ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

けふの恨み

2018-02-28 04:18:27 | 短歌





石走る 滝のなみだに そぼちつつ けふの恨みを 空蝉にかく





*「いしばしる(石走る)」は「滝」にかかる枕詞です。こういうのは古語辞典を読んで見つけたら早速使ってみましょう。何事もやってみることがスキルアップにつながる。後でやろうなどと考えて見過ごすと忘れてしまいますから、すぐにやるのがいいのです。

滝を涙にたとえるのはよくあるが、あの人が消えて、涙は出ないにしても心の中には何かが滝のように流れていたはずだ。口ではいなくなってよかったなどと言いながら、何かの苦しい予感にさいなまれていた。

消えていった人は何も悪いことをしなかったからだ。それなのに馬鹿どもは大勢でよってたかってなぶりものにしようとあらゆる暴言を吐いた。

疲れ果てて消えていった人は、それを知りながらも何も恨み言は言わなかった。馬鹿どもが迷っているうちは、自分のようなものへの嫉妬に眩んでひどいことをするものだということがわかっていたからだ。自分は神の使命を果たせたからいい。すべては神にさしあげれば完成する。

そうしてあの人が消えた後、人々は何十年とそしり続けた日々が、一切空っぽであったことにやっと気づくのです。

人を馬鹿にするばかりで何もしてこなかった。大勢でたくさんの人を殺した罪の山だけが自分にある。それがどんどん返ってくるときになって何もできない自分にやっと気付く。

そう言うことになるだろうと言うことを知っていたのだ、あの人は。不幸なのは消えていく自分ではない。まだこの世に残ってあらゆる反動を浴びねばならない彼らの方なのだ。

石の上を走る滝のような涙に濡れそぼちながら、今自分の中に生まれるいきどころのない恨みを、空蝉のような馬鹿なものにかけてしまったことよ。

なんでこうなったのかという恨みを、月にかぶせたくても月はいない。結局、何の意味もないものにかけようとして、くだらない言い訳をするだけなのだ。

逃げたいのに逃げられない。世界中の前でかいた恥が大蛇のようにとぐろをまいている。

男も女も人間を落ち、神にさえ恨まれている。

この世のどこにもいるところがない。






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ほほゑみ

2018-02-27 04:19:46 | 短歌





ほほゑみの かたちの月を 空低く 見しゆふぐれの おもひでの風





*月の形の細い時は、ほほ笑みの口元に似ていると、かのじょは言っていましたね。それを見ると、空に誰かがいて、自分に微笑みかけてくれているようだと。

かのじょは犬をつれて夕暮れ時に散歩するのが習慣でした。夕暮れの風に吹かれながら、愛するあのくすのきのもとに歩いて行った。そのとき、空を見ると白い細月がかかっているときがあった。微笑みの形の月。誰かが今わたしを見てくれている。あの人もまた、返すように微笑んだ。

美しいからという理由だけで、たくさんの人はかのじょを憎み、かげでさげすんでいた。かのじょには友達はほとんどいませんでした。自分の心を理解してくれる友達を、人間世界に求めるのはとうにあきらめていたが。さびしさを完全に払いのけることはできない。

そのさびしさを薄めるすべを、あのひとは夕暮れの空低くかかる細い月の形にももとめていたのでした。

田舎に住む一介の貧乏な主婦でありながら、国を憂い、人類の救済の夢を抱いていることなど、だれに言えよう。そんなことを言えば狂人扱いされるに決まっている。誰にも言うことはできない。

だが、あの月はきっと知っているに違いない。

夢に向かい、一筋のまことをつらぬくことしかできない魂は、この世に住んでいながら、心は半分天に住んでいたのです。

心無い人間はそういうかのじょを激しく憎んだ。美しいのに、決して自分たちには近寄って来ないからです。それだけで、自分たちには何もないからです。

馬鹿どもは何を求めていたのか。黒く未熟な欲望の渦巻く地獄の中で、くさりただれてゆく自分に苦しむ馬鹿どもは、風のようにすずしげに通り過ぎていく美しいあの人のようなものに、自分がなりたかったのです。






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鳴くかひ

2018-02-26 04:19:04 | 短歌





さざなみの 夜のしじまに 鳴くかひの 痛きこころを とほく聞く月





*「ささなみの(細波の)」は「寄る」や「夜」、「あや」「あやし」などにかかる枕詞です。特定の地名などにもかかるが、そういうのは使いにくいので、現代でも使える部分を採用しましょう。
本当は「ささなみの」なのだが、後世「さざなみの」になった。どちらでもかまいません。自分の感覚にここちよい方を採用すればよい。

ここでは「夜」を読んでいるが、「かひ(貝)」があるから意味が生きますね。

さざ波の寄せる浜辺で、夜のしじまに鳴いている貝の、聞こえずとも聞こえる痛い心を、遠くから月は聞いている。

わたしたちが今住んでいるところは、海が近くにあります。夜にふと目を覚ますと、遠く潮騒の音が聞こえる時がある。

かのじょはよくその音を聞いていました。聞いているうちに、誰かが自分を呼んでいるとさえ感じることもあった。

潮騒の声に紛れて、誰かが自分を呼んでいるような。

かなしいことばかりが多い人生でしたから、不確かな望郷の念をいつも感じていたかのじょには、潮騒の音がそう聞こえたのでしょう。

「貝」というのは、白玉のような大事なものを秘めて、いつも閉じて黙っている。それに、かのじょは美しい夢を秘めつつ、何も言わずに生きている自分の心に似たものを感じていました。

貝の中に魂を隠し、貝の琴を弾く。誰にも言わない夢をかなえるために、小さなパソコンを引いて嬉しい歌を歌う。それだけでかのじょは永遠の救いをなしたのでした。

美しい心こそが、全世界を救うのです。

そしてあらゆることを試みて、疲れ果てた人は、遠い潮騒の音に溶けていった。神の胎の中に帰っていくかのように。

真珠が波に溶けていくかのように。






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みつかひ

2018-02-25 04:18:28 | 短歌





あをぞらに みつかひは群れ いつはりの 人を打たむと つひの笛吹く





*わたしたちのことを、天使存在と言います。

自己存在の進化の過程において、一時期背中に翼のようなものが現れることがある。その段階にいる存在のことを言うのですが。

簡単に言えば、自己存在はまず魚のように小さなものの霊魂として現れ、様々な経験をしていくうちに動物に進化し、それが人間存在に進化します。人間存在が経験を高めて学んでいくと、いずれ背中に羽が生えて天使になるわけです。

わたしたちは、人間よりもずっと進化した自己存在なのです。

もちろん、現実の進化の姿はもっと複雑です。それはこれから学んでいくことができるでしょう。地球人類は人類だが、まだ動物の頃の闇をまとっている。それを脱いで新たな段階に入るための準備に入ったところです。

まあこの歌は、その天使存在を、「みつかひ(御使ひ)」と表現してみたのです。天使という名詞は、あなたがたが作ったものだが、非常に良い名前だ。確かにわたしたちは、神の愛のまことをあなたがたに伝えに来る。神の使いと言って間違ってはいない。

神はよく天にいらっしゃるので、そこからの使いということもできるわけです。

天使と言うと、女性的でそれはやさしいものという観念をあなたがたは持ちがちですが、しかし本当の天使はそういうものではありません。みな、男性の進化形なのです。女性的に優しい天使もいますが、本当の姿は、男性的で雄々しい姿をした天使の方が多いのです。それはそれ、あなたがた人類の男性の進化形と思えばよい。

男性にもいろいろな人がいる。女性的に真面目な人もいれば、ヘラクレスのように荒ぶる人もいる。きついことをしすぎる人もいる。そういう男が進化していけばこうなるという天使がたくさんいるのです。

そういう天使が、青空に群れている。この世界の嘘ばかりの人間たちをやっつけようと、最後の笛を吹いている。

何となく、黙示録に出てくる、ラッパを吹く天使を思いつつ詠まれたものです。

もう迷いの時代は終わったということを世界中に知らせるために、天使の群れは空にいて、高らかにラッパを吹いている。

その聞こえない音が、あなたがたに聞こえるようになるのも、もうじきのことでしょう。






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常世

2018-02-24 04:18:53 | 短歌





せぬがよき とこしへの世を こしらへて 醜女ばかりの 常世となりぬ





*ああ、これはきついですね。大火の作です。文語調で詠もうと現代語で詠もうと、彼の作品は彼の作品だと、明らかにわかりますね。

なにもしないのがよいという、永遠の楽土をつくってみれば、美人は誰もいなくなって、醜女ばかりの天国になってしまいましたよ。

「常世(とこよ)」とは海のかなたにある不老不死の理想郷のことらしいが、ここでは極楽とほぼ同じ意味で使っています。

まあ解説せずともわかっているでしょうが、馬鹿な男が、きれいな女性と好きなだけセックスができる世の中を作ろうとして、自分の思い通りにならない美女はみんなつぶして、男にいいことをしてくれる美人ばかり残したら、なんとそんな美人の正体が見えるようになって、残った美人がみんなぶすだとわかったと。

