ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

まぼろしの君

2022-09-28 07:54:37 | 短歌





こひすれど 心かへらぬ まぼろしの 君ををがみて 夢失せにけり




*今週は三つほど詠めました。ここ最近の調子としては良い感じですね。少し感覚が戻ってきた気がします。このままだんだんと自分の調子を取り戻せていけたらいいのですが。さて。

表題の歌は、芸能界の現実について詠ったものです。

恋しても、決して心が返ってこない、幻のような君を拝んで、夢が失せてしまった。

最後の7が今一つですが、意味は通ります。ほんとは「金失せにけり」とした方が現実に添っているような気がしますが、それだとあまりにあからさまなので、やめました。

芸能界ではたくさんの若い美男美女が、歌って踊って色を売っていますがね、あれらはほとんどみな偽物なのです。他人の美貌を盗んで作った偽物の美人ばかり。本当の正体は実に暗い不細工な人間なのだが。

人はああいう胡散臭い美人に幻想を描いて、心を売り渡し、まるで宗教のように、信じ込んでしまうものなのだ。

あんなものを、どんなに愛しても、心は返ってきませんよ。目的はほとんど金なのです。愛だの恋だのともっともらしいことを歌って、人をだまし、金をしぼりとろうとする、はっきり言ってしまいますが、詐欺に等しい商売なのです。

きついですね。ちょっと大火の影響がある。彼は芸能界が嫌いですから。まあ、わたしたちの中に、芸能界が好きな人はいませんがね。あれらはみんな嘘なのだ。愛のふりをして、多くの人間の心をだましている。

芸能界はこれから、だんだんとだめになってくるでしょう。多くの人が、自分に目覚め、嘘を見破れるようになるからです。本当の愛で、みんなのためにやっている人には救いがあるでしょうが、自分の幸せのために人を利用しようとしている馬鹿は、滅んでいくでしょう。




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神の空

2022-09-21 08:42:02 | 短歌





蝉の声 消えて吹き来る 風は冷え しづかに高き 神の空かな




*今週も、一首も詠めませんでした。苦しいですね。詠みたいのに詠めないのはもどかしい。感性をフル稼働して言葉を組もうとしても、何も浮かんで来ないのです。少し水を向けるだけですらすら詠めていたころが夢のようだ。今はとにかく、この状況に耐えるしかなさそうです。

ゆえに、冒頭の作は5年前に詠んだものです。正確にはわたしが詠んだものではないのですが、この季節にぴったりだと思って取り上げました。

台風が過ぎたら、一気に秋が来たような感じですね。あれほどうるさかった蝉の声ももう聞こえない。風も冷えてきて、見上げれば高い空に神がいらっしゃる。

めぐる季節の約束を、神は決してたがえたりしない。夏の次には必ず秋が来る。当然のようにそうなることが、奇跡のようにすばらしいことなのだ。

神はその約束を守るために、陰でどのような努力をなさっているのだろう。星を動かし、風を動かし、空を動かし、神は常に、すべてのために努力なさっている。それなのにそれを決しててらうことはなさらない。静かに空にいらっしゃって、いつでも見つめていてくださる。

神は遠くにいるものではない。見上げればいつも空にいらっしゃる。わたしたちがすべてをわかるようになるまで、いつまでもそばにいて、わたしたちを育ててくださるのです。

人間はもう、それを感じることができるようになった。空を見れば神を感じ、神のおっしゃることがわかるようになった。ここまで来るまで、神はどんなことを人間のためにやってくださってきたのだろう。

空を見るたび、はるかな思いにとらわれ、胸が静かに澄んでくるのです。






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目覚めよ

2022-09-14 09:18:56 | 短歌





長き世を 灰に朽ちゐし よきものよ 目覚めよそして 我がことをせよ




*今週は、歌がひとつも詠めませんでした。馬鹿に頭脳活動を妨害されて、発想が何もわかないのです。詠もうとしても、陳腐な言い回しが頭をかすめるだけで、ちっともよくありません。この調子が続くと苦しいですね。でも今は我慢するしかない。

それで今日の歌は、かのじょの作からもってきました。2008年の作ですから、今から14年も前の歌ですね。

今なら、解脱をした人もたくさんいますから、この歌の意味がおおいにわかるでしょう。長い迷いの世の中を、灰の中に朽ちているように、魂を腐らせていたものよ、あなたはよきものだ。自分に目覚めて、自分のことをしなさい。

ですがこれが発表された当時、かのじょの意図が分かった人はだれもいませんでしたね。かのじょは本気で、世界を変えようとしていた。今は迷いの中にいる魂も、いずれは自分に目覚めて、美しくなり、自分で自分をやり始める。そうなれば、この世に美しい天国の柱が立つだろうと。

新しいことをしようとするものは、いつも最初は変な人だと思われるものだ。かのじょもそれで相当につらい目にあった。人に誤解されて、精神病院にたたきこまれたこともあった。それでも人類の未来を信じて、かのじょは叫び続けていたのです。

人類はよきものなのだと。いつか必ず目覚めて、本当の自分をやり始めるだろうと。

今、そうやってかのじょがまいてきた種は、大きく育ち始めている。多くの人が解脱して、自分に目覚め、美しい自分をやり始めている。未来が大きく動き始めている。

人類の迷いの闇が、世界を閉ざしていた時代に、ひとすじに人類の新たな未来を信じて、愛を叫び続けていた人があったのです。




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えらさうに

2022-09-07 07:24:35 | 短歌





えらさうに いへばおのれが 馬鹿になり 人に頭を 下げねばならぬ




*なんとなく、水曜日にここの記事を書くのが習慣になってしまいました。一度癖がつくと、どうしてもそれでやらねばならないような気になりますね。別に誰かに強制されたわけでもないのに、何らかの規則に従いたくなるのは、わたしたちの癖かもしれません。

ところで表題の歌ですが、解説の必要もないほど明らかなことですね。人間、偉そうにものを言うと、それが自分に返ってきて、自分が馬鹿になるような事態を招き、人に頭を下げねばならなくなる。そういうことはよくあります。

人間のできた人なら、人に頭を下げることなど簡単にできるものだが、まだ幼児的プライドに凝り固まっている人には、それがとても難しい。またそういう人に限って、必要もないのに偉そうなことを言ってしまうものだ。自分を下げて、丁寧にものを言えばなんとかなるものを、自分を大きく見せようとして、偉そうなことを言ってしまう。そして世間からの反動を食らい、みごとにプライドをたたきつぶされるようなことになる。

はたから見れば、それも人間の修業なのだと言えますね。偉そうなことを言って、たたきつぶされるということを繰り返して、人は自分を押し下げることの大事さを学んでゆく。偉そうにものを言えば、それが自分に返ってきて、自分の不幸の種を作るのだということを、深く自分に刻み付けていく。

人に頭を下げられる人は、そういう大事な修業をちゃんと修めてきた人です。人間、それができなければ、半端者といわれても仕方がありません。生きていくには、時に応じて上手に人に頭を下げていくことも、できなければならないのです。

自分の分もわきまえず、偉そうにものを言えば、それが自分に返ってきたとき、とてもつらいことになりますよ。言葉は、丁寧に、美しく使わねばなりません。人を馬鹿にするように、嫌な言葉を使って偉そうにものを言えば、自分の不幸をひっかけるのだということを、覚えておきましょう。




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