ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

美しき

2023-12-06 04:36:29 | 雑句




美しき 愛ですべてを やってゆく 人よこの世に 楽土を建てよ




*今週はこれ1首しか詠めませんでした。馬鹿の妨害は収まるどころかだんだんひどくなってきています。感性の中枢にふたをされて、インスピレーションが全くわきません。思考の幅もせまくなり、言葉が思い浮かんでこない。苦しいですね。

表題の作もあまりいいものではないのですが、これしかないのであげましょう。

解脱を経験し、自分に目覚めた人は、自分自身が愛であることを発見し、愛で、すべての幸福のために、あらゆることをやってゆく、すばらしい人になります。その現象は、例外なくどんな人にも現れます。たとえその人が、みっともないほどひどい罪を犯した人でも、ひとたび解脱すれば、みんな素晴らしい人になるのです。

それはなぜか。人間はもともと、みなすばらしいものだからです。神は人間を、すばらしく良いものに創ってくださったのです。その真実に気づくだけで、人間はすばらしいものになるのです。

自分自身の本当の美しさに気づいたとき、人はその自分を使って、すべてをやってゆきたくなります。みんなの幸福のために、自分を投げて働きたくなります。そんな美しい自分であることが、まことに幸福なのです。

そのように、すべての人が解脱すれば、みなが幸福になり、この世にすばらしい天国が成立する。そこを目指して、すばらしい働きをなせというのが、表題の作です。

何だか何も工夫がなく、泥のついた大根を引き抜いてそのままどんと出したような作ですが、言いたいことは言えていますね。

来週はどうなるか。少しは事態が改善しているといいのですが。




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粗さがし

2017-11-10 04:24:35 | 雑句





粗さがし せねば保てぬ 人の見栄     夢詩香





*たまには俳句もやりませんと。一応このブログは、最初俳句がメインでしたからね。

いつからか、短歌ばかりをやるようになってしまいました。やはり17文字では語れることが少なすぎる感があるのです。しかし、やってみれば面白い。短詩を繰るというよりは、人に痛いことを言うって時に、俳句は効くような気がしますね。

馬鹿ばかりやっている馬鹿に、痛烈な一言を言ってやりたいなんて気分の時に、俳句を詠むといいのができるような気がします。

表題の句は季語がありませんから俳句とは言えないかもしれませんが。別に無理して季節を読み込むことはないと思いますよ。歳時記にも面白い言葉があるので捨てがたいのだが。もっと自由に面白くやってみたい気がしますね。

まあとにかく。表題の句は解説せずともすぐにわかるでしょう。よくこういう人がいます。人のあらばかり探している人。文句ばかり言っている人。

身近にもいますがね。口を開けばいつも人を馬鹿にしている。あんたまた太ったんじゃないのとか、食器の洗い方がまずいとか、靴の並べ方がおかしいとか。よくそういうことにいちいち気が付くものだというところをついて、人を馬鹿にするのです。

そういう人に限って、夜テレビをつけっぱなしにして寝ていたり、朝から酒を飲んでいたりするのだが。

人にそういうところをつかれると、それを正当化するために変な理屈をこねたりする。すべて自分が正しいわけではないのに、そういうことにしたいようだ。

自分がつらいのだ。ほんとは人様ほど勉強ができていないことを、自分で知っているのです。それならば自分も勉強すればいいのに、それをせず、人を馬鹿にして自分が勝とうとする。

こういう人は、年をとってくると、誰にも相手にされなくなります。近所にもいませんか、こういう人。姿を見るだけで、逃げるでしょう。つかまったらまた嫌なことを言われますから。

人を馬鹿にしてばかりいると、誰にも相手にされなくなるということを、もうわからなくてはいけませんね。人間、今までそういうことばかりしてきましたが。

この時代、とうとうそれをやりすぎた人が、どういうことになってしまったか、見てしまった。

そろそろ、やめませんと。






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ほととぎす

2017-07-18 04:19:56 | 雑句





ほととぎす 下手に歌へば とほほぎす      夢詩香






*歌ばかりでは何なので、俳句にしようと思ったのですが、こんなのができてしまいました。川柳という言葉は好きではないので、雑句に入れましょう。川に柳では弱すぎる。17文字の句というものは、もっと痛いものですよ。

