ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

われをすくふは

2023-12-27 04:16:35 | 短歌





ねぬなはの 苦しき闇の 道に落ち われをすくふは われのみと知る




*今週はいくつか詠めましたが、やはり本調子ではありませんね。あまり切れ味がよろしくありません。馬鹿の妨害は収まるどころかひどくなる一方です。今もまるで脳みそを蝋で固められているかのようだ。想像力がよく働かず、言葉があまり出てこない。このエッセイを書くのにも、かなり苦労しています。それはそれとして。

「ねぬなはの」は「苦し」を呼ぶ枕詞ですね。だから特に訳しません。苦しい闇の道に落ちて、自分を救うのは自分だけだと知る。これはもう地獄に落ちるしかない魂のために詠んだものです。

彼はあまりにひどいことをやりすぎて、限界を破ってしまい、解脱の救いを浴びることができなくなってしまったのです。永遠に嘘で生きていくと決めて、人のものを全部盗んで自分の栄光と幸福を偽り、全世界をだましている。そういうことをしてしまったら、もう終わりだったのです。

人間が、まだよいことがわからなかった時代なら、自分をごまかせたかもしれないが、人間の魂が成長してきて、愛を感じる感性が伸びてきた今なら、もう嘘の幸せに酔うことなどできない。何より、自分が愛であることが、一番の幸せだということが、みんなにわかってきたからです。

だから彼も、愛になりたい。愛になりたいのに、なれない。自分は嘘ばかりで生きていて、もうやり直すこともできないほど、真実から遠く離れてしまったからだ。

かわいそうに彼は、一生あの嘘芝居を続けなければならず、一生魂のねじれに苦しまねばならないのです。そして死後は暗い地獄が待っている。

そんなことになっても、自分だけは自分を見捨てるなというのが、表題の歌です。情けない馬鹿を繰り返して、とうとう最低のことになった自分を、自分だけは見捨てるな。地獄に落ちても、何とか自分を立てて、やり直せ。

厳しいことですがね、それ以外に救いの道はない。

神に見捨てられて、孤独の地獄に落ちても、自分だけは自分についてくる。その自分こそが、彼の最後の救いなのです。




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世の人の

2023-12-20 03:56:36 | 短歌





世の人の さいはひのため 良きことを するがおのれの まことのねがひ




*今週は、わたしはよいのが詠めませんでした。表題の作は大火のものです。彼にしては少しパンチが弱い感じがしますがね、これ以外にいいと思えるものがないので、これをあげましょう。

みんなの幸せのために、いいことをするのが、自分の本当の願いなのだ。

これは本当の自分に目覚めた人間の、ひとつの感慨というものでしょう。人間は、解脱して、本当の自分に目覚めれば、愛以外のことはできなくなるのです。みんなの幸せのために、愛で何でもやっていきたいと思う。そう思う自分がとても美しくて、幸せなのです。

まだ目覚めていない人は、これがよく理解できません。世の中を見渡せば、人間の汚いことばかり見る。ウクライナやガザでの悲劇を見れば、人間はなんとむごく、愚かなものかとも思う。

でもそれは、エゴに支配された人間の、暗い迷いの感情がさせることなのです。人間は人間を馬鹿なものと思い込んで、馬鹿なことばかりしている。そして果てしなく傷つけあって、この世を地獄に染めている。

しかし、ひとたび愛に目覚めれば、人間はすばらしいものになる。自分というものの奥底に、神がしかけてくださった、愛の水脈がはじけ飛んで、愛がとめどなくあふれてくるのです。なんと自分はすばらしいものなのか。この自分をかけて、すべての幸福のために働きたくなる。その美しい自分が、まことにいい。

自分を信じるということは、愛に生きるということです。この自分、すばらしい自分を、愛のために投げてゆくとき、人はすばらしい幸福を味わう。なんでもやっていきたい。すばらしいことを、みんなのためにやっていきたい。

この幸福を、みんなに教えてあげたい。

目覚めた人間が増えてゆけば、この世は天国になってゆきます。それはわたしたちのすばらしい夢だ。

その夢に向かって、人間はすばらしいことをやってゆくのです。






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あくがれまよふ

2023-12-13 04:04:13 | 短歌




ぬばたまの 暗闇にすむ たましひの あくがれまよふ みつかひの夢




*今週はいくつか詠めました。なかなかキレのいい作品ができませんが、今の状態ではまだましなほうでしょう。しつこい妨害の中で、自分流の歌を詠むのは苦しいが、なんとかやっていくより仕方がありません。

さて、表題の作は、かのじょの真似をして美人になりたがる馬鹿女について詠んだものです。暗闇に住む魂とは、自分の勉強ができていなくて、いまだに自分と他人の区別もつかないような、無知の闇にいる魂のことを表します。そんな魂を持つ人は、他にきれいな美人を見るだけで、その人の美貌を欲しがり、その人そのものになりたいとさえ思うのです。

人間に限らず、自分というものは、自分以外のものには決してなれません。しかし馬鹿というものはその理屈をどうしても理解しようとしない。自分というものを嫌がり、自分と他人の境界を越えて、あっちの美人になりたい、あっちのいい自分になりたいと思う。そしてそのためにあらゆる汚いこいとをしてしまう。それでどんどん自分が汚くなり、一層自分が嫌になり、またあっちのきれいな人になりたいと思う。

そういう矛盾の繰り返しの中で、あえぎ苦しんでいるのが、馬鹿というものなのです。

本当の自分を捨てて、他のきれいな自分になりたいなどということは、自分の責任から逃げようとする、とてもずるい生き方です。服を着替えるような軽い気持ちで、他人の自分を盗み、それになることで、本来の自分の罪や陰から、永遠に逃げようとすることだからです。そんな生き方をする人が美しいわけがない。

馬鹿は自分から逃げようとすればするほど、醜くなっていく。そしてまた他人の美貌を欲しがる。他人の存在を欲しがるのです。

その矛盾の苦しみから逃れるためには、もう本当の自分に戻るしかないのです。本当の自分の罪も陰も、すべて受け入れ、正しく自分をやり直していく。それができれば、人は美しい存在になることができるのです。

だが馬鹿というものは、なかなかそっちに来ない。どうしてもあの美人になりたいのだと言って、どんどん矛盾の闇に迷い込んでいく。

そしてとうとう本当の自分を壊し、永遠に人間を失う。

馬鹿の極みというものです。






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美しき

2023-12-06 04:36:29 | 雑句




美しき 愛ですべてを やってゆく 人よこの世に 楽土を建てよ




*今週はこれ1首しか詠めませんでした。馬鹿の妨害は収まるどころかだんだんひどくなってきています。感性の中枢にふたをされて、インスピレーションが全くわきません。思考の幅もせまくなり、言葉が思い浮かんでこない。苦しいですね。

表題の作もあまりいいものではないのですが、これしかないのであげましょう。

解脱を経験し、自分に目覚めた人は、自分自身が愛であることを発見し、愛で、すべての幸福のために、あらゆることをやってゆく、すばらしい人になります。その現象は、例外なくどんな人にも現れます。たとえその人が、みっともないほどひどい罪を犯した人でも、ひとたび解脱すれば、みんな素晴らしい人になるのです。

それはなぜか。人間はもともと、みなすばらしいものだからです。神は人間を、すばらしく良いものに創ってくださったのです。その真実に気づくだけで、人間はすばらしいものになるのです。

自分自身の本当の美しさに気づいたとき、人はその自分を使って、すべてをやってゆきたくなります。みんなの幸福のために、自分を投げて働きたくなります。そんな美しい自分であることが、まことに幸福なのです。

そのように、すべての人が解脱すれば、みなが幸福になり、この世にすばらしい天国が成立する。そこを目指して、すばらしい働きをなせというのが、表題の作です。

何だか何も工夫がなく、泥のついた大根を引き抜いてそのままどんと出したような作ですが、言いたいことは言えていますね。

来週はどうなるか。少しは事態が改善しているといいのですが。




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