「ブス」などという言葉は、わたしはあまり使いたくないのだが、大火は平気で使います。それはそれはパンチ力がある。だがこの歌は文語調なので「しこめばかりのとこよ」と品よく言っているのです。気分が口語調にいけば「ぶずばっかりの天国になる」なんて言ったことでしょう。どっちがいいでしょうね。

どちらにしろ、悲惨なことだ。

心の世界の真実から言えば、心の醜い美女など存在しないのです。勉強をし、愛を理解し、美しいことができるようになった美しい心の持ち主でなければ、美しくはなれないのです。

だがそんな女性だと、いやな男の思い通りにならないので、男は美人から顔を盗んで、まだものごとのわからない馬鹿な女性に美人の顔をかぶせ、男の思い通りにできる馬鹿な美人ばかりこしらえてきたのです。

それで、自分の思い通りに美女とセックスができる理想郷をつくろうとしたのだが。

全部をすっかり思い通りにした時に、自分の感覚が進歩して、偽物の美人の正体が見えるようになった。人から盗んだ顔ばかり生きてきた馬鹿女が、どんないやらしいものになっていたかが、わかるようになった。

もうそうなったら、とても偽物の美人を好きになることなどできなかったのです。

心根のきれいな本物の美人はことごとく殺してしまった後で、それに気づいてもつらいだけなのだが、気付いてしまったものはしかたない。

もう人間は、永遠に、麗しい女を失ってしまった。夢のような美女と、本当の恋をすることが、できなくなった。

女性はこれからも生まれてきてくれるし、それなりに美しいことをしてくれるだろうが、もうかつての女性とおなじではない。

これから、人間たちの恋がどういうものになっていくかはわからない。みんな努力していくでしょうが。

永遠の恋を月にかけながら、この世の恋を、新しく育てていくでしょうか。

まずは、やってみねばわかりません。






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2018-02-23 04:18:51 | 短歌





雪降りつむ 山の高嶺に 神ありて もはやまよひは ゆるさぬといふ





*ツイッターでは、神の写っている写真を見つけるたびに紹介しています。もう感覚の進んだ今では、あなたがたにもわかることでしょう。山や空にいらっしゃる、神の気配を感じることができる。形はみえずとも、なにかとてつもなく大きくて美しいものがいるということがわかる。

そして神がおっしゃっていることもわかる。

人間の感覚が進んだことは実に喜ばしいことだ。それはあなたがたが、今まで知らなかった世界に新しく生れたということだからです。

見えないものの言っていることがわかるようになっただけで、格段に生きることがやりやすくなったでしょう。いやなことを考えている人間からは、さっと逃げることができる。時に死者に相談して、自分の行く道を決めることができる。新たな感覚は、人間を今まで知らなかった世の中に導いていきます。

芸能界などはもう滅んだも同然ですね。もう人間には、あれがどんなに汚いところか、誰にでもわかりますから。今はまだ形を保っている、嘘ばかりの世界も、空気の抜けていく風船のように、だんだんしなびていくでしょう。

もはや人間は子供ではない。今までと同じことをしているわけにはいかない。

悪の正体を知り、神の存在を知った。

縁起の法則の限界を知った。人間の壁を見た。

これ以上は決して進めない、虚偽の道を進むひとが、どんなことになるかを知った。

神は人間たちにおっしゃる。もはや悪に迷うことは許さないと。この神の心に逆らうものは、すべてこの世界から追い出すと。

神の御決断に逆らえる存在はこの世界にありません。この世界はすべて神がお創りになったからです。

これ以上馬鹿のわがままを許していれば、世界が大変なことになる。その限界にきて、神は人間におっしゃったのです。

もはや馬鹿の夢は終わりだと。






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空言

2018-02-22 04:19:19 | 短歌





ますらをの 骨はすたれて ゆふぎりの とほとにもきく 空言となる





*これはかのじょのこの歌をとって詠われた歌ですね。繰り返すことが学びですからいちいちとりあげていきましょう。

ゆふぎりの とほとの笛と 消えゆくか やへがきつくる ますらをの骨

「とほと」は「遠音」で、遠くから聞えて来る音、または遠方のうわさのことです。かのじょがこの歌を発表した時には、わからなかったでしょう。こんな風にね、かのじょは細やかな説明などしません。自分は細やかに調べて勉強するたちですから、ほかの人もそれくらいするだろうと思う癖があるのです。

夕霧の向こうから遠く聞こえてくる笛の音のように、消えてゆくのだろうか、八重垣を作ってくれると言う、立派な男の骨は。

自分が一生懸命救済のためにがんばっているというのに、男の人は何もしようとしないという現実をずっと見ていたころの歌でした。実際この時代の男性は、女性を追いかけることばかりやって、痛いことはほとんど何もしなかった。

人類の罪業が限界に達し、大変なことになるというのに、偉そうに威張ってきた男性が何もしなかったのです。

人類の救済事業は、ほとんど、女性の天使がひとりでやっていました。

もうこのことは繰り返し言っていますが、いまだに世間の男性から思うような反応がないので、繰り返し言うのです。で、表題の歌ですが、説明しなくてもわかるでしょうが、一応やっていきましょう。勉強とは繰り返し細やかに教えていかねばなりません。押しつけがましいほどにやるのが、教師というものだ。

りっぱな男の骨というものはもうすたれて、夕霧の向こうから遠く聞こえる、うそになってしまいましたよ。

「空言(そらごと)」はもちろん「うそ」という意味です。昔のいい男は、色んな偉いことをしたというが、それもみんな嘘でしょう。女がひとりでがんばっているというのに、未だに何もしませんから。

夕霧、と詠ったのは、終わりの時代に、嘘をかくすかのように世間を包む霧のようなもの、と言った感じでしょう。確かにこの世界には、人間の嘘を隠そうとする、不思議なヴェールのようなものがある。痛いところをついても、人間は何も見えない、何も聞こえないかのように返事もしない。

だがその霧もいつまでももちはしない。霧を掃く風の音が聞こえ始める。いえ。

霧が世界を覆っていても、すべてを明らかに見通せる目の光を、人間が持ち始めている。






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えにしのかは

2018-02-21 04:19:27 | 短歌





しらたまの わがこかはゆや ともにゐて 深きえにしの かはの声聞く





*「しらたまの(白玉の)」は「わが子」にかかる枕詞ですね。定番ですがいちいち押さえていくのがここのやり方です。勉強というのは繰り返すことで深まっていくものです。一度や二度言っただけでは勉強にならない。

同じことを繰り返すのではなく、その時々に手を変え品を変えして工夫しつつ、繰り返し教えていく。教育者ならわかるでしょう。そういう辛抱強い態度が、教え子の心に響き、みなの教養を厚く深めていくのです。

そういう意味で、かのじょは教育者と言う面では少々痛いところがありましたね。あれは教育者というより学究の徒の態度です。そうしつこく繰り返し教えてはくれない。それくらいのことは自分で調べろと言う感じで、すぐに行ってしまう。もちろんそれは正しいのだが、教えてもらう者にとっては少々寂しいということがないでもない。

教師というものは、少々しつこい、うざいと教え子に感じられるほど、何度も繰り返し教えねばならないものです。

そっちのほうがありがたいのだが、なぜか人間というのは、かのじょのようなタイプを追いかけるのだ。あまりにも美しいからです。人間というのは、ああいう澄んだ目をした学究の徒が好きなのだ。

つれないというか、自分を軽く無視していく女ほど、追いかけてしまう。

まあそれはそれとして。

表題の歌はこういう意味ですね。

わが子というのは実にかわいいものだ。一緒にいると、深いえにしの流れる川の音が聞こえる。

川の音と表現したのは、日々流れていく暮らしの中で、たびたび、わが子との間に、深い縁を感じる出来事を見るからです。あなたがたにもありませんか。我が子を見て、この魂に昔あったことがあると感じるようなことが。こいつ知っているぞ、と感じるようなことが。

もちろんそれは、遠い昔からともにこの世で生きてきた、縁の深い魂だからです。

ソウルメイトなどという言葉も最近ではありますね。

人間にはこれまで、深くかかわってきた霊魂がいるのです。その深くかかわって、互いを知っているということがうれしい。何度もともに生きてきて、その人の癖やいろいろなことを知っているということが、愛をかきたてる。

なんでもしてあげようと思う。

愛というのはそうして、みながたがいのためにやってきたことの記憶の奥から起こってくるものです。

この縁起の世界は、そういう愛の流れから起こってくるのです。

あなたがたがかのじょを愛したのも、かのじょとの間に、霊魂の深い記憶があったからなのです。

それがえにしなのです。






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ミダス

2018-02-20 04:18:27 | 短歌





愚かなる ミダスの触れし 山鳩の 落ちて打ちつる 凡庸の闇





*わたしたちの歌う歌は、古今に習って古語を多用しますが、平安の昔と違うところは、西洋から流れてきた知識がふんだんにあることです。この教養も時に歌に詠みこむとおもしろいものができます。

ミダスというのは、ギリシャ神話に出てくる愚かな王様のことです。酒神バッカスに願って、自分の触れるものがすべて黄金になる魔法の力をもらった。それがどういうことになったかは皆さんもきっと知っているでしょう。

黄金が好きなあまり、なんでも黄金で解決しようとすれば、大変なことになるのだぞという神の戒めです。

要するに、なんでも金で解決できると思い込めば、大変なことになるということだ。

この時代は、馬鹿が大いに馬鹿をやって、人からいろんなものを盗んで勝手に自分の人生を作り、大繁栄したという時代でした。

本当は田舎で貧乏に暮らすはずだった人間が、無理矢理人から盗んで、大層な金持ちの家に生まれてきたという例などもそれはたくさんあるのです。

お金などというものも、裏の世界から操作すれば、たくさん自分のところに持って来れるものなのです。痛いことなどそれほどしないのに、なぜか潤沢な資金が手に入る。そういう人はほとんど、霊界的な方法で、他人からお金を盗んでいるのです。

芸能界なんかにたくさんいますよ。ただ猿のようにおかしなことをやっているだけなのに、なぜかすごくたくさんのお金が入るでしょう。ああいうことが、盗みなのですよ。

そうやって、馬鹿が金持ちになってやったことというのは、すばらしく馬鹿な方法で、美しい女性ばかり狙って、裏からみんなで馬鹿にして、自分の性欲の餌にしようとするということでした。

その結果はご存じの通り。何十年とばかなことをくりかえして、結局だれひとりとして美女は手に入らず、お金も使いつくして、貧乏のどん底に落ちた。

「山鳩」というのは、馬鹿が放つ愚かな知恵の隠喩です。金をつかませれば思い通りに動く軽いものという意も含めてあります。まあそんな、痛いアイテムを使って、女をものにしようとしたのだが。ことごとく通用しなかった。かえって、自分のやったことが自分に返り、たまらなく恥ずかしいことがみんなにばれた。

馬鹿は自分が馬鹿だとは思いもしなかった。実質、美人よりもずっと自分の方が賢いと思い込んでいた。最後まで現実から学ばなかった。美人の方が自分より賢かったら困るからです。

魔法の力ももう失せた。なにもかもを失った馬鹿な王様を振り返る者はいない。

馬鹿が金持ちになると、とんでもないことになるということです。






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2018-02-19 04:18:10 | 短歌





あしひきの 山はおらびて 人の世の 暗き心を 驚かすかな





*これを書いているのは一月二十四日の朝です。草津白根山が噴火をした翌日のことです。

こういう自然災害も偶然起こるのではない。縁起の世界においては必ず何かの因果がある。そういうことも、人間のみなさんにはわかるようになってきました。

ツイッターで伝えられる画像や動画などに心を投げてみれば、見えない世界からの声が聴こえる。そんな繊細微妙な霊的世界の現象がわかるようになってきたのです。

科学でこれを説明しようとしてもできますまい。しかし科学で説明できなくても、事実は厳然としてある。自分の心が感じていることを言えば、また他の人も同じことを感じていたりする。

霊魂というものを、科学は知らないから、これを説明できないのです。霊魂というものは、成長していけば必ず、こういうことができるようになってくるのです。

人間は、肉体の生命システムだけで生きているのではない。魂がなければ、生命もない。霊魂こそが、人間の正体なのです。

一月二十三日に起こった、草津白根山の噴火の原因を、進化した自分の感覚を通じて知ることはできたでしょう。確かなイメージは結ばずとも、何かがあったことはわかったはずだ。そう、あれは遠い昔に人間がなしたことの反動なのです。

自分というものを知らず、互いに食い合ってきた人間の無明の時代になした、暗い罪の反動です。そういう罪は、それはもうたくさんある。人間はあらゆる馬鹿をしてきた。

こういうことはこれからもたくさんあります。しかしだからと言って手をこまねいて見ているだけではいけない。この試練にいかに取り組んでいくかに、人は試されるのです。

死すべき命はあるだろう。だがひとりでも助けるために、人はやるべきことをやらねばならない。できることがあるのに、放っておいてはいけない。

新しい力を得た人間は、一体何をやっていくでしょう。

わたしたちはじっと見つめていきます。






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