はかなきと 身をな語りそ しじみてふ 夢詩香
*わたしは、蝶々という生き物は、神の愛の証ではないかと考えます。
蝶は、その生き方そのものが、まるで魂の進化の直喩であるかのようなすがたをしているからです。
卵から芋虫へ、芋虫からさなぎへ、さなぎから蝶へ。
その変容の様は、みごとに人間の魂の進化に歩調を合わせている。
人間が自分の魂の進化を感じるとき、まるで蝶が羽化するかのようだと、表現することができる。蝶という生き物がいるからこそ、人間は魂の成長の姿を深く知ることができるのです。
まさしく蝶々は、神が人間に魂の進化の道筋を教えるために創られたのだとしか、思えないのです。
はるかな昔から、蝶はその生き方を繰り返してきた。神の言うとおりの生を素直に生きてきた。
その生きざまを見せることで、神は人間に魂の成長の仕方を教えるのです。
それが蝶という生き物の一つの使命であり、あらゆる魂への神の愛の証なのではないか。
たかがはかない虫だと、自分を語ってはいけない、シジミチョウよ。あなたは神が創った自分を素直に生きることで、すべての魂のためにとても大事なことを教えているのだから。