里の家ファーム

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雨宮処凛がゆく!第470回:寿町の火災から、「寄せ場化する」この国を思う

2019年01月10日 | 社会・経済

2018-2019年始年末

 

所ジョージさんがいい歌うたっているじゃないですか!
歌はへたくそだけど・・・

今日2つ目の更新です。明日はできないと思いますので。


 

 雨宮処凛がゆく!第470回:
  寿町の火災から、「寄せ場化する」この国を思う

   マガジン9  https://maga9.jp/190109-3/

 2019年1月9日

 この年末も、都内や横浜の炊き出し現場を回った。

 渋谷、池袋、横浜寿町、山谷。

 役所が閉まる年末年始、住む場所を失うなど生活に困窮した人々に食事を振る舞い、生活相談に乗るなどの取り組みが全国各地で行われている。そんな場所を訪れたのだ。

 渋谷では公園で集団野営するための毛布が足りなくなりそうとのことで寄付を呼びかけ(寄付してくれた皆さん、ありがとうございます!)、池袋では、生活相談、医療相談に多くの人が列を作り、衣類配布にもたくさんの人が並んでいた。寿町ではなんと1200食の年越しそばが完食。少しだけ配食を手伝ったのだが、行列が続いているのに途中で天かすが切れ、ネギもなくなるという事態に焦ったものの、具なしのお蕎麦に誰も文句も言わず喜んでくれたのが救いだった。大晦日の夜は、山谷の路上でみんなで年越しそばを食べた。

 そうして年が明けた1月4日、あるニュースが飛び込んできた。大晦日に訪れた横浜・寿町の簡易宿泊所で火災があり、2人が死亡したというのだ。亡くなったのは、60代男性と80代の女性。男性3人が重症を負うなど、計13人が負傷したという。

 もしかしたらあの日、年越しそばに並んでいた人の中に亡くなった人や負傷した人がいたのかもしれない…。そう思うと、目の前が暗くなった。同時に、「またしても簡易宿泊所か…」という思いが込み上げた。

 なぜなら、ここ数年、簡易宿泊所や類似施設での火災が相次いでいるからである。2015年5月には、川崎の簡易宿泊所で火災が起き、11人が死亡。17年5月には、北九州のアパートが全焼して6人が死亡。アパートは実質、簡易宿泊所だったようである。また、18年5月には、秋田県横手市のアパート火災で4人が死亡。住人24人のうち17人が精神科に通院しながら社会復帰を目指し、12人は生活保護を利用していたという。そして18年1月には、生活困窮者が住む北海道・札幌市の共同住宅が全焼し、入居者16人のうち11人が死亡。

 これらの火災に共通するのは、高齢、単身男性が多く住む場所であること。その多くが生活保護を利用していること。また多くが身寄りがなく、亡くなったあとの遺体・遺骨の引き取り手がないケースも珍しくないということなどだ。

 火災の一報を聞いた時、大晦日の寿町の公園で目にしたある光景を思い出した。それは炊き出しの手伝いを終え、トイレを借りようと公園から近いボートレース場外舟券売り場が入る建物を訪れた際のこと。

 大晦日の夕方だというのに、そこは大賑わいだった。雰囲気は、室内の場外馬券場といった趣。レースの様子がテレビに映し出され、集まった人々は画面を食い入るように見つめている。圧倒されたのは、そこにいるほぼ全員が高齢の男性だったこと。車椅子の人もいれば、杖をついた人もいるものの、圧倒的に「高齢男性」ばかり。

 その光景を見て、改めて、寿町には「高度経済成長」の矛盾が凝縮されていることを痛感した。もちろん、寿町の炊き出しに並んでいた人も多くが高齢の男性だった。しかし、炊き出し現場には老若男女のボランティアが多くいるし、学生もいれば子どももいる。行列に並ぶ中には若い世代もいれば、高齢女性の姿もちらほらある。が、大晦日の夕方の場外舟券売り場には本当に高齢男性の姿しかなく、なんだか圧倒されたのだ。

 寿町は、山谷、大阪の釜ヶ崎と並ぶ「ドヤ街」のひとつである。ドヤ街とは、日雇い労働者が多く住む街で、簡易宿泊所が多く立ち並ぶところだ。山谷、寿町、釜ヶ崎は日本三大寄せ場とも呼ばれ、高度経済成長の頃は、建設現場などで働く日雇い労働者が大量に必要とされたことから多くの人が集まった。しかし、景気が悪くなると、日雇い労働者たちは切り捨てられた。それだけではない。怪我をしたら、病気になったら、高齢になったら切り捨てられた。そして今、そんな元日雇い労働者がドヤ街に多く暮らしている。

