、美しいことをしていかねばなりません。しかし、人まねをして人の美を盗んで自分をきれいにするということは、美しいことではありません。自分は何の努力もせず、ただでかんたんにきれいになりたいという、ずるい心なのです。そんなことばかりしている女性が美しくなれるはずはない。盗んだ顔で隠した本当の顔は、どんどんおかしくなっていく。

特徴の薄い、バカみたいな顔になっていくのです。自分としては何もしないからです。何も努力しないからです。そして人真似ばかりすることによって、本当の自分よりも他人のほうがいいということにしてしまうからです。

昔から、馬鹿な女性は、美人を見ると大勢でいじめて、その人が死んでから一斉にみんなで真似をするということを続けてきました。そればかりでやってきて、この時代、とうとう天使の美女というのに出会い、またそれをやってしまった。

その結果が恐ろしいことになった。全員が同じ顔、同じ性格の妖怪になり、人間ではないものに落ちてしまった。

神はお厳しい。人まねばかりしてきて、自分の勉強を怠ってきた馬鹿女は、この時代で、天使の美女に一斉につまずいて、全部が人間を落ちるのです。






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あをにび

2018-08-11 04:18:03 | 短歌





あをにびの さうびの色は われになき われをはてなき 夢に見る夢





*青い薔薇は不可能の象徴です。

薔薇というのは自己存在の真実を表す花だ。それは環境ではない。すべてを受け入れる青という色は環境の色だ。それゆえに青は薔薇の存在意義に適わないのです。薔薇は受け入れるというより自分を押し出していくものだ。

命の広がりの象徴だ。だから、愛の下で潮の流れに身をまかせて自分をひいていくようなことはその本質に合わない。しかし青という色は、すべてを愛に吸い込んでいく。要するに、薔薇と青という色は根本で、矛盾するのです。

甘い塩などないように、青い薔薇も存在しない。どこかの人がバイオテクノロジーで作ったことがあるそうですがね、それも青というよりは紫色だった。やはり、青い薔薇を作ることなど不可能なのです。

しかし言葉の上では青い薔薇という形をつくることはできます。それが醸し出す観念の中に、自分ではない自分という意味を生じさせることはできる。

人間は、自分ではない自分になりたがって、あらゆる愚かなことをしてきた。自分など全然だめなものだと思い込んで、勉強もせず、他人からいいものを盗んで勝手に自分を作り変え、本気で自分以外のものになろうとしてきた。

自分が自分以外のものになることなど、事実上不可能なことですから、そのことを青い薔薇に擬していうことはできるのです。

青鈍色の薔薇は、自分ではない自分を、はてもない夢の中に見る夢だ。その夢は決してかないはしない。

自分以外のものになろうとしている限り、人は人から奪うことをやめられない。人は人から奪ったものを自分にくっつけて、自分を変えようとするからです。青い色をすみれから奪って、青い薔薇になろうとするようなものだ。そして奪いあい傷つけあい、人はどんどん奈落に沈んでいく。

薔薇が青くなったからと言って、幸せかどうかは、薔薇に聞いてみればわかる。自分を著しく剋す青い色になったとき、薔薇は自分というものをすべて馬鹿にしてしまうのです。






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月のゑまひ

2018-08-10 04:18:44 | 短歌





いとけなき 月のゑまひを かくれ見て かくなりたきと おもふ罪かな





*ツイッターなどで、大火が何度もかのじょの真似をするなと叫んでいるにかかわらず、いまのところ馬鹿な女性たちのかのじょの真似はやみそうもありません。

きれいになりたいのなら、人の真似をして人の美貌を盗むより、自分の勉強をしたほうが正しいのだが、馬鹿というのは何でも簡単にやりたがるものなのだ。

ひとの美人を見れば、簡単にその真似をして美しくなろうとする。しかしそれは、どうやさしく考えても、窃盗行為というものですよ。

なんの努力もせずに美しくなろうとする心が醜い。盗んだ美貌で隠した本当の自分がどんどんみじめなものになっていくだけなのです。

かのじょがなぜあれほど美しいかというと、それはもう長い年月、人類のために愛で尽くしてきたからなのです。命も魂も削るような人生を何度も生き、苦労に苦労を重ねて人類を救いに導いてきたからです。

そういう深くも高い徳分を積んでいる人の顔を、簡単にまねすれば、自分の徳分が一気にすり減るのです。それで見事に人類を落ちてしまう。悪いことらしい悪いことなどやっていなくとも、簡単に天使の美貌を盗むだけで人類を落ちるのです。これは本当です。

いかに勉強不足といえども、なんとなく感じでわかるはずだ。かのじょの真似をしたとたんに、周りが厳しくなるでしょう。愛が一気に減るでしょう。馬鹿なことをした人間だというしるしが自分に深く刻まれるのです。

あまり詳しく掘り下げるのはここではやめましょう。人類を落ちるということがどういうことか、それは本人が経験していくことだからです。

とにかく、もうかのじょの美を盗むようなことはしてはいけません。もうしてしまった人はともかく、これからの人は決してやってはなりません。首の後ろで一つに結ぶ髪型はやめなさい。たったそれだけのことで、人類を落ちる可能性があるからです。

人間はいやなことをやりすぎたのです。人の美貌を真似する女というものは、自分よりきれいな女をみんなでいじめてしまうものだ。それが大変なことになっているのです。そういう女はすべて神に落とされるのです。

全部ではないが、この時代で、人類を落ちる女性はそれはたくさん出ることでしょう。






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