ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

ひるこ

2017-10-27 04:23:44 | 短歌





なきものと せむと投げにし いにしへの うみそこなひし ひるこは泣けり





*「り」は完了の助動詞。この場合は動作、作用が継続・進行していることを表わす場合ですから、現在進行形に近いですね。「~している(ある)」と訳されます。

ないことにしようと投げてしまった、遠い昔に生みそこなった、蛭子が泣いている。

「ひるこ(蛭子)」というのが何なのかは、日本人なら知っているでしょう。国生み神話の最初に出てきます。古事記によれば、イザナギとイザナミが最初に産んだ子は蛭子と言い、良い子ではなかったので、葦船に乗せて流してしまったという。

蛭子がどんなよくない子かという話は、古事記にはなく、日本書紀には、三歳になっても足が立たなかったとあるそうです。要するに障害があったのでしょう。昔から、そういう子供は時々生まれてきていました。

残酷ですが、遠い昔には、生まれた子が気に入らなかったら、親がその子を捨てるということも、よくあったのです。

しかし縁起の世界の真実から見ると、なぜそんな子が生まれるかと言えば、それで支払わねばならない業があるからです。それは子供にある場合も、親にある場合もある。障害のある人間として生きることによって、あるいは障害のある子供を育てることによって、業を支払い、学ばねばならない真実があるのです。

わたしが知っている一つの例としては、自閉症の息子を持っているある女性がいました。子供のことでとても苦労していたが、よくよく調べてみると、その母親はその過去世で、自分の息子にひどいことをしていたのです。その息子がその障害を持つ原因となることを、その母親がしていたのです。

ですからその母親は、その息子を一生苦労して面倒を見なければならない。そういう業が発生していました。

これからどうなるかはわからないが、その人は苦労しながらも、息子を何とか育てている。少しずつでも、勉強をしているようです。

しかし中には、こんな苦労をするのが嫌で、子供を捨ててしまい、よけいに大変なことになる人がいる。苦労の種である蛭子はいなくなったが、痛いところで泣いている。そしてその声はどんどん大きくなってくる。

遠い昔に、生みそこなった蛭子のように、痛い記憶が、人間にはある。いつまでもそれから逃げることはできない。

蛭子は知らないところでどんどん大きくなる。

時にはそれが、山よりも大きいものになって、親のところに帰ってくることがあるのです。






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