一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

「親日」台湾の幻想

2010年11月15日 | 


良書である。

はじめの「JAPANデビュー」の保守派を独断的に批判するくだりは、リベラル左派の論客かと錯覚したが、読み進めるにつれ左右どちらにも偏らない中道的なバランス感覚を感じた(それでもJAPANデビューについての意見にはいささか反論もある)。
また政治的な提言も非常に建設的かつ有効的なものに思えた。
米国追随一辺倒でもない。
中国にもむやみに近づかない。なぜなら対等に話し合える国ではないのだから。
まずは日本と台湾、そして韓国との関係を緊密かつ良好にすることがアジアの安定をもたらす、という著者の主張には私も同感である。

以下は本書を読んだ上での雑感である。

台湾と台湾人は総じて親日的である。

台湾に住んだことはないが、台湾人の妻の話などを聞くにつけ、それは確かなことのようである。
そのこと自体は日本人として、素直に嬉しい。

しかし、私は日本の保守派の人たちが「台湾人は親日である」というときの「親日」には、どこかに違和感を覚えていた。
何かが微妙にズレていると・・・

彼らは言う。

「台湾人は日本の統治時代にとても感謝しているんだ」
「日本時代に生きた台湾の老人たちはみんな日本統治を懐かしんでいるんだ」

彼らの主張を聞くと、あたかも台湾の老人たちが手放しで日本時代を賞賛しているかのようだ。
しかし実際は戦後の中華民国政府と比較して、相対的に日本政府の統治の方がよかったと思っているに過ぎない。おそらく誰もあの頃に戻りたいと思っている人はいないであろう。
またどんなにひどい時代に生きたとしても、人の心理として若かりし頃を懐かしむのは自然なことだ。それは何もあの時代がよかったからという理由にはならないのである。

保守派の自己陶酔的な親日観は、木を見て森を見ず、である。
つまりはピントがズレている。
物事の一面だけを捉えて、それを全体に敷衍しているにすぎない。台湾が親日な理由として、統治時代のことしかネタにできないようでは、いつまで経っても台湾のことを本当に理解することはできないだろう。
もちろん日本時代に身命をかけて台湾に尽くした八田與一氏の功績などは、美しく尊い生き様として末永く伝えられるべきである。個々の宝石のような人生は、人類の遺産として大事に伝えていかなければならない。
しかし、個々の業績が素晴らしいからと言って日本統治が賞賛できるということにはならないのである。

そして、現在、日本時代の老人以上に著者が萌日(もえにち)と言ってはばからないほど「日本好き」を牽引している台湾の若者たちがいる。
彼らにとって、日本が好きな理由に日本時代云々ということは、まったくと言っていいほど関係がない。

彼らが惹かれるのは、あくまでも戦後日本が醸成してきた平和的な民主主義の雰囲気と、日本人の本来穏やかな国民性とが相まって生まれたサブカルチャーが中心である。
アニメ、漫画、芸能、ファッション、ゲーム、AV・・・
こうしたものへの興味がきっかけとなって、さらに日本の歴史や文化に関心を持つ人たちも増えてきているようだ。

今度は台湾のよさをもっと日本の若者に伝え広めていき、双方向の良好な関係を築いていきたい。
韓国ドラマはいざ知らず、住んで楽しいのは韓国より台湾であろう。
台湾は日本人にとって韓国や中国とは比較にならないくらい居心地のいい国なのだから。


眼から鱗の洞察力に優れた分析も多く、台湾に10年在住しているだけに説得力のある文章に感じた。

右も左もノンポリも、日本と台湾の関係に興味がある人は必読。いや、台湾に関心がなくても、日本の将来の外交について憂慮している人にはぜひ読んでもらいたい。台湾は日本にとって、なくてはならない良き友人なのだから。

蛇足だが、

・日本人は他人に厳しいが、自分にも厳しい。
・中国人と韓国人は、自分に甘く他人に厳しい。
・台湾人は自分に甘く、他人にも甘い。
という著者の分析は言い得て妙だと思った。

もっとも日本人も、自分に甘く他人に厳しい人が増えてきているように思うが・・・。


この命、義に捧ぐ~台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡~

2010年11月15日 | 


戦後、蒋介石への報恩のために台湾に渡った根本中将。

金門島において国府軍の軍事顧問として指揮を執り、見事共産党軍を殲滅。命がけで台湾を共産党の魔手から防いだ。

ただ義のために。

しかし、この事実は歴史の闇に葬り去られていた・・・。

中国国民党にとって、敵国日本の軍人に国家存亡の危機を救われたとは口が裂けてもいえまい。

本書を読んで一層日本と台湾の歴史的関わりの深さを感じた。

しかし、「根本博は台湾を救った」というよりも「中国国民党」を救った、という感は否めない。そこがどうしても私には共感しにくい部分でもあった。
実際、中将が命をかけたのもあくまで蒋介石のためであって、台湾のためという意識はあまりなかったのではないだろうか・・・。
とはいえ、結果的に共産党の侵略から台湾を守ったという面では、台湾にとっての恩人といっても過言ではないだろう。
国民党がどれだけひどい政権であったとしても、中国共産党よりはまだマシだと思うからである。

また本書では根本中将の懐の深さ、人間的な魅力も描かれていた。どこか硫黄島の栗林中将とも通じるものがある。

その分、☆ひとつおまけ。

開山忌

2010年11月15日 | 思い・お寺の活動
昨日、当寺恒例の開山忌法要が無事に終わりました。

昨年から、お寺の活動を通して社会貢献もできればと思い、シャンティ国際ボランティア会の協力のもと、
法要の前にチャリティ寄席を行っています。

今回は、太神楽の曲芸と落語の二本立て。

橘ノ圓満さんの落語も二ツ目さんとは思えないほど上手でしたが、意外に檀家さんたちに受けたのが鏡味初音さんによる太神楽の曲芸でした。

独特の和み系の声(ちょっと山崎バニラの似の声)と、緊張感のある技とのギャップがとても面白い。

やはりプロの芸は侮れないな、と思いました。

プロのプロたるゆえんは、一意専心、一心不乱の精進から生まれる研ぎ澄まされた「型」に現れているのかもしれません。

そして、その「型」がその人の生き方にまで浸透すると、行住坐臥、全人格的な輝きとなって現れる。

プロの芸人、プロの医者、プロのサラリーマン、プロの教師、プロの主婦、プロの坊さん・・・

自分は果たしてプロの坊さんと言えるか、自問する。

坊さんの場合それはテクニカルなことではなく、生き方の問題に直結してくる。

一番ハードルが高いかもしれません。


今回の参加者は50人届きませんでした・・・。

出し物をやっても思ったようには人数が増えない。

一喜一憂してもしょうがありませんが、お寺離れを食い止めるにはイベントで人を集めるよりも、

住職が地道に檀家さんの信頼を築いていくことの方が大事なのかもしれません。