里の家ファーム

無農薬・無化学肥料・不耕起の甘いミニトマトがメインです。
園地を開放しております。
自然の中に身を置いてみませんか?

畑こども食堂

2019年05月06日 | なんだかんだ。

農作業にワクワク、みんなでパクパク 野菜収穫+食事→畑こども食堂

東京新聞 201956日 朝刊

    さいたま市北区で、農業体験と子ども食堂を組み合わせた「畑こども食堂」が始まった。地元の会社員谷中(たになか)哲也さん(56)の取り組みだ。農作業に慣れない現代っ子と大人たちが一緒に農作業で汗を流し、収穫した野菜を調理して食べる。そんな非日常の体験を、世代を超えて共有できる場を目指している。 (井上峻輔)

 土から顔を出す成長途中の白菜の前で、谷中さんが子どもたちに声を掛けた。「小さいのを取って大きいのを残して」。一人の男児が少し悩む。「うーん、どっちが大きいかな」。葉が栄養を取り合ってしまわないように、小さい方をハサミで「間引き」していく。

 四月下旬に初めて開かれた「畑こども食堂」。谷中さんが知人から借りた約七百平方メートルの畑に、園児から小学生までの子どもたち十四人が集まった。

 参加者は白菜や大根の葉の間引きや、枝豆やラディッシュの種まきを体験した。一時間半ほどの作業を終え、畑から徒歩三分の市営施設の調理室へ。収穫期ではないため「取れたての野菜で料理」とはいかなかったが、チキンライスやポトフを全員で作って食べた。

 子どもたちの笑顔を見ながら「大成功ですよ」と目を細める谷中さん。東京都内のIT関係企業に勤めるサラリーマンだが、五十歳を超えた頃、定年後のセカンドキャリアとして農業に興味を持った。二年前には一年間、週末に農業学校に通って知識や技術を学んだ。

 当時の講師に教えられたのが「ただ農業をするだけではなく、社会に貢献する必要がある」との考え方。一年前に今の畑を借りた後も農業と組み合わせる「何か」を考え続け、「子ども食堂」に行き着いた。

 本格的に準備を始めたのは今年二月。埼玉県の協力を得て会員制交流サイト(SNS)で協力者を募ると、賛同者が次々に集まった。学童保育や教育の関係者、調理師、野菜ソムリエ…。初日も十人ほどがスタッフとして参加した。

 介護福祉士の手塚陽子さん(45)もSNSを見て賛同した一人だ。仕事と子育てに追われる日々の中で「子どものために何かをしたいとずっと思っていた」。この日は小学生の娘二人も参加。その様子を見ながら「初めて会う子と一緒に生き生きと作業をしている。農作業は一体感が生まれていいですね」とほほ笑んだ。

 初回の参加者はスタッフの知人が中心だったが、今後は貧困世帯の子どもにも参加を呼び掛ける。「高齢者も含めて多世代が交流できる場所にしたい。各地にある休耕田も生かしていければ」と谷中さんの構想は膨らんでいる。

 今後は毎月一回開催する予定。参加費は子ども無料、大人五百円。申し込みは「畑こども食堂」のフェイスブックから。



 農業を利用していろんなことができるんですよね。

江部乙でボランティアてくれてるMさん。先月末に股関節の調子が良くなく、「連休明けに手術してくる」て言ってました。早く戻ってきてくれるといいのですが・・・。いよいよGWが終わります。

ちょっと変わったチューリップが咲きました。


平成の遺物FAX?

2019年04月04日 | なんだかんだ。

 FAXの調子が良くない。原稿2枚の時、初めの1枚が白紙になっているらしい。いつ買ったのかも忘れてしまった。
 ブラザー製の電話、FAX、コピー、スキャンができる複合機だ。とは言え、印刷がうまくいかなくなり、今はCanonのコピー機と2つをPCに接続している
このFAX機、見るだけ受信ができるので購入した。
 わたしの場合、結構FAXが送られてくるし、アルバイト先に勤務予定表や勤務実績などを送らなければならない。同僚にはメールの添付ファイルを送れば済むのだが。
 先日ヤマダ電機のチラシを見たら1万円を切る値段で載っていた。早速買いに出たのだがすでに売り切れ。買わずに済んだ。いまさらFAX機など買う気がしないのです。相手のほうが変わってくれるといいのですが。インク代がもったいない。紙がもったいない。さらに、あのインクリボンてな奴が大嫌い。このままゴミとして出せる人は凄い「勇気」。だから絶対インクリボン対応の機種は買わない。
 そこで、この機種がPCで送受信できるということだったので、悪戦苦闘、設定変更。いちいち印刷しなくてもいいし、小さな画面で苦労して読まなくてもいいようになりました。
 それにしても、もうご隠退の時期では!?

