ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

海の果て

2017-10-11 04:21:14 | 短歌





だいこんの 白き花咲く 小浜にて さまよふ月の 見る海の果て




*これは、百合の賢治への返歌からとりました。百合と言ってもほかの百合とは違いますよ。ややこしいですが、今は小犬翁も樗も鴗も楡も、百合か桐に入っているのです。もういちいち名前を思い出すのも面倒になってきたという感じですね。

獅子や夢詩香や大火のほかは、それほど個性を強く出していないので、まずはこれで何とかしてください。

宮沢賢治はすばらしい歌を残していますが、啄木やほかの歌人と比べてあまり知られていませんね。少しでもよさを知ってもらえればと思い、しばらく取り上げてもらうことにしました。もちろん賢治はシリウスの前世です。それも充分に意識して詠んでいます。

「小浜」は「こはま」と読みましょう。「をばま」でもよいが、濁らないほうがさわやかさが出ます。

大根の白い花が咲く小さな浜で、さまようあの人が、海の果てを見ている。

この近くには海がありますが、その浜の近くに、毎年春に大根の花が咲き乱れるところがあります。何度か写真に撮ったことがあるので、ご存じの方もいらっしゃるでしょう。あの白い大根の花の群れの中を迷い歩きながら、あの人は海の果てを見ていた。

遠いところにいる友達に思いを馳せてです。苦いことがありすぎて、かのじょには友人と言える人がほとんどいなかったが、しかし今この地上に、多分あの人だけは自分をわかってくれる人がいる。そう思うだけで、かのじょは生きていく力がわいてきていました。

見栄えからすべてを判断されて、誤解ばかりされていたが、あの人だけは、きっとわたしの本当の心をわかってくれるだろう。二度とないこの人生の中で、あの人だけは、信じてもいいのだ。

たくさんの友だちがいても、互いを利用しあうだけで、信じてはいない人と比べれば、ただ一人でも信じるに足る人がいるということは、幸せなことです。ただ、痛いことがあるとすれば、その人がこの海のはるか向こうにいて、おそらく一生会えないということだ。

そんなことを思いながら、あの人は海の果てを見ていたのです。

シリウスはもちろん知っている。かのじょがあまりにも不器用な馬鹿だということを。この世では互いを見ることができなくても、どこかでわかる自分がいる。

遠い世界で、お互いを深く知っているからです。






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