これは、正岡子規を皮肉った句です。子規はもちろんほととぎすのことですね。子規は現代では大きく評価されていますが、わたしは評価しません。彼の歌は、はっきり言って偽物です。大方は他人が詠んだものを霊的技術で盗んでいる。自分で詠んだものもあるが、それもどこか素人っぽい。




久方の アメリカ人の はじめにし ベースボールは 見れど飽かぬかも     子規




けっこう有名な歌ですが、平明というより平板だ。こんなのは素人でも詠めます。阿保っぽい歌なのだが、そこらへんは半ば無視されているような感じで、子規が褒められているのは、完全に偽物だからです。みんなが子規はすごいと言っているので、そうなのだろうと思って読んでいるのだが、読んでいても、どこか何かおかしいという疑念がいつもつきまとってくる。そんなことはないですか。偽物だからですよ。

馬鹿はよくこういうことをやる。盗みや本人の下手な技術で作った作品を、ほとんど無批判で、大勢の馬鹿を使ってほめさせ、架空の評価を作るのです。そしてその人間を、無理にいいものにしてしまう。

子規はそういう馬鹿が作った偽物の芸術家の、見本の一人です。頭からすべて偽物だと言ってかまいませんね。作品の中には、明らかに他人からの盗みだとわかるものがある。これなどそうです。




真砂ナス 数ナキ星ノ 其中ニ 吾ニ向ヒテ 光ル星アリ




完璧に盗作とわかります。子規にしては痛いことがわかっている。なぜならこれは比喩でも幻想でもない。事実に近いことだということが、感性でなんとなくわかっている者でなければ、ここまで児戯的な内容を、まっすぐには歌えない。

現代の歌人には、こんな風に、馬鹿が大勢の勢力を利用して、無理矢理作った偶像のような歌人がたくさんいますよ。俵万智も、実はそうです。歌集はよく売れたらしいが、果たして誰があれをいいと言っているのか、よくわかりませんね。





「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの    俵万智





あまり紹介したくないが、例としてあげてみました。これくらいのものは、はっきり言って、素人でも詠めます。発想も切り取り方も初歩的だ。初心者に毛が生えた程度の詠み手と言っていいでしょう。普通は、どこかの歌誌に投稿しているくらいが関の山ですよ。歌集など出せるはずがない。

口語調の崩した言い方もあまりよくない。わたしなら擬古調でこう詠みますね。




酒二杯 飲まねば言へぬ 言の葉と 知りてうなづく 我妹かなしき     夢詩香




ださいなどと言ってはいけない。こっちのほうがいいのです。歌というのは心に静かにすべってくるものでなくてはいけない。万智の歌はざわついていて、聞いていても快くない。街中で聴く雑音のようだ。

今のところ口語調で出色と感じる歌には出会っていませんね。まだそれほど現代歌人の歌を読んではいませんが。古語の方が、心を整理するのによいですよ。古文の助詞や助動詞は少ない文字で大きな意味を作れる。使いこなすことができれば、31文字で豊かな心が表現できます。







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隣人が

2017-05-22 04:22:10 | 雑句





隣人が 不幸にならぬ 不幸せ     夢詩香






*やあ、これは痛いですね。雑句のカテゴリだが、こんなのはよくあります。人の不幸は蜜の味という言葉もありますしね。

だがまあ、一度は自分での語ってみたい境地ではありますよ。同窓や類句はあるでしょうが、自分で詠うということに意味が生じるのです。

馬鹿な人間には、他人が不幸になるのを見るのが自分の幸せというか、生き甲斐だという人がいます。それで、影から痛いことをして、他人の足を引っかけるようなことを平気でするのです。そういうやつらにやられている人が、馬鹿なことになるなという状況を、黙って見ているというのも、こういう者たちのたぐいだ。

美人をいじめているやつらが、影からどんなことをしているかということを知っていて、何もしない。あわよくば、自分もいいことにあずかろうと思っている。

阿呆になった美人は、嫌な男の餌食なのだ。阿呆の方が悪いのだ。

こんな人は痛いほどたくさんいますよ。

だが、ものごとはことほど左様に思い通りにいきはしない。阿呆の知っている理屈は、馬鹿の理屈ですから、高い存在たちが生きている世界の常識がどういうものであるかを知らない。

人間として長く生きてきて、よいことを積み重ねていくと、不幸になろうとしてもなれなくなるという人が出てくるのだが、馬鹿はそんなことは何も知らないのです。

どんなにがんばっても不幸にならない人を、焦って不幸にしようとして、やってもせんないことを百度も繰り返しているのに、まだわからない。そして何もかもが馬鹿になったところで、ようやく馬鹿をやめる。痛いですね。まあ、何度も言わずともわかっているでしょうが。

あまりに愚かなので、何度でも言いたくなるのです。

人の不幸を見てみたいという心は、いつも自分の人生が暗く不幸になってしまうからです。嫌なことをしたことがある人は、どうしても自分の不幸でその業を支払わねばなりませんから、自分の人生がとても痛いものになる。だから、不幸にならないまっとうな人が妬ましくなり、影から嫌なことをして、そんな人たちを不幸に引きずり落そうとするのです。

馬鹿がそんなことばかりするから、よけいに自分の業を作る。自分の不幸の種を量産する。払わねばならない借金が膨らみ、自分の人生がどんどんつらいものになって、もっと他人が妬ましくなる。

こういうのが、業のスパイラルです。

他人が不幸にならないのが不幸せだと言う人は、常にこういう世界に住んでいるのです。暗いところで、同じことばかりを繰り返している。それが不幸の原因なのだよと教えても、耳を背けて聞こうともしない。嫌いな人間を不幸にしてやるのだという馬鹿の中に忍び込んで、阿呆なところに行って、汚いことばかりしている。

もうやめなさい。

本当に幸せになりたいのなら、そういう世界と決別し、真面目に借金を支払うべく、明るい世界に戻って働いていくべきです。人を不幸にするより、人を幸せにするために、できることは何でもしていくのです。下僕のように頭を下げていくのです。

自分の人生に嫌なことばかり起こるのは、他人を不幸にしようといろんなことをやりすぎているからだと、そろそろわかりなさい。







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獅子の道

2017-04-06 04:20:14 | 雑句






できぬでは すまぬ男の 獅子の道     澄






*俳句ですが、わたしの作ではないので、澄の名前をつかいました。雰囲気でわかるでしょうが、もちろんこれは獅子の星の作品です。昨日とは違う人です。

簡単明瞭ですね。ずぶの素人でも詠めそうな句だが、なかなかこうは詠めません。岩のように大きいが、単純でまっすぐな事実を、そのまんま下ろしてこられたという感じだ。策も技術もない。徒手空拳で真っ向からかかって来いと言う感じです。

かかっていけますか?

言っておきますが、獅子の星が相手では、飛び道具なんて使えませんよ。ずるをやろうとしたら、そのまま沈みます。阿呆は自分が何もできないと思っていますから、すぐにずるいことを考えるのですよ。どうにかして背後に回れないかとか。今はなんとか言い訳して帰って、家で策を練って、嫌な時に苦手な奴を使って片づけてやろうとか。

そういう浅知恵は何も通用しません。

おまえはえらそうにしているのだから、よほどできる男なのだろう。真っ向からかかって来い。などと、30メートルの巨人に言われたらどうしますか。阿呆ですね。

言っておきますが、かれは、本気ですよ。あなたがたの言葉で言えば、ガチで、マジです。もうだめですね。

大変なものを怒らせてしまいました。あなたがたはこれから、人間レベルではない知恵と技術と力をつかわれて、真っ向から攻められます。高い知恵と技術というものは怖い。一見見何も起こらないように見える。だが、気が付けばすべてが消えている。人生そのものから、神を抜かれてしまい、生きながら、馬鹿になる。神を抜かれると、その人間は、よその星に住んでいる、得体のしれない何かになってしまうのです。わかりますか。