久しぶりにいい天気に恵まれ、雪解けも進みました。

沼の氷もどんどん小さくなってきました。

ふきのとうと水仙。よく見ると新たな氷が張っていました。

ハウス内は積雪0周りの畑も、だいぶ土が見えてきました。


葬式はなくなる?

2019年02月12日 | なんだかんだ。

葬式はなくなる? 通夜なし、式なしの「直葬」選ぶ時代に

松岡かすみ2019.2.11 08:00週刊朝日

 

 

「こういう弔いの形もありなんだなと思いました」

 東京都在住の田中一也さん(仮名・59歳)。おととし、11歳年上のいとこをがんで亡くした際に、通夜や葬儀・告別式をしない“お別れ”を経験した。あっさりした性格だったいとこは生前から、「死んだときは、一切何もしなくていい」と意思表示していた。

 都内の病院で田中さんや家族がいとこをみとった翌日、遺体は病院からいとこが住んでいた千葉市の火葬場へ直行。田中さんを含む近親者7人が火葬場に集まり、火葬を終えた後、近くの葬祭会館で軽く食事をして解散した。ものの1時間半で全てが終わった。

 九州出身の田中さんにとって葬儀といえば、通夜から多くの親戚や知人が集まって、12日で行うイメージ。だからいとこの弔い方には驚いたという。

「読経も戒名もなし。すしは“竹”。ビール中瓶1本でお別れだった。その後、出勤できたぐらいあっさりとしていた」

 一抹の寂しさはあったものの、いとこの闘病生活は1年強におよび、心の準備はできていた。近親者でみとったので、故人と向き合えたという感覚もあった。

「これぐらいシンプルでいいのかもしれない。(通夜、葬儀・告別式をやる一般的な)葬儀で若い僧侶の説法に感動することもないし、通夜の食事もおいしいわけではないし。僕が死んだときも直葬にしてもらおうかと思うこともあります」(田中さん)

 形式的な儀式を極力省いた葬儀のかたち「直葬」がいま、都市部を中心に増えている。直葬とは、故人が亡くなった後、安置所か自宅に遺体を運んで安置し、その後、直接火葬場に移し、荼毘に付すという方法。近親者のみで行う。会葬者を呼んで通夜や告別式を営み、それから火葬する一般的な葬式に比べて、お金もかからない。

「ここ15年ほどで“葬儀はシンプルにしたい”という明確なポリシーを持った人が増加傾向にあります」

 こう話すのは、終活や葬式の相談・施行などを行う「葬儀を考えるNPO東京」代表の高橋進さんだ。かつて直葬は、故人が身寄りのない人や困窮者の場合に、自治体が葬儀費用を賄って行われる方法だった。

「今は、故人の遺志や家族の意向で選ぶ傾向にあります。中には菩提寺があっても直葬を選ぶ人もいるほど。それだけ従来の葬儀のあり方に疑問を持つ人が増えている証しでしょう」(高橋さん)

『葬式は、要らない』などの著書で知られる宗教学者の島田裕巳さんは言う。

「直葬が広がる背景には、死んだ人の扱いはなるべく簡単に済ませるべきという考え方が強まっていることもあります。血縁意識の低下から、“絶対に葬儀に呼ばなくてはいけない人”という存在もなくなってきている。都会のみならず、地方の葬儀も簡素化が進んでいる実態を見れば、そんなに遠くない未来に葬式そのものが消滅する時代が来るかもしれません」

 これまで累計15万件を超える葬儀を担当し、全国で葬儀ブランド「小さなお葬式」を展開するユニクエストによれば、現在、直葬(プラン名「小さな火葬式」)を選ぶ人が4であるのに対し、「通夜、告別式ともに実施」を選ぶ人が3割、「告別式のみ実施」を選ぶ人が3割と、すでに同社では直葬が主流だ。

「喪主として一度大掛かりな一般葬を経験して、それを疑問に感じたことから、直葬を選ぶケースが増えています。大きな葬式だと会葬者の対応に追われ、ゆっくり故人と向き合う時間もなく、本当にこれで良かったのかと後悔が残ることもあるそうです。そうした方は、次に近親者が亡くなったときには、直葬などシンプルな葬儀を選ばれることが少なくありません」(ユニクエスト広報担当者)

 多くの会葬者を招いてその対応に追われる一般葬と比べて、故人とゆっくり向き合う時間を作ることができるのもメリットなのだ。また、葬儀費用を大幅に抑えられることも利点の一つ。一般葬の場合、平均額は約178万円。一方、直葬は平均15万~30万円と、6分の1以下に抑えることができる。通夜の飲食費や斎場の式場料、祭壇費用などがかからないためだ。

「通夜の飲食もそれを楽しめるわけではないし、香典返しも果たして本当に必要なのかと、疑問に感じる人が増えるのも当然の流れです」(島田さん)

では、直葬を選びたい場合、具体的にどうすればいいのか。火葬許可証の申請など役所で行う死後の手続きは遺族がやることも可能だが、遺体の搬送などは荷が重い。儀式を省いたとしても葬儀会社などプロに頼むのが一般的だ。