 神奈川新聞の「寿町火災 超高齢化・日本の縮図 集合住宅共通の課題」によると、寿町の簡易宿泊所の宿泊者数は17年11月1日時点で5728人。うち60歳以上は3894人(67.9%)、身体障害者数は387人(6.7%)。宿泊者の大半が単身高齢の男性で、8割以上が生活保護を利用しているという。「日雇い労働者の街」から「福祉の街」へと変貌していった寿町。これは何も寿町だけの話ではなく、山谷でも釜ヶ崎でも同じことが起きている。ちなみに、今回の火災で亡くなった60代の男性と80代の女性も身体が不自由だったと報道されている。

 そんな状況を見て強烈に思うのは、これは他人事ではまったくなく、ロスジェネ世代に今後起きうる「未来予想図」そのままかもしれないということだ。家族形成、資産形成の機会のないまま、そして非正規のまま40代に突入したロスジェネたちは私の周りにも多くいるからだ。

 私が貧困問題に関わり始めた13年前(06年)、よく耳にしたのは「都市が寄せ場化している」という言葉だった。山谷、寿町、釜ヶ崎で起きてきたような「日雇い労働者のホームレス化」という問題が、若者たちの間で進んでいるという問題意識を多くの人が持っていた。特に当時は「日雇い派遣」が問題視されていた頃。若者たちはドヤではなくネットカフェに泊まり、寄せ場の手配師からではなく、携帯で仕事を受けて日雇い派遣に出かけていく。

 すでに賃貸物件などの住む場所を失った彼らは広義のホームレスであり、「都市がモザイク状にスラム化している」ことをさまざまな人が指摘していた。それから、10年以上。現在、日雇い派遣の規制は厳しくなったものの、雇用の安定化は一向に進まず、非正規雇用率は13年前の33%から37.3%に増加。十数年前までは一部の寄せ場のみで起きていたことは今、当たり前に全般化した。現在、この国では、ネットカフェに住む場所を失った人たちが一定数存在することを多くの人が知っているし、それは都市の普通の光景になっている。

 そんな「都市の寄せ場化」が指摘されて10年以上。巷では「景気回復」と言われ、新卒の雇用状況が改善された、正社員数が微増した、と言われるが、その恩恵はロスジェネにはなかなか届かない。今回まわった炊き出しにも、30〜40代と思われるロスジェネの姿が目立った。実際、年末年始の支援を終えた「世界の医療団」も、Twitterにて「目立ったのは30〜40代、路上生活の経験が浅い方たちが寒さをしのぐ術を知らず、話すうちに選択肢のない環境で生きづらさを抱えていることに気付く」と書いている。

 なぜ、毎年、炊き出しを回るのですか、とよく聞かれる。自分でもよくわからない。だけど私は、自分たちロスジェネが生き延びるヒントを模索するために、毎年現場をめぐるのかもしれないと、ふと思った。


雨宮処凛「生きづらい女子たちへ」77 女が「加害者」になる時代

2019年01月10日 | 社会・経済

              雨宮処凛「生きづらい女子たちへ」77

女が「加害者」になる時代

 

Imidas連載コラム2019/01/09
https://imidas.jp/girls/?article_id=l-60-077-19-01-g421

   最近、安居酒屋で友人と飲んでいたら、近くの席の「女子会」が「大フィーバー」していた。年の頃は50〜60代だろうか。5人ほどの女性たちはすでに泥酔状態で「男社会」への鬱憤をぶちまけている。

 上司や同僚らしき人の悪口、女性差別を広めるようなタレントやテレビ番組への罵詈雑言、女性蔑視発言をする政治家への憤り、女性が生きづらい社会への不満。聞こうとしなくても聞こえてしまう声のデカさに苦笑いしつつも、その多くが共感できるものだったのだが、話題が「旦那の悪口」になった途端、話はあらぬ方向へと向かっていった。

 「もうアンタ、若い男買うしかないよ!」

  一人がそう言ったのだ。

 何がどうしてそんな話になったのか、詳しいことは覚えていない。が、ニュアンスとして、この盤石な「男社会」や何もわかっていない「夫」、はたまた世の「男たち」への「復讐」として、我々女は「若い男を買うしかない」という結論に達したようなのだった。それこそが、自分たちを救う唯一の道、それこそが私たち女性の解放! というような。

 女性たちはその手の話をよくしているようで、「それじゃあ買うか! ギャハハハ!」などとあけすけな感じで盛り上がっている。見た目はどこにでもいる「普通のおばちゃん」たちが、「若い男を買う」とかそんなことで盛り上がっている姿は結構衝撃で、何だか見てはいけないものを見てしまった気がしてドキドキした。というか、それ以前の会話の内容に共感を覚えていたため、突然「買春」の話になったことがショックだった。

 だって、そんなの「女性の解放」でもなんでもなくて、「昭和のオッサンの模倣」でしかないと思うからだ。おそらく彼女たちがもっとも嫌う、無神経で傲慢で暴力的なオッサン。その振る舞いをコピーすることでしか「救われない」なら、悲しすぎると思うのだ。

 衝撃を受けつつも、そんな話をする女性たちに遭遇したのは初めてのことではなかった。もう10年ほど前になるが、女性たちの集まりで、同じような話を耳にしたことがあった。女性だけの宴席で、参加者の多くはやはり50〜60代。どうせ男たちは若い女を買ってるのだから、自分たちだって若い男を買えばいい、そうすることが「男女平等」というような主張に、何とも言えない違和感と後味の悪さを噛み締めたことを覚えている。

 だけどまだ、「若い男を買えばいいじゃんギャハハハ!!」なんて盛り上がってるだけいいのかもしれない。なぜなら、彼女たちはそう口にすることで、いろんな思いを発散してるだけ、という気がするからだ。

 みんなで露悪的になって盛り上がり、決して実行には移さない。おばちゃんたちの口ぶりからは、何となくそんな空気を感じた。本当に実行するのであれば、そんなことをあけすけに語らないだろう。買春話を堂々とできる男性とは、やっぱり根本的に立ち位置から何から違うのだ。

 さて、買春と言えば、この国では90年代に「援助交際」という言葉が登場し、何やら買春がマイルドな感じに言い換えられたという歴史がある。しかも最近では、「パパ活」なんて言葉もある。パパ活とは、若い女性が年配の男性と食事やデートをすることで金銭的な対価をもらう行為。基本的に肉体関係はないとする説から、「ただの売春の言い換え」という説もあり、幅があるようだ。

 一方、パパ活ならぬ「ママ活」という言葉もあり、2018年11月には、福岡の男子高校生が「ママ活」で補導されたことも報道された。補導されたのは高校2年生(17歳)。「福岡 17さい ままかつしたい#ママ活募集」などをネットに投稿。警察が身分を隠して連絡をとると「2時間カフェでまったり会うので7000円」と返してきたという(「『ママ活』で補導された17歳男子高校生とのお茶の値段は?『パパ活』より市場は活性化」、AERAdot.、2018年11月9日、週刊朝日)。

 また、18年12月には愛知の高校生も補導されている。「愛知住みでママ活したいな〜、金欠だし #ママ活 #高校生 #誰でもいい」と投稿し、30代女性を名乗る捜査員にひっかかったという経緯だ。この高校生は相手に3000円を要求していたという(「『ママ活』の高2男子補導 3千円求め投稿」、産経ニュース、2018年12月7日)。どちらのケースもおとり捜査にまんまとひっかかり、相手が警察だとも知らずにノコノコ待ち合わせ場所に現れて補導となった。

 それにしても、と思う。なぜ、男子高校生とカフェで2時間過ごして7000円も払わなければならないのか、と。しかも高校生は、自分がイケメンだと思っているのだ。一体どこの世界に「自分がカッコいいと思い込んでいる高校生」とお茶をしたい大人の女性がいるのか。そんな高校生、絶対頭悪いのにプライド高くて地獄の2時間に決まってるじゃないかと思うのだが、そういうニーズはあるようである。

 このことにも驚くが、もう一つ驚くのは90年代の女子高生ブームとの違いだ。援交、ブルセラという言葉が一世を風靡したあの頃、世間の目は女子高生にばかり向けられ、同世代である「男子高校生」は存在そのものを忘れ去られていたわけだが、現在は、「パパ活」が注目されてすぐに「ママ活」が登場している。男子高校生が「自分も金になる!」「年上の女に需要がある!」と気づいたわけである。

 これって結構すごい「気づき」だ。この20年間で、何がどう変わったのだろう? 少なくとも、「女性の地位の向上」なんかでは決してない。「女の性欲」が市民権を得た? 男子も自らを商品化することが当たり前になった? いろいろ予想できるけど、注目に値する地殻変動だと思う。

 さて、最近、そんな「ママ活の瞬間を目撃した!」と私に鼻息荒く知らせてくれる人がいた。

 それは友人のA子。私がキャバクラで働いていた時の同僚で、当時から20年も経つのにしょっちゅう遊んでいる女だ。A子は会うなり「ちょっと聞いて!」と言うと、「この前、ババアが男子高校生買ってるとこ見た!!」と叫んだ。

 それは彼女があるラブホテル街を歩いていた時のこと。なんでも暇すぎて時々ホテル街を私的に「パトロール」するらしいのだが、そこで彼女は目撃したというのだ。

 平日の真っ昼間、ホテルから出てきたのは制服姿の男子高校生と、一見してその母親より上とわかる世代の女性。ホテルの前で別れる二人。驚いたA子は、信じられない行動に打って出た。女性と別れた男子高校生に「あんた、今何やってたの?」と声をかけたというのだ。

 「え……、け、警察の方ですか?」

 すっかり焦った高校生はそんなことを口にし、A子はよせばいいのに「まぁ……」とか勿体ぶって言葉を濁し、「でも今日は私、仕事じゃないから、話だけ聞かせてもらえる?」と「非番の婦人警官」のようなことを言ってたたみかけたのだという。

すると男子高校生は売春していたことをあっさり認め、先ほどの女性から1万円もらったことを告白。しかも、ホテルの中にはもう一人、友人がいるとA子に告げたのだった。しかも高校生によると友人は「童貞」とのことで、非常に心配している様子。結局、A子は高校生と二人、童貞の友人が事を済ませて出てくるのをホテルの前で待ったという。

 しばらくして現れた友人。一緒にホテルを出てきたのは、やはり母親より年上とおぼしき女性。女性と別れた友人に二人が声をかけ、「どうだった?」と聞くと、友人はがっくりとうなだれたという。話を聞くと、精一杯努力はしたものの「できなかった」とのこと。そのことで機嫌を損ねた女性には1円ももらえなかったという。

「でもアンタ、それ以外のことはいろいろされたんでしょ? あのおばさんに、いろんなことやらされたんでしょ?」

  前のめりにA子がそう聞くと、友人は涙目で頷いたという。

かわいそうになったA子は、「1万円もらった」という高校生に、「あんた、友達でしょ? その1万円からこの子に3000円あげなよ」と勝手に分配を決め、高校生は言われた通りに友達に3000円を渡したという、いい話だかなんだかさっぱりわからない顛末を話してくれたのだった。

 ちなみに話を聞いている間じゅう、私の頭に浮かんでいる男子高校生はホストっぽい髪型のチャラいイメージだったのだが、A子によると「丸坊主の高校球児みたいな感じ」とのことで、田舎からたまたま東京に来ている様子だったという。

 修学旅行だろうか? それで東京に来るからママ活を思い立ったのだろうか? おこづかい稼ぎをしたかったのだろうか?

 「東京の女はエロいらしいぞ」

 「しかもママ活とか言って、金くれるらしいぞ」

 おそらくそんな会話が坊主頭二人の間で交わされたのだろう。しかし、一人は1円ももらえなかった。

 では実際、彼らを「買った」側の女性たち、「ママ活」をする女性たちは、どんな人たちなのだろう? そう思ってネットで「ママ活」と検索すると、「ママ活」にはマッチングアプリまであるようで、カジュアルに利用されているようである。

 お茶をする、食事をする、デートをする、肉体関係を持つ。人によってやはり段階は様々なようだ。また、ママ活をする人々の理由として、夫が浮気してるから、という人もいれば、癒されたいという人もいる。セックスレスを理由にあげる人もいて、ママ活はごくごくありふれた不満や悩みがきっかけで始める人も多いようだ。

 しかし、未成年との間に関係を持つことは、一歩間違えれば「逮捕」が待っている。例えば18年10月には、福岡県で31歳の女が15歳の男子高校生にわいせつな行為をした容疑で逮捕されている。また、17年10月には、高知で41歳の女がネットで知り合った男子高校生に自宅でみだらな行為をしたとして逮捕されている。

 前者の容疑は県の青少年健全育成条例違反、後者は青少年保護育成条例違反で、ズバリ「淫行」だ。また、長野県で35歳の女性が中学生と性的行為におよんで逮捕されたケースでは、「児童買春」で逮捕されている。

 いずれにしても、女で「淫行」「児童買春」で逮捕されるって、最悪のパターンだ。しかも実名報道されている人もいる。このようなことから見えてくるのは、「男性が自らの性を商品化する時代」は、「女性が加害者になる時代」でもあるということだ。

 これまで、性犯罪において女性は「被害者」の側にいた。加害者には、ほとんどなりようがなかった。しかし、今はそうではないのだ。それなのに私たちは、「加害者にならないための教育」なんて一切受けていない。小さな頃からどうやったら「被害者にならないか」は教えられているものの、自らの加害性には恐ろしいほど無自覚だ。

 冒頭で、「若い男を買う」なんて、オッサンの模倣だと書いた。しかし、加害者になる可能性まで考えなければならない今の女性たちは、どんどん「オッサン化」を余儀なくされているのかもしれない。自由恋愛だと思ってたら淫行で逮捕された。そんなオッサンを笑う女も同じ理由で逮捕される時代が、今、到来しつつある。