それだけで、生きていることが、激しくきついものになるのです。息を吸っているだけで、人間に嫌な顔をされる。水を飲んでいるだけで、鳥が逃げていく。それはもうみごとに、人間ではなくなるのです。

阿呆になるということは、そういうことなのだ。もはや、馬鹿に逃げ道はない。

自分たちが挑戦したものの正体に気付いた時には、何もかもが遅い。傲慢のツケとは、痛いものですね。

だがわたしは、馬鹿を助けるつもりは、ありません。偉そうなことを言って、みんなを馬鹿にしたのですから、何もできないでは済まされない。自分でやりなさい。自分で戦いなさい。

男なら、そうしなさい。

おお、きつい。ちょっと痛いものが続いたので、次はかのじょの作品から、やさしいものを取り上げてみましょう。あればの話ですが。








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やさぐれは

2017-03-01 04:20:49 | 雑句






やさぐれは 下げる頭を 惜しむ馬鹿     夢詩香






*酒場などにいくと、よくみっともない男がいますね。

安い酒を片手に、世間や政治への文句ばかり言っている。いやに汚らしいことを言う。たぶん女房に逃げられでもしたのでしょう。着ているものも薄汚れてだらしない感じがする。

ニヒルや世捨て人を気取って、老荘の語句なんかを引用したりするが、まともに相手をするとろくなことがないという感じがして、ほとんどだれにも相手にされない。

そういうのを、やさぐれと言います。

こういう男は、かなりいますよ。40過ぎて、離婚した男に多い。若いときはまだいいが、人生の途中でつまずいて、うまく対処することができずに、女房にあきれられてしまい、家庭をつぶしてしまう。なんでそういうことになるかというと、男というものが、女性に頭を下げられないからです。

馬鹿な男というものは、女が自分より頭がいいと、まともに困るのです。自分の方が絶対によいということでないと、女性とまじめに付き合うことができないのです。女性もそういう男のわがままはわかっていますからね、だいぶ我慢してつきあってくれますが、これ以上はだめだという限界もある。

だいたい、女性の方が絶対に男より頭が悪いなんてことはありえないのですよ。頭がいい女性なんてそれはたくさんいるのです。ただ、あからさまにそれを出すと、男が馬鹿にして何をするかわからないので、黙って控えているだけです。

だが、そういう女性の賢さが、人生を助けることがある。男は堂々とした力がありますから、よくそれでごり押しして世間にぶつかって痛いことになりますが、女性は全体のバランスを考えてものごとをする。長い目で見れば、女性の方が正しいということはよくあるのです。

男性のよくする間違いは、こういう女性の賢さに対して、頭を下げることができないということから起こります。男が人生でつまずいた時、結局は女房の方が正しかったのだと認めることができずに、子供のようなけんかをしてしまい、別れてしまう。そういうことはよくあります。

それでつらいことになっても、自分の非を認めることができずに、安酒に酔いながら、誰かのせいにできないかと、色んな理屈をこねている。そういうことばかりしている。だんだん男が腐ってきて、安酒場の女将も相当に困る。

こうなったら男はもうおしまいです。

女性が自分より頭が悪くなければ、つきあうことができないなんて、馬鹿だということを、認めなさい。だいたい、男の人生は、それが原因で崩れてくるんですよ。頭のよい賢い女性には、その真価を認め、頭を下げなさい。それくらいできないと、もう男だということはできません。

やさぐれなんて、どんなにかっこつけても、むなしいだけだ。痛いことができないから、とぐろをまいているだけに過ぎない。







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やらぬ言ひ訳

2017-01-09 04:29:20 | 雑句






馬鹿男 やらぬ言ひ訳 のみ育ち     夢詩香






*弱くて働かない馬鹿男ほど、何もやらないことについての言い訳だけが上達するものだ。まあこれはよくあることですが。

男性というのは、もともと、この世界を雄々しく生きていけるような素質を神に頂いています。筋肉も骨も太い。労働することに向いている。理論能力も発達している。例えば今年の麦の出来具合がこれくらいだということがわかると、男はすぐに、これだけのことができる、という計算ができるのです。それですぐに対応することができる。

女性ではここまでのことをするまでに、段階を踏まねばならないのだが、男性はいっぺんに跳躍することができるのです。

だがこの男の能力を、男をやらないことの言い訳のために使うのが、馬鹿男というものなのです。なんで男をやらないのかというと、怖いから、痛いのが嫌だから。まじめにやっているやつが、妬ましいから。

自分がそれをできないわけではないんだが、自分が弱いことに自分でしておいて、それをやらないのです。努力するほうが馬鹿なんだにしないと、自分がつらい。だから馬鹿男は、強引に自分が正しいことにするために、理論を積み重ねて、言い訳を積み重ねる。一つの言い訳が通用しなくなると、また違うやり方で言い訳をする。そのようにして、言い訳の仕方ばかりが成長していく。

色んな理屈で防衛しても、本音を隠しきることなどできはしない。本当は怖いからなのだと。楽をしたいのだと。そういう自分が正しいことにするために、馬鹿男は裏に回ってずるをして、努力している奴を馬鹿にする。それであんなことをしても馬鹿なことになるだけなんだから、やらないほうが賢いんだよということにしたいのだ。

悪いことやずるいことをして、賢く立ち回って、自分をよくするやつのほうが、いいんだよ。

だがそればかりやっていると、まるで勉強ができなくて、自分がどんどんつらくなる。まじめに勉強しているものは、だんだんと賢くなって、高いことができるようになって、いいことをたくさんして、とても美しくなってくるというのに。

美しくなってきたまじめな奴を見ると、馬鹿男は焦りだす。あっちのほうが女性にもてるからです。だからまじめな奴から容貌を盗んで、言葉ややり方を真似して、自分がそれになりすます。そういうことをやる。

まあことさらに言わなくてもわかっているでしょうが、そういう馬鹿男の言い訳が、とうとう通用しなくなったのが、この時代です。勇気がいる大事なことは何もやらずに、ずると人まねばかりで場当たり的なことしかやって来なかったら、とうとう本気の力がいる場面に出くわして、何もできない自分を世間にさらしてしまった。

馬鹿なことばかりをして、何もかもをだめにしてしまったのに、どうすることもできなくて、とっくに正体がばれているというのに、古い仮面をかぶりつづけて、ごまかせていることにしないとつらいからと、馬鹿男はまだやっている。

これくらいにしておきましょうか。明日はまた短歌にしましょう。







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坂本を

2016-12-09 04:20:27 | 雑句







坂本を 真似る男は いなか猿     夢詩香






*これは前の「信長を」の句と対になる作品です。ほとんど同時にできました。

馬鹿というものは、いつも自分よりいいと思う人間の真似をするものです。

この時代、欧米的な足の長いスタイルの美女が流行りましたが、それももとはと言えば、そういうタイプの原型の美女がいて、それがとてもきれいだったので、みんなが真似し始めたというのが本当です。

松田聖子ちゃんの若い頃は、彼女の髪形を真似した女の子がいっぱいいましたね。流行というのはそういうもの。いつもオリジナルがいるのです。

坂本龍馬の真似をしている男もたくさんいます。スタイルを完璧に真似している馬鹿もいれば、行動を真似している馬鹿もいる。やれもしないのに、日本を掃除するみたいなことを言って、言い訳程度のことをやってごまかしているだけだ。

本当に坂本龍馬に学ぶのなら、世間の反動を覚悟したうえで、決死の行動をとるべきです。当時脱藩は大きな犯罪だった。いつでも時代を変えようとするものは、それまでの時代の常識に真っ向から挑んでいかねばならない。

もうできてしまった常識の範囲で、坂本の真似をしても馬鹿になるだけだ。猿真似でしかない。坂本も苦い顔をしているだろう。

坂本の真似をしている男は、命も誇りもかけないで、ただうまくやってもてたいだけの馬鹿男だと言ってかまいません。

また最近は、かのじょの髪形を真似している女性も多く見かけます。あの人が美しかったので、しっかり真似しているのです。彼も言っていましたが、それはやめたほうがいい。人間の真似ならまだ馬鹿が少ないが、天使の真似はやらないほうがいい。

あまりにも、卑怯だからです。

あそこまでなるまでに、あの人がどんな苦労をしたと思っているのか。

それを簡単に、形を真似るだけで手に入れようとしている心が、どんなに愚かで醜いか、少しはわかってもらいたい。

馬鹿というものは真似ばかりしている。自分より他人の方がずっとよく見えるからです。自分よりいいと感じる他人を見つめている時の、馬鹿の目はいつも、あの人のようになりたいと言っています。それがどんなに馬鹿みたいに見えるか、全然気づいていない。

そういうことはもうやめて、自分なりの美を探した方がいい。神が与えてくれた自然な自分の姿に戻り、正直にそれを生きていった方が、ずっと美しいのです。







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猿法師

2016-11-21 04:25:36 | 雑句







猿法師 蛇のゆまりを 酒と飲み     夢詩香






*「ゆまり」は小便のことです。

わたしたちが読む歌には、よく「糞(くそ)」という言葉が出てきますね。あまりあなたがたは使わないでしょう。汚い感じがするし、詩的ではない。

だが、わたしたちから見れば、あなたがたはうれしそうに糞を食っているなどということを、平気でしているのです。それはどういう意味かというと、食うても何もならないもの、非常に臭くて汚くて困るもの、そういうものを、いいものだと信じ込んで、嬉しそうに食べているのです。

狸に化かされて、饅頭だと思って馬糞を食べているようなものです。目が覚めて気が付けば、自分が何をしていたかを知って、驚きますよ。その日もそう遠くはない。狸というが、自分を化かしているのは、自分自身です。

蛇が小便をするかどうかは知りませんが、そういうものを、おいしそうに飲んでいる男性はよく見かけます。

おそろしく醜い女性を、美人だと信じ込んで、いろいろなことをやっている。彼女を口説くために、ふんだんに金と暇を使う。そんな人と結婚してしまえば大変なことになるというのに、焦りに焦る。

ハイレベルなよいことだと信じてやっていることは、やればやるほど馬鹿になるということだ。いずれは自分で掃除しなければならない、汚い糞尿の海になっている。だがまだ、気付いている人はほとんどいない。

厳しいですね。わたしも今日は、かなり自分を出しています。一昨日までの記事は、ちょっと芝居をしていました。少々おちゃめだけれど、俳句はうまい普通のおばさんというキャラクターを作って、それを演じていました。

これからは少し男っぽくなってくるかもしれません。わたしの正体は、実はかなりの美男です。









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同じ駒

2016-10-08 04:28:25 | 雑句






まよひては けふもきのふと 同じ駒     夢詩香






*これではいけないと思いつつも、結局は今日も同じ手を使うんだなってことです。

人間て、なかなか変われないみたいだ。

テレビなんか見ていても、目新しいことは何もない。今の社会がいけないっていうんなら、自分も変わればいいのに。
そういうことをやったり言ったりする人はいない。

結局は同じことを、手法を変えながらやっているだけで。

まあそんなことを思いながら詠んだものです。

自分を変えるっていうことは、結構簡単なことですよ。

できないっていう塀を超えて、やってみるのです。それは、本屋さんで古語辞典を買うなんてことなんだ。

わたしが俳句を詠めるようになったのも、本屋さんで、古語辞典を買ったからなんです。この一冊がパートナーになってくれたおかげで、おもしろい句がいっぱい詠める。

勉強って楽しい。古文の勉強なんて難しいからできないよなって思って、何にもやらないと、いつまでも同じことしかできない。

おもしろいことをして、おもしろい人間になりたいのなら、これくらいはやらないと、ていうことは、やらないとだめだと思うのです。

昨日とは違う駒を、進めてみる。

それって結構簡単なんだけど。なんだか人はいつも、昨日と同じ駒ばかりいじってるんだ。





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