石走る 滝のなみだに そぼちつつ けふの恨みを 空蝉にかく
*「いしばしる(石走る)」は「滝」にかかる枕詞です。こういうのは古語辞典を読んで見つけたら早速使ってみましょう。何事もやってみることがスキルアップにつながる。後でやろうなどと考えて見過ごすと忘れてしまいますから、すぐにやるのがいいのです。
滝を涙にたとえるのはよくあるが、あの人が消えて、涙は出ないにしても心の中には何かが滝のように流れていたはずだ。口ではいなくなってよかったなどと言いながら、何かの苦しい予感にさいなまれていた。
消えていった人は何も悪いことをしなかったからだ。それなのに馬鹿どもは大勢でよってたかってなぶりものにしようとあらゆる暴言を吐いた。
疲れ果てて消えていった人は、それを知りながらも何も恨み言は言わなかった。馬鹿どもが迷っているうちは、自分のようなものへの嫉妬に眩んでひどいことをするものだということがわかっていたからだ。自分は神の使命を果たせたからいい。すべては神にさしあげれば完成する。
そうしてあの人が消えた後、人々は何十年とそしり続けた日々が、一切空っぽであったことにやっと気づくのです。
人を馬鹿にするばかりで何もしてこなかった。大勢でたくさんの人を殺した罪の山だけが自分にある。それがどんどん返ってくるときになって何もできない自分にやっと気付く。
そう言うことになるだろうと言うことを知っていたのだ、あの人は。不幸なのは消えていく自分ではない。まだこの世に残ってあらゆる反動を浴びねばならない彼らの方なのだ。
石の上を走る滝のような涙に濡れそぼちながら、今自分の中に生まれるいきどころのない恨みを、空蝉のような馬鹿なものにかけてしまったことよ。
なんでこうなったのかという恨みを、月にかぶせたくても月はいない。結局、何の意味もないものにかけようとして、くだらない言い訳をするだけなのだ。
逃げたいのに逃げられない。世界中の前でかいた恥が大蛇のようにとぐろをまいている。
男も女も人間を落ち、神にさえ恨まれている。
この世のどこにもいるところがない。