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古賀茂明 安倍晋三氏亡き後も日本にはびこる「安倍的なもの」の正体

2023年07月18日 | 社会・経済
 
 岸田首相も操られ進む破滅の道 
 
AERAdot 2023.07.18

 安倍元首相殺害から1年。メディアでは、「安倍政治検証」の報道が続いた。また、安倍氏亡き後も安倍氏の政治が続いているかのように見える現象について、その解説を試みる記事も多く目にした。

 私個人としては、すでに今春公開のドキュメンタリー映画「妖怪の孫」とその原案となった『分断と凋落の日本』(2023年、日刊現代・講談社)で安倍政治の検証とともに、安倍氏亡き後の「安倍的なもの」による支配の強化という現象への「警鐘」を鳴らしたつもりだった。

 しかし、今回のアベ一周忌フィーバーの記事を見る限り、この「危機感」が広く共有されるには至っていないようだ。

 そこで、短い論考ではあるが、安倍的なもの――これを私たちは「妖怪」という言葉で表現した――の蔓延が、日本にとっていかに危険なものであるかについて解説してみたい。

 この話に入るには、本来は安倍政治の検証が不可欠である。しかし、その余裕はないため、一言でおさらいすると、安倍政権は「レガシーなき長期政権」であった(拙著『官邸の暴走』<2021年、角川新書>の冒頭参照)。

 当時はまだ安倍政治が素晴らしかったと信じる人も多かったが、外交では何の成果もなく、経済はマクロ的には破綻に向かってまっしぐら、主要な産業もボロボロだと指摘した。今は多くの有識者も同様の指摘を行っている。つまり、良い意味でのレガシーなど何もなかったということだ。

 他方、マイナスの意味では、安倍政治は4つの大きな負のレガシーを遺した。

「官僚支配」「マスコミ支配」「地に堕ちた倫理観」「戦争できる国づくり」の4つだ。

 いちいち説明する必要もないだろう。

 念の為、安倍政治を検証する一つの簡易的方法として、安倍政治がなかったらどうなっていたかを考えるとわかりやすい。

 例えば、外交安全保障については、安倍政治がなかったらどうなっていたか。

 安倍政治の前までは、集団的自衛権は憲法違反で、これを認める議論などなかったし、台湾有事=日本有事など、口にもできない話だった。つまり、米中戦争が始まっても日本はそれに参加することなどできなかったのだ。

 だが、今や、台湾有事=日本有事は当然とばかりに中国との戦争準備が進んでいる。安倍氏がいなければ、戦争を回避できたのに、自ら巻き込まれる道を開いたという点だけ見ても、外交安保では明らかに失敗だったと言って良い。

 ここまで考えて、はたと気づくことがある。安倍政治がなければということと同時に、「岸田政治がなければ」ということも考える必要があるということだ。敵基地攻撃能力の保有も防衛費倍増も安倍氏はできなかったが岸田氏が決めた。戦争に向かう原動力として岸田氏の力も無視できない。

 そこで、最近流行っているのが、宏池会出身でハト派だったはずの岸田首相がなぜ安倍氏を超えるほどのタカ派になったのかというお題の記事である。

 これに対する私の答は、

「安倍氏が旧統一教会という反日団体、これと正反対の日本会議などの国粋主義的右翼団体などを合同させて岩盤保守層としてまとめ上げたことと、前述した4つの負のレガシーが共振して起きている現象である」というものだ。全て安倍氏が原因である。

 比喩的に言えば、その裏には不死身の「妖怪」の働きがある。岸信介元首相は「昭和の妖怪」と呼ばれ、安倍元首相はその孫だから「妖怪の孫」なのだが、それで終わりというわけではない。安倍元首相亡き後も、そこに残された妖怪は、安倍氏の負のレガシーが作った「妖怪にとって極めて快適な環境」の中で、むしろ感染力を高めて人々を蝕んでいる。岸田氏もその影響下で操られる人形の一つだ。

 例えば、4つの負のレガシーの一つ、「官僚支配」は長い安倍政治の中で完全に霞が関に根付いてしまった。心ある官僚たちが「テロ」と呼んだ解釈改憲というあり得ない手段を使ってまで押し通した集団的自衛権。

 その前提となったのが、これまで聖域とされてきた内閣法制局長官人事だった。集団的自衛権は違憲だという戦後一貫して続いた政府の公式見解を踏襲する当時の法制局長官(官僚の中の官僚と言われる)をクビにして、これを合憲だと言い張る外務官僚を長官に抜擢した。内閣人事局が設置される前のことだ。それ以降、官僚は完全に時の政権の言いなりになり、過ちを政府内部から正す道が断たれた。

もう一つの負のレガシー「マスコミ支配」は弱まっているように見えるが、安倍政権に支配されたマスコミは、政権からの度重なる攻撃もあって真実を伝えることができず、国民の信頼を失った。N H Kを除き、そもそも取材を行う資金を得るための経済的基礎を失いつつある新聞各社などでは、まともな記者の退社が相次ぎ、さらに取材費もままならない。忖度の気風も残るが、それ以上に現場で人も金もないために取材できないことの影響が大きい。薄々おかしいとわかっても、取材していないから裏が取れず、結果として政府や企業の発表を報じて終わりとなる。

  政府の圧力がなくても、政府批判の記事は自然と少なくなってしまうのだ。

 以上をまとめて言えば、政府内で心ある官僚という歯止め役が失われ、社会での歯止め役となるマスコミの力も劣化した。そして政官財では逆に倫理観喪失で悪い方向に向かうベクトルだけ強くなっている。妖怪が跋扈するには絶好の環境ではないか。

 このような社会は一般市民を変えていく。

 まず、マスコミの機能不全で正しい情報が得られない。ネット情報への依存が高まるが、そこでは、強化された岩盤保守層のフェイクニュースが飛び交い、リベラルと見られる言論も対抗上先鋭化し、信頼できる情報は相対的に減少している。このような状況は、妖怪に対する市民の抵抗力を著しく弱めていると見て良いだろう。

 政府発表の報道が幅を利かせるので、世論はどうしても保守化し、選挙を何回やっても、自民党が勝利。選挙に行く意味がわからなくなり、投票率が下がる。

 投票率低下は、組織力の弱いリベラル層や無党派層に不利になるというだけでは済まない。保守層の中でも、ロイヤリティが高く必ず投票に行く岩盤保守層の重要性が相対的に高まる。

 今や、岩盤保守層の支持を失えば自民党議員でも落選の危機となるので、安倍派はもちろんそれ以外の派閥の議員でさえ、彼らの御機嫌取りに精を出す。

 右翼的ポピュリズムが蔓延し、その頂点の地位を守るために岸田首相は、安倍派の幹部と仲良くするだけでは済まない。岩盤保守層に、右翼としての正統性を証明することが必要だ。岸田氏の場合、ハト派ではないかと疑われる分、安倍氏よりさらに先鋭的な安倍的政治を行わざるを得ない。宏池会だからハト派などという図式はもはや当てはまりようがない構造になっているのだ。

 多くの自民党議員が、「安倍氏の遺志を継ぐ」「安倍政治を継承する」と声高に叫ぶのを目にした人も多いだろう。これも同じ構図だ。本気で安倍氏を信奉する者はもちろん、そうでない者も安倍信者を装わないと生きていけないかのように見える。安倍氏の神格化が止まらなくなっているのだろうか。

 岩盤保守層に大きく依存してきた安倍派議員などは、生命線を握られている旧統一教会などと縁を切ることは不可能となった。その影響もあり、LGBTQに対して異様なまでの敵視政策に傾いてしまう。

 岩盤保守という言葉により、全ての思考が止まる。選挙を意識すると、右翼的ポピュリズムの政策しか出てこない。個々の議員の本来の思想や政策とは無関係に、自民党全体が、戦争準備と国債乱発のばら撒き政策が結びついたイケイケどんどんの危険な暴走集団と化すのである。

 それでも選挙では、また勝利し、それが民意となって、岸田首相をさらに縛る。壮大な悪循環だ。

 安倍氏は戦争できる国づくりに励んだが、妖怪に操られる岸田氏は、「本当に戦争する準備」を進めるしかないのだ。

 ここまで見てくると、安倍的なものの支配は、日本に4つの危機をもたらしていることに気づく。いずれも戦後日本の「国の形」を決めていた重要な哲学に関するものだ。

 すなわち、「民主主義の危機」「平和主義の危機(戦争の危機と言っても良い)」「国民生活優先主義の危機」そして「日本経済破綻の危機」である。

 第1に、前述のとおり、妖怪の支配で、何度やっても選挙の結果は変わらず政権交代は起きないという社会では、投票の意味がわからなくなり、過半の人が選挙に行かないということが起きる。集団的自衛権に反対する大きなデモの波も結局は勝利につながらなかったことで、市民の無力感はさらに募った。諦めが広がり、事実上の専制主義に近づいていく。「民主主義」の深刻な危機だ。

 第2に、政府情報の垂れ流しは、国民に、「安全保障環境の激変で中国から身を守らなければならない」という意識を植え付けた。日本国憲法は時代遅れだという考え方も急速に広がっている。

 解釈改憲という手段でなし崩し的に平和憲法を葬り去る方法も使われた。敵基地攻撃能力も防衛装備移転三原則も国有武器工場制度の導入も大きな議論なく進められている。

 その結果、ついに、日本は、台湾有事から逃げるどころか、その主役の位置に固定されてしまった。もはや台湾有事=日本有事という命題は国家の最高規範に昇華した感さえある。

 英BBCは2022年5月に、「日本は静かに平和主義を放棄している」と報じたが、肝心の日本国民にはその自覚がない。「平和主義」が崩壊の危機にあるとは誰も思っていないかのようだ。

 第3に、防衛費GDP比1%枠撤廃と2%への拡大。さらに余った資金があったら全ては優先的に防衛費に回すという防衛財源確保法は非常に象徴的な意味を持つ。

 これによって、仮に戦争が起きなくても、その準備のために制約なくあらゆるリソースを防衛費に投じることになる。相手が超大国の中国だから、その規模は壮大なものになるだろう。

 軍事優先が国是となれば、社会保障や教育などは後回しになり、3度の食事に事欠く国民が増えても、「国家あっての国民だ」と切り捨てられるだろう。

 軍事費を抑制して国民生活を優先するという戦後一貫した「国民生活優先主義」が崩壊することが決まったのである。

 第4に、自民党保守派議員たちが強調する安倍政治の柱、「国債は無限に出せる」という主張が今もかなりの広がりを見せる。

 実は、リベラル側でも「財政規律」という言葉に強く反発する人が増えた。子育ても年金も医療も介護も全て国債で賄えば良いという声が強い。増税はとにかく悪だという考えが市民の大多数の支持を得ている。

 まともな国で、国債はいくら発行しても大丈夫などという暴論が政府与党の間に蔓延することなどあり得ない。かつて事実上財政破綻したアイスランドやギリシャや韓国でも、コロナ前には財政黒字を達成していたし、欧米では、コロナ禍で痛んだ財政を再建するための増税について議論している国ばかりだ。

 世界の中央銀行も日銀の出口なき異次元緩和には、呆れ返っていることを日本人は知らない。

 世界が「日本経済破綻」のリスクを意識する日が近づいている。その時は日本の終わりだ。

 政治家には期待できない。官僚も劣化しマスコミも機能していない。

 そして、最も深刻なことに、多くの国民が安倍的なものに支配されるようになっている。それは、安倍的な考え方に洗脳される人が増えているということだけではない。洗脳されていなくとも、無関心層が増えていくこととリベラル派の中に蔓延する諦め、さらには、国民を覚醒させるためには破綻した方が早いという破綻願望まで広がりつつある。

 こう見てくると、「安倍的なもの」=「妖怪」の支配から脱することがいかに難しいかがわかる。だが、4つの危機を回避するためには、なんとしてもその呪縛から逃れなければならない。

 安倍氏没後1年を経た今、その危機感の共有ができるのか。


 それは、地方から個々の事例から具体的に「改革」していかなければならないだろう。難しい課題であるがやらねばならない。