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《池上彰×斎藤幸平》コロナ禍が暴き出した“ブルシット・ジョブ” なぜ「いまこそマルクス」なのか?

2021年03月27日 | 生活

文春オンライン2021.3.25「文藝春秋」編集部

source : 文藝春秋 2021年4月号

 

「新書大賞2021」第1位を受賞し、20万部を超える大ベストセラーとなっている斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』(集英社新書)。「マルクス」「資本論」といった“硬派すぎるテーマ”を扱いながら、これだけ今日の読者を惹きつけているのはなぜなのか? ジャーナリストの池上彰氏が著者・斎藤氏(大阪市立大学准教授)に迫った。

「いまだからこそマルクス」の理由

池上 久々に知的興奮を味わいました。こんなに線を引き、付箋を貼りながら本を読んだのは、実にしばらくぶりのことでした。

斎藤 お忙しい池上さんに、そんなふうに読んでいただいて、本当に嬉しいです。

池上 400頁に迫るこんなに分厚い本が読まれていること自体が、おそらく、いまの世相や社会状況を映し出しているのでしょう。今回、編集部から出された対談のお題は「いまマルクスを考える」でしたが、この本を読んで、むしろ「いまだからこそマルクス」という感を強くしました。

斎藤 「マルクスならいまの時代をどう見るか」を描こうとしたので、読者にそのように届いているとすれば本望です。

『人新世の「資本論」』の主たるテーマは、「気候変動問題」だ。しかし、本書の持つ“射程”はそれに留まらない。私たち自身の「生き方」や「働き方」を考え直すためのヒントが満載で、コロナが露わにした、今日の社会の“ゆがみ”も見事に照らし出してくれる。

エリート層で深刻な“労働の疎外”

池上 最近、デヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ』を読んだのですが、やはり本書でも言及されていますね。

 この本で一番印象的だったのは、高学歴のエリートが、端から見ると素敵でオシャレで皆が羨むような仕事をしているように見えても、実は本人たちは、「自分の仕事など何の役にも立っていないのではないか」「これはブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)だ」と意欲を失っている。しかし、とりあえずは高い給料をもらえるから続けている、という話でした。

 つまり、本来、労働者は、自分の労働の主人公でなければいけないのに、「労働力の商品化」によって生じる「労働の疎外」が、被支配層だけでなく支配層の一部でも起きている。それどころか、むしろエリート層での方が、「労働の疎外」は深刻なのかもしれません。

斎藤 今回のコロナ禍で明らかになったのも、実は私たちは洋服もそれほど必要としていないし、多くの仕事はテレワークで十分で満員電車に乗る必要もない、ということでした。医療や福祉の従事者、スーパーや小売業界の店員、物流や交通機関、ライフラインに関わる従事者など、生活維持に欠かせない「エッセンシャルワーカー」の重要性が浮き彫りになる一方で、渋谷のスクランブル交差点の広告が止まっても誰も困りませんでした(笑)

コロナ禍で可視化された“効率の悪さ”

 こうした議論から見えてくるのは、マルクスの「交換価値」「使用価値」といった言葉が、いまだに “アクチュアリティ(今日性)”を失っていない、ということだ。

斎藤 要するに、私たちの生活にとって、「何がエッセンシャル・ワーク(必要不可欠な仕事)」で、「何がブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)か」を露わにしたのが、今回のコロナ禍だった、ということです。グレーバーの本の一番いいところは、「エッセンシャル・ワーク」を軽視して、「ブルシット・ジョブ」ばかりを重視する“資本主義の効率の悪さ”を明らかにしている点です。

池上 その「エッセンシャルなもの」とは、まさにマルクスの言う「使用価値」であるわけですね。コロナ禍においては、「交換価値」で言うと極めて“安い”マスクが“高い”「使用価値」をもつようになり、皆がマスクを求めました。「交換価値」の低いマスクを国内で生産してもペイしないので中国で生産していたけれども、皆がマスクの「使用価値」に改めて目覚めたというわけです。

斎藤 「ブルシット・ジョブ」がそうであるのは、「使用価値」(効用)をまったく生まない仕事だからです。「使用価値」を生む仕事こそ「エッセンシャル・ワーク」。ところが、そういう生活維持に不可欠な「エッセンシャル・ワーク」を「低賃金」「長時間労働」で“周辺化”するのが資本主義。同じように、資本主義は、水、土壌といった生活維持に不可欠な“自然”も“周辺化”しています。

 つまり、生活維持に必要不可欠なのに、「商品=資本主義」の世界では“周辺化”されて、きちんと評価もされないものがある。とくにソ連崩壊後の30年、グローバル資本主義は、すべてを飲み込んで、「市場メカニズムですべてうまくいく」と突き進んできたわけですが、その帰結を今回のパンデミックがはっきり教えてくれました。つまり、「交換価値」に振り回される愚かさです。だから、この危機は、「使用価値」を大切にする社会に戻るチャンスでもあります。

“ユートピア”を思い描く重要性

 斎藤氏が訴えるのは、冷戦後に封じられてしまった“ユートピア”(=資本主義とは別の社会)を思い描いてみることの大切さだ。

池上 水野和夫さんなどが「利子率の長期的低下」を根拠に「資本主義の行き詰まり」を議論していますが、いま本当に「ポスト資本主義」ということが問題になってきたなかで、一つの方向性を示してくれたのが、斎藤さんの本だと思います。

斎藤 私たちの議論に欠けていたのは“ユートピア”、つまり“別の社会”を思い描くことでした。そうした構想力をあざ笑っていた結果、“現状追認”以外の選択肢がなく、結局、資本の論理の言いなりになっています。

◆ ◆ ◆

出典:「文藝春秋」4月号

 池上彰氏と斎藤幸平氏の対談「マルクス『資本論』が人類を救う」の全文は、「文藝春秋」4月号および「文藝春秋digital」に掲載されている。


 今朝はガッチリとシバレテ氷点下7℃。午前中雪壊しをやろうと思ったら、硬くてスコップが刺さらない。あきらめて剪定作業。昼過ぎには7度まで上がった。

ハウス内の雪も30㎝を切ったところ。

雪の中から多肉。

散歩道。