ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

祈りの丘に

2023-10-25 04:28:57 | 短歌





アッラーと ヤハエの水に 血は混じり 祈りの丘に 閃光が立つ




*今、イスラエルとハマスの間に、苦しい紛争が起きています。そのことに関し、大火がいくつも秀逸な歌を詠んでくれるので、今回はその一つを取り上げました。

でもこれは、下手な解説をするより、そのまま読んでもらって、イメージを飲み込んでもらうほうが良いような一筋ですね。

神の名を並べ、その神の恵みである水に血は混じり、人々が祈る丘に、爆発の閃光が立つ。

苦しい情景が目に浮かびます。

ネットやテレビのニュースで、惨い風景を見るたびに、胸が締め付けられる思いがします。戦争はいけない。殺し合いはいけない。

人間の愚かな所業を見て、空から神が引き始めている。

アッラーでもない、ヤハエでもない、真実の神が、国を見捨てようとしている。

何もいない空の下で、繰り広げられる人間の悲劇。しかし誰も助けようとしていないわけではない。

人間が人間を助けるために、行動を起こしている。

どうか、その人間の努力が実り、この紛争が早期に終わることを願います。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふたつなき

2023-10-18 04:33:02 | 短歌





ふたつなき われといふ身の 喜びを 虚空に開く 自由の翼




*これは先々週くらいに詠んだものですか。今週は、大火が傑作を何首か詠んでくれたのですがね、時事問題は難しいので、今回はこれを取り上げました。

自分というものは、みんな同じで、みんな違う。みんな、自分というものなのだが、自分のほかに、自分と同じような自分は、誰もいない。このすばらしい個性を持った自分を発見するとき、人はしびれるような魂の幸福を発見します。

なんと自分はすばらしいものなのか。こんなやつほかにだれもいない。自分だけの自分なのだ。

この自分、すべてそろっている。手足がある、頭がある、感じる心がある。これをやりたい。自分をやりたい。自分がどんなやつなのか、どんなことができるのか、すべてをやっていきたい。なんという幸福なのか。

その爆発的な喜びの中で、人間は魂の自由を発見するのです。自分は何でもやることができる。しかし、愛以外のことは何もできない。そんな自分の美しさがたまらなくうれしい。

存在すること自体が、この上ない幸福なのだ。

人類はようやくそのことに気づいた。これからすべてが始まる。この魂の喜びを、すべての人類に伝えてゆくために、すべてをやり始める。

自由の翼とは、愛の空を自由に飛んで行ける、人間の魂の喜びの表現です。自分は何をするのも自由なのだ。だからこそ自分は愛を行ってゆく。すべての幸福のために、このすばらしい自分を投げ込み、すべてをやってゆく。

この魂の幸福を知らないのは、あまりにもつらいことですよ。失うものが惜しくて解脱から逃げる人間はたくさんいますが。

勇気を振り起して、解脱に飛び込んでいきなさい。そうすれば自由の翼が開く。自分が、愛の空を自由に飛んでいける、すばらしい存在であることに、気づくのです。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

つかれはて

2023-10-11 04:35:13 | 短歌





つかれはて これよりいけぬ 壁を見て たふれむまでは まことをなさむ




*これは6年前に仲間が詠んでくれたものです。わたしたちが絶好調でツイッターで暴れまわっていたころの作ですね。今のぎくしゃくした固い作品と比べると、言葉がのびやかで気持ちいい。今週はいくつか詠めたのですが、ツイログで過去作を眺めていて、これが目にとまり、取り上げました。

これを読むと、かのじょを思い出します。人間の無明の時代の、すさまじい逆風に耐えながら、一筋のまことの道を生きていた。人類の救済の夢を抱いて、神に従い、まっすぐに生きていた。

そして、人類の救済のために、最初の大きな一手を打ってくれて、それをなし終えたあと、疲れ果てて倒れた。

かのじょがもたらした救いは、すばらしい自分自身というものでした。自分とはすばらしいものなのだ。愛で、すばらしいことをやってゆくことができる。美しい言葉を連ねた、一巻の日記を発表することで、かのじょは人類にすばらしい真実を教えたのです。

しかし無明の時代の人間の迷いにはすさまじいものがありました。かのじょが美しい女性であったがため、性欲と嫉妬にまみれた愚かな人間たちが、一斉にかのじょを馬鹿にしたのです。

乱れに乱れた無明の闇の世界に、ただひとつの愛の真実を投げた。それに対する人間世界からの反動は、あまりにもきつかった。かのじょは耐えて、生き抜こうとしてくれましたが、限界を超えすぎて、とうとう倒れた。

もう10年も前のことです。あれから時が経って、人間もだんだんわかってきた。解脱者が増え、すばらしい自分自身のすばらしい幸福が広がってきている。人間が愛に目覚め、すべてをやり始めている。それもこれも、かのじょがあの最初の一手を打ってくれたからこそ、あるのです。

人間が何もわからなかったその時代を、孤独と無理解の暴風に耐えながら、倒れるまでまことを通してくれたかのじょに、わたしたちは深く感謝しています。かのじょがやってくれたからこそ、今のわたしたちの活動がある。

人類の救いの道が、新たな愛の時代が、開けたのです。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いやなこと

2023-10-04 04:27:52 | 短歌





いやなこと してる自分が つらいから ほかのきれいな 人になりたい




*大火節です。今週はわたしもいくつか詠んでいるのですがね、大火のこのパンチにはかなわないと思って、これを取り上げました。

人間は、自分以外のものにはなれないというのが、当然の理なんですが、馬鹿者はそこを平気で飛び越えようとします。自分なんていやらしいことばかりするいやなやつだから、そこをまるごと取り替えて、違う自分になりたいと思う。そうすれば、汚いことばかりする自分が全部変わって、きれいな自分になれると思っているのか。

それは無理な話ですよ。人の皮を盗んでかぶって、他の自分になろうとしても、本当の自分が変わるわけがない。余計に罪が重なって、また自分が汚くなるだけです。わかっているはずなのに、馬鹿はそれをやめない。どうしても自分が嫌なのです。あっちのきれいな人になりたい。あっちのほうがきれいだから、あの人になりたい。それでまた嫌なことをし重ねて、また自分が嫌になる。

これを矛盾の回転地獄というのですがね、馬鹿者は自分から逃げている限り、その地獄に苦しみ続けるのです。

自分以外の人になりたいということは、自分の責任から逃げることです。今までなしてきた数多くの罪から、逃げることなのです。馬鹿者は自分が美人になっていい目を見るために、人からいいものをたくさん盗んできた。その罪の反動が来るのを恐れて、自分をまるっきり変えて、ほかの、何にも悪いことをしてないきれいな人になりたいと思う。そうすれば罪の反動から逃げられると思うのか。

そんなずるいことばかり考えているから、馬鹿になるのですよ。自分がどんどん嫌なものになる。それが苦しくてまた逃げる。また盗む。永遠の矛盾の回転。

その苦しみから自分を解放するには、馬鹿なことをやめて、すっきりと本当の自分を受け入れるしかないのです。逃げることはできない自分の、罪も影もすべてを認め、正直な自分の姿に戻り、すべてをやり直していくしかない。そうすれば救われるのだが。

馬鹿者はそうすれば自分が醜くなるからと、やりたがらない。嘘でも美人のほうがいいからと、また迷い続ける。そしてとうとう馬鹿になりきる。

最後にわたしの作品もあげておきましょう。


われを捨て あれになりたや そこもなき まよひの沼に しづみてぞ果つ





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする