最近は毎日、7:00から本朝課(日替わり朝課)、7:30から坐禅という時間割が定着してきた。
暁天坐禅は約20分。
シンポジウムの合宿で知り合ったMさん(予備校講師)がいらっしゃる時は、二人で一緒に坐る(週の半分くらい)。
ちなみに偶然にもMさんのお住まいは寺から徒歩5分のご近所。
ご縁、しかも勝縁と言っていいだろう。
不思議なもので、ひとりで坐るより、やはり二人で坐る方が俄然張り合いが出る。
これが宗門でよく言う、「大衆の威神力」というものか。
本堂縁側で外に向かいながらの坐禅。
実に気持ちいい。
坐禅が終わった後は、文殊菩薩の掛け軸に向かって三拝。
そして、お互い対面して、朝参(朝の挨拶)。
「おはようございますっ!!」
お互いにここではじめて声を出す。
心地よい緊張感のある「挨拶」。
禅寺の流儀である。
まだ、なかなか挨拶が揃わないが、これから阿吽の呼吸でピタリと揃うようになれば素敵だろう。
だが、ここだけの話、Mさんは真面目なのにどこか愉快な感じのする方なので、挨拶の時にMさんの顔を見てしまうと思わず吹き出しそうになることがある。
これには困ったもんだ・・・
私の修行不足のせいだろう・・・。
冗談はともかく、
とにかく毎日坐ること。
一日20分という時間は短いかもしれない。
少しづつ夜坐も習慣化していこうと思う。
これから仲秋になり、初冬、真冬とだんだん寒くなってくるだろう・・・
四季の移り変わりとともに只管に端坐するのみ。
コスモス(全宇宙)とともに坐る。
宣言した1000日不断の坐禅(もちろんMUST化はしないつもりだが)。
1000日が終われば、また1000日、
そしてまた1000日・・・
果てしないロマン・・・
<追記>
恥ずかしながら、毎日坐ろうと思うようになったのは、岡野守也先生のおかげである。
この場を借りて深謝したい。
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応援ありがとうございました!
暁天坐禅は約20分。
シンポジウムの合宿で知り合ったMさん(予備校講師)がいらっしゃる時は、二人で一緒に坐る(週の半分くらい)。
ちなみに偶然にもMさんのお住まいは寺から徒歩5分のご近所。
ご縁、しかも勝縁と言っていいだろう。
不思議なもので、ひとりで坐るより、やはり二人で坐る方が俄然張り合いが出る。
これが宗門でよく言う、「大衆の威神力」というものか。
本堂縁側で外に向かいながらの坐禅。
実に気持ちいい。
坐禅が終わった後は、文殊菩薩の掛け軸に向かって三拝。
そして、お互い対面して、朝参(朝の挨拶)。
「おはようございますっ!!」
お互いにここではじめて声を出す。
心地よい緊張感のある「挨拶」。
禅寺の流儀である。
まだ、なかなか挨拶が揃わないが、これから阿吽の呼吸でピタリと揃うようになれば素敵だろう。
だが、ここだけの話、Mさんは真面目なのにどこか愉快な感じのする方なので、挨拶の時にMさんの顔を見てしまうと思わず吹き出しそうになることがある。
これには困ったもんだ・・・
私の修行不足のせいだろう・・・。
冗談はともかく、
とにかく毎日坐ること。
一日20分という時間は短いかもしれない。
少しづつ夜坐も習慣化していこうと思う。
これから仲秋になり、初冬、真冬とだんだん寒くなってくるだろう・・・
四季の移り変わりとともに只管に端坐するのみ。
コスモス(全宇宙)とともに坐る。
宣言した1000日不断の坐禅(もちろんMUST化はしないつもりだが)。
1000日が終われば、また1000日、
そしてまた1000日・・・
果てしないロマン・・・
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恥ずかしながら、毎日坐ろうと思うようになったのは、岡野守也先生のおかげである。
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