ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

空低く

2023-08-30 04:32:59 | 短歌





空低く かかる月をぞ あなどりて 届くものとて 弓を引く人




*今週は一首も詠めませんでした。馬鹿の妨害はますます深くなってきます。何とか歌をひねろうとしても、感性の中枢をがちがちに固められていて、何も思い浮かばないのです。苦しいですね。いつまでこれが続くものか。

ゆえに表題の策は、6年前わたしたちが絶好調だったころに仲間が詠んだものです。こういう時積み重ねはありがたいですね。なお、元の作品は最後の7が「弓をしぼりぬ」になっていましたが、今回ここで紹介するにあたって「弓を引く人」に変えました。そのほうが歌がひきしまると思ったのです。

これは、かつてかのじょを陰からいじめていた人のことを詠った歌です。馬鹿な人たちは、あの美女を思い通りにするために、様々な罠をしかけて地獄に落とそうとしたが、ことごとくその思惑は外れた。あんな女、みんなでやれば簡単に引っかかって、すぐに馬鹿になるだろうと思っていたら、全然引っかからなかった。それはなぜか。

同じ地上に生きているのがここから見えるから、すぐに届くものと思っていたら、あの人はまるで月のように遠いところにいたからです。

その魂が、あまりに高いところにいた。

美人なんてみんな馬鹿なものだと思っていたら、その美人はとんでもないことを考えていた。人類の救済を真摯に考えていた。そのために陰で必死の努力をしていた。そんな美しい魂を、神が見捨てるはずはないのです。

同じ地上に生きていても、魂の世界が違えば、触ることもできない。馬鹿な人たちはそういうことも知らなかったのです。だから何度も何度も馬鹿な罠をしかけた。届くものと思って、月に向かって弓を引くようなものだ。

届かなかった矢はどこにいくでしょう。それは巡り巡って、自分に帰ってくるのです。汚い罠を仕掛けて美人を落とそうとした地獄に、自分が落ちなければならない。馬鹿な人たちは、そんなことさえ知らなかった。

自分のしたことは、必ず自分に帰ってくるということさえ。




  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わがものと

2023-08-23 04:40:18 | 短歌





わがものと おもひしことの われならず すべて我が世は あほうとなりぬ




*馬鹿の妨害は長々と続いています。頭をしぼっても、言葉がなかなか思いうかばず、歌がなかなか詠めません。それでも今週はいくつか詠めましたか。あまりいいできではありませんが、そこから一つあげてみましょう。

自分がしたことと思っていたことが、そうではなく、自分の人生がすべて、馬鹿になってしまった。

これは、ある死者の心を詠ったものです。その死者は生前かなり有名なアーティストで、それなりの仕事をした人だったのですが、死んでから、それらがすべて嘘だったということが、わかったのです。

自分でやったと思っていた仕事が、すべて、裏の馬鹿の霊たちにやってもらっていたことだった。自分の才能も名声も、すべては嘘と盗みで作った偽物だったのです。それを知ったとき、死者は愕然とした。それなりにいい仕事をしたいい人生だと思っていたのに、それがすべて、嘘だったからです。

このように、嘘と盗みで自分の人生を良いほうに回そうとする人は、たくさんいますが、いつも死んだ後で、大きなショックを受けるのですよ。自分の生きてきた人生が、まるごと馬鹿になるからです。それはそれはつらい。

結局嘘は何にもならない。自分の人生を嘘で作った死者は、自分では何もやっていなかった。他霊がやってくれていたことを、自分がやっているものと思い込んでいただけだった。むなしさが重い石のように心に落ちてきて、人生を偽造した罪だけが自分に残る。

それにしても、表題の作は大火のものですが、彼にしては少しおとなしいですね。彼なら普通、最後の七は、「糞となりぬる」とでもするのではないかと思うのですが。その方が、人生を嘘で満たした馬鹿者の絶望感が強く出るように思います。

死んだばかりの死者に鞭を打つのを、少し遠慮したのかもしれません。








  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人を盗み

2023-08-16 03:53:23 | 短歌





人を盗み 美女に化けても ごまかせぬ 心の臭ひ まなこの暗さ




*今週は一首だけ詠めました。あまりいいできではありませんが、せっかくできたので、それをとりあげましょう。

この歌、ツイッター(今はXというんですか)で発表したときは、「美女となりても」となっていましたが、ここに発表するに、「美女に化けても」に推敲してみました。そのほうが盗む人のあくどさが表現できると思ったのです。

人の顔姿を盗んで、美女に化けても、そのいやらしい心の臭いや、目つきの暗さはごまかせない。

偽物の美人というものは、何にも勉強していない魂が、ただ美人になりたくて、人の顔や姿を盗み、美人に化けるというものです。美人になれば、男がみんな寄ってきて、何でも自分のためにしてくれて、いいことになれるとか、そういうことばかり考えている馬鹿が、やることなのです。

魂の勉強ができていない人は、悪いことをするという感覚もなく、平気で人の美貌を盗む。それは自分だけよければいいという心だ。そんな心が美しいわけがない。盗んだ美貌をかぶって、どんなに外面をきれいに装っても、目つきや表情から醜い心の姿が見える。それは時に、美しい顔が奇妙に歪んで、破壊的に醜く見える。

表面をどんなに取り繕っても、その言葉遣いや行動の仕方から、心は臭い立ってくるものですよ。そして勉強のできていない魂というものは、目つきが暗く、揺れ惑っている。そういうところから、どうしても自分の正体が漏れ出てくるのです。

そんないやらしい偽物に、自分をしているということが、どんなに愚かなことか、馬鹿な偽物美人は、まるでわかっていないわけでもない。わたしたちが繰り返し繰り返し教えてきましたからね、それが彼女らの心にも届いているのだ。

本当に美人になりたいなら、あくどい盗みなどはすべてやめて、盗んだものを返し、本当の自分の姿に戻り、そこから真面目にまっとうに人間の修行をしていくべきなのだ。そのほうが百倍も美しい。正しいことをしているという自信が、まっすぐな明るい目に出てくる。

でも、わかっていてもなかなかそれができないのが馬鹿なのだ。本当の自分に戻れば、あくどいことばかりしてきた自分の、醜い姿が出てくるからなのです。心そのままの、貧しいブスが出てくるからなのです。

痛い美人からブスに落ちるのが嫌で、馬鹿者の心は暗いところを迷い続ける。その心の迷いが、まなこに染み出てくる。

それは明るい目をした本当の美女とは、全く違うものなのです。







  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

つぶらな目

2023-08-09 06:03:26 | 短歌





つぶらな目 子供みたいに 馬鹿なふり 昔はこれで いけたんだけど




*このところ、歌が全く詠めません。頭をしぼってひねろうとしても、言葉が何も浮かんでこないのです。まいりましたね。馬鹿の妨害はずいぶんと深いところまで進出してきているようです。

なので表題の歌は、6年前に詠んだものです。見ればわかる通り、見事な大火節です。いや、きついですね。要するに、馬鹿な女の子の、男をひっかける手というものですね。かわいいつぶらな目で見つめて、子供みたいに馬鹿なことを言ってみれば、かなり男はだまされる。こういう手で男をつかまえることができた女の子は、かなりいるようです。

でも、いつまでもこれは通用しない。男もいろいろ経験して学びますから。女は馬鹿なほうがよいと思って結婚してみたら、その馬鹿が実に馬鹿なことをするのを見て、いやになってくる。やはり女性は賢いほうが良い。愛がわかっていて、ものごとの機微がわかっている女性でないと、長く一緒に暮らしていくのがつらい。

知性が高く、頭の良い女性のほうが、よっぽどいいことをしてくれるんだということが、男性もわかってくるのです。

自分の知性をひけらかして男を馬鹿にしようとする女性などは、頭が良いとは言えませんね。本当に頭の良い女性は男性を尊敬します。男性というものがよくわかっていて、よい男性は大事にすればとてもよいことをしてくれるということを知っている。女性が愛をこめて尽くせば、すばらしい男性になってくれるとしている。

まあ、男にもいろいろいますがね。

いい男をつかまえたいなら、いつまでも下手なぶりっ子をしてないで、勉強をすることですよ。自分のわがままを抑えて、人に尽くしていく修行をしていくべきです。そうすれば、愛の機微がよくわかってきて、とてもかわいらしい、よい女性になってくる。

いつまでも馬鹿は通用しませんよ。






  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生は

2023-08-02 04:33:38 | 短歌





人生は ただじゃないのよ 本当は 後できっちり 払わされるの




*今週はおもしろいのを行きましょう。これは大火が詠んだものですが。

この歌にある通り、人生はただではありません。人間は、後でその代価をきっちり支払わねばならないのです。

と言って、お金のようなもので払うのではありませんよ。それは、清い魂の労働をして払うのです。人生を終わった後で、みんなのためによいことをして、支払うのです。

本当ですよ。実際、人生というのはいいものだ。すばらしい生命と肉体を得て、この世を生きていく。そんなすばらしいものを、惜しげもなく神様がくれるのですが、無料でくれるわけではない。そこは神様も、人間にそれなりのことをやらせるのです。

人生がただではないとわかったら、何もせずに無駄に生きることがどんなに愚かなことかがわかります。生きているうちに、いろいろな経験をして、勉強していかなければ損なのです。授業料を払う限りは、何かを身につけて帰ってこなければ、馬鹿になりますよ。

その人生のうちで、何も学ばなかった人は、人生の支払いがとても難しいことになります。よいことをするためには、たくさんの人の力が必要だからです。みなに頭を下げて、協力を仰がねばならない。そのとき、人に頭を下げる修業ができていない人は、とてもつらい思いをします。

人に仕えて、人に尽くしていくという勉強を重ねていかないと、死んだ後でたいそう苦労します。

ですから、人生勉強を怠ってはなりません。ときにはつらい思いにも耐えて、自分の心に力をつけておかなければ。

人間は、自分でこの生命を作ることはできません。すべて神様がやってくださるのです。それをいただく限りは、美しく人生を生き、良いことを学んで、自分というものを大きく育てていかねばなりません。









  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする