ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

親の幸せ

2023-07-26 04:48:31 | 短歌





子がひとり ふたりさんにん そばにいて ぴいちくさわぐ 親の幸せ




*ある日インスタグラムで、雷鳥の親子の動画を見ました。親鳥の周りに小さなひながちょろちょろ動き回っていて、なんだか親が実に幸せそうにしているように見えたので、こんなのを詠んでみました。

かのじょには、4人の子供がいましたが、子育ては大変だったものの、幸せそうにしていましたね。かわいい子供がたくさんいる。子供のためなら、どんなことでもしてやりたい。そんな愛に濡れている自分の心を感じることが、実に幸せだった。

愛ほど、人を幸せにするものはありません。

鳥というものは、その愛をどんな風に感じているものでしょうね。まだ小さな魂には、愛というものは不思議なものでしょう。本当は、鳥の魂は、自分で子育てをやっているわけではありません。神のような美しい愛の存在に、自分を生きてもらっているのです。子供のために、一生懸命に働いて尽くすのも、その愛の存在がやってくれていることなのだ。鳥の魂はまだ幼くて、十分に自分を生きることはできないからです。その生き方は、だいぶ、美しい愛の存在が代わりに生きてくれているのです。

愛するということは、こうするのだぞ。子供というものは、こんなにもいいものなのだぞ。鳥の魂に寄り添っている愛の存在は、それを教えるために、ずっと鳥とともに生きてくれる。まるで親のように。

この地球には、そのような見えない愛の存在が、すべてをなんとかしてくれているのです。

人間も、最初から愛がわかっていたわけではない。そのように、陰から教え導いてくれた存在が必ずいたのです。

愛するということは、こうするのだぞ。愛し合えば、こんな暖かい幸せがあるのだぞ。

子を持つ親の幸せを、雷鳥の魂は不思議な感覚で味わっている。それはいつか、美しい愛になって、深い魂の喜びになる。

その鳥の魂を、ずっと見守り、育てている、不思議な愛の存在がいるのです。




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うそつきと

2023-07-19 04:42:15 | 短歌





うそつきと たぬきばかりの 世の中に 一筋流す まことのことば




*今週は一首も詠めないかと思い、過去作から探そうと思っていたのですが、ぎりぎりで昨日、一筋詠めました。これもタイッツーの方に発表したものですが。

世の中のすべてが、うそつきやたぬきばかりとは言いませんが、そうとしか思えないほど、目立つところに出ている人は、うそばかりが多いですね。特に、最近人気の某野球選手などはひどい。あれはものすごい嘘なのです。

たいした人気で、毎日のようにワイドショーで取り上げられていますが、あれは馬鹿の霊集団が総出で作り上げた、偽物の人間なのです。なんだか出来すぎているでしょう。大勢の他人から幸福を盗んできて、自分一人につぎ込むから、ああなるのです。

世間では、ああいう臭い偽物ばかりがもてはやされ、嘘ばかりが大繁栄している。そういう世の中に、一筋のまことのことばを投げかける。しかしそのことばには、すべてに無視されているかのように、何の反応もない。

見ている人は大勢いるのですがね。馬鹿がこれだけのさばっている世の中では、真実を語る言葉は、きつい仕打ちを受けるのです。

だがわたしたちは語るのをやめない。いろいろと馬鹿に妨害されながらも、一筋の愛の言葉を発し続ける。それが確実に人類の魂に届いていることを信じて。

嘘と本当がさかさまになっている今の時代を変えていくために、まことのことばを流し続けていく。




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低きより

2023-07-12 04:37:01 | 短歌





低きより またやり直す 切り株の 細きひこばえ いとほしきかな




*これはツイッターに発表したものではありません。タイッツーというね、何か冗談みたいな新しいSNSに発表したものです。

いつまでも同じことばかり繰り返すのは、わたしたちもつらいので、少し新しいことを始めてみたいと思い、参加したのですが、なかなか楽しいですよ。ここを起点に、何かが発展していくといいですね。

表題の歌は、いつもお参りしている神社の境内にある、楠の木の切り株を見ながら思いつきました。写真の切り株がそうです。この木も、もとは相当に高い、すばらしい樹勢をもった木だったのですがね、ある日無情に伐られてしまいました。

こんなことをされてしまったら、もう生きるのをあきらめて枯れてしまってもおかしくはないのに、木はまだあきらめていないようです。まだ生きようとしている。小さなひこばえをいくつも出している。

それが美しくて、表題のような作を作ったのです。

かつてすばらしく高かったものが、低いところからまたやり直すために、小さなことをこつこつと始めている。

しかしせっかく出したひこばえも、何度も摘まれて、丸裸にされるのです。でも木はそれでもあきらめずに、また細い緑を出している。

伐られても、摘まれても、まだ生きることをあきらめていない。そんな木がいとおしいのは、わたしたちも、何度も無情な世間の風に滅ぼされたことがあるからでしょう。そして何度もやり直してきた。

できるなら、このまま静かに見守ってやりたい。でも無情な人間世界は、彼が生きていこうとするのを、どうしても阻むのです。






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越えがたき

2023-07-05 04:09:32 | 短歌





越えがたき 山に挑めと いはれつつ 人の心は いつまでまよふ




*最近は少しずつですが、歌が詠めるようになってきています。妨害活動はまだ続いていて、本調子ではありませんが、そんな中でもそれなりに何とかなってきているようだ。あまり満足のいくできではありませんが、今は少しでも詠めるようになったというのに、喜びを見出しましょう。

乗り越えるのに難しい山だが、できないことはないと信じて、これからもやっていくしかない。

表題の歌は、わたしたちの活動を陰からずっと見つめている人々に呼び掛けて詠ったものです。わたしたちには、大勢の馬鹿がとりついているのですが、彼らは、少しでも誰かがわたしたちにきれいなことをしようとすると、大勢で襲い掛かって邪魔をするという、すさまじい馬鹿をやるのです。馬鹿はわたしたちが、いいことになるのがとてもいやなのです。そうなれば自分たちがとてつもない馬鹿になるからです。人類の救済を、性欲や嫉妬を理由に激しく邪魔した、とんでもない阿呆になるからです。

だから彼らは必死でわたしたちの邪魔をする。わたしたちがいいことにならないように、いつも見張っている。そんな馬鹿の集団がいるので、誰もわたしたちには近寄ってこれない。

ですがこのままでは、人類は天使に救ってもらって、自分たちは何もしなかったという馬鹿になってしまうのです。だから何とかしてこの馬鹿の山を乗り越えて、わたしたちにアクセスしてこなければいけないのだが。

だれもそれをやるものがいません。わたしたちにとりついている大馬鹿者たちの攻撃が怖いからです。あんなものにやられたら、ネット社会で抹殺されてしまう。それがつらくて、だれもわたしたちに寄ってこれない。

きついことだが、この状況はこれからもしばらく続くでしょうね。馬鹿はありとあらゆる方法を使って、わたしたちの活動を制限しにかかる。

まあそれもいいとしましょうか。彼らのおかげで、わたしたちは世間のいやな風に当たらずに済む。ネット上で自由に発信し、良いことをみなに教えることができる。

しかしいつまでもこの状況に甘えているわけにもいきませんよ。人類の存在に、何もしなかったという影を押したくなければ。どうにかして、この難しい山を、乗り越えていかねばならない。





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