「自己をはこびて万法を修証するを迷いとす。万法すすみて自己を修証するはさとりなり」
(道元禅師)
「私が私を強いて神に到らしめるよりは、私が神を強いて私に来たらしめる方がはるかに高貴である」
「けだし愛は私を強いて、私が神のためにあらゆるものを堪え忍ぶようにするが、離在は私を強いて、私が神以外の何物をも受容しないようにするからである」
(M・エックハルト)
マイスター・エックハルト
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東西の宗教的天才の言葉がつながった。
道元禅師は絶対無の立場。
エックハルトは絶対有の立場。
反対のように見えて、実は同じことなのだ。
絶対無は絶対有であり、絶対有は絶対無である。
完全に満たされていると同時に完全に無である。
坐禅と離在。
表現は異なるけれども、両者を結びつけるのは、
自己を忘るるということ。自己をむなしくするということ。
徹底的に。
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