「棺など必要なものも個別に手配すると手間がかかり、費用も高くつくことが多いので、葬儀社に頼んだほうが安心。悲しみの中、作業に追われるより、故人と向き合う時間を大切にしたほうがいい」(高橋さん)

 直葬を希望する場合、最低限必要な次のような物品やサービスがセットになった一番シンプルなプランを選べばよい。遺体の安置場所を確保し、病院や施設など亡くなった場所から、故人の遺体を寝台車にのせ、自宅や一時的な安置場所に搬送する。遺体を棺に納め、安置する。法律で定められた時間の死後24時間以上経過してから、火葬場の予約時間に合わせ、霊柩車で火葬場へ出棺する。もちろん、物も用意してくれる。遺体を入れる棺、棺用布団、故人に着せる仏衣一式、遺体保冷のためのドライアイス、枕飾り一式、骨壺、そして遺体をのせて移動する寝台車や霊柩車だ。(本誌・松岡かすみ)

週刊朝日 2019215日号より抜粋

 

 

葬儀にかかる費用の平均額/「直葬」の流れ (週刊朝日 2019年2月15日号より)

葬儀にかかる費用の平均額/「直葬」の流れ (週刊朝日 2019年2月15日号より)

 

葬儀スタイル (週刊朝日 2019年2月15日号より)

葬儀スタイル (週刊朝日 2019年2月15日号より)


  「葬儀」も「お墓」も大きく変わりつつあります。
「こどもにお金を残さない」それが身上でしたが、葬儀代くらいは残さなければならないだろう。しかも、今の若い人は非正規雇用等、経済的に苦しい立場にある。葬儀に使うお金があったら生きている子供、孫に使わせたほうがいいのかもしれない。それぞれの家庭の問題であり、どうすべきだとは言えないが考えるべき余地はある。

 


孫育て

2019年02月11日 | なんだかんだ。

祖父母向け「孫育て手帳」 昔と違う「抱っこ」「授乳」「離乳食」…

東京新聞 2019年2月8日

 

 よかれと思って孫のためにしたことを、娘に怒られた-。孫の世話を巡り、育児の「常識」が昔と違うことによる親子の仲たがいを防ごうと、「孫育て手帳」や「祖父母手帳」を発行する自治体が増えている。抱っこや授乳、離乳食などについて最新の育児法を載せ、孫との遊び場も紹介。楽しく孫育てできる情報が満載だ。

 「手帳の十一ページを見てください。昔は果汁を飲ませましたが、今は与えなくていいんです」。昨年十一月下旬、さいたま市の子育て支援センターで開かれた孫育て講座。市内の保育所で園長を務める大野智子さん(57)が「果汁は甘いので脳が満足してしまい、ミルクや離乳食が進まなくなってしまうから」と理由を説明すると、孫がいる女性七人が「へえ」と驚いた。

各地の自治体が発行した「孫育て手帳」や「祖父母手帳」

 

 講座のテーマは「食育」で、教科書はさいたま市が二〇一五年に発行した祖父母手帳だ。A5判の約二十ページでイラスト入り。昔の育児法との違いや事故の防ぎ方、公園の場所などを掲載。「祖父母が子育て論を押しつけてくる」「昔の知識で接する」など、市が親に実施したアンケートで出た意見も取り上げた。

 参加した同市在住の鈴木律子さん(79)には孫が三人おり、同居する一人はまだ一歳だ。孫育ての勉強のため、手帳は自ら市役所で入手。「抱っこは心の成長に大切なので、抱き癖は気にしなくてよい」とする記述が新鮮だったといい、「昔は泣いてもすぐ抱かないように教わったけど、抱っこしてもいいのね」と笑う。

 こうした手帳を発行する自治体は二十超に上る。共働き世帯が増え、仕事と育児の両立のため自分の親に助けてもらう機会が増えていることが背景にある。一方、育児を巡り親子の間で摩擦が生じたり、頼られすぎて祖父母が「孫疲れ」に陥ったりする問題も生じている。手帳はこういった課題の解消を狙う。

 さまざまな特色も。熊本県は産前産後だけでなく、小中学校や高校時代に直面する悩みも掲載。「ゲームを買ってほしいとせがまれる」「いじめが心配」などの質問に答えている。

 香川県三豊市は、ボクシングを教える祖父など多様な孫育ての体験談を紹介。千葉県習志野市は「手、口、お金は出しすぎず、心と体力にゆとりを!」などの十カ条を説く。

 NPO法人「孫育て・ニッポン」の棒田明子代表(50)は、今後も手帳を発行する自治体は増えるとみており、「地域ごとに子育て環境は大きく異なる。他の内容をまねするのではなく、住民の声を丁寧に聞き、ニーズに合わせた手帳を作ってほしい」と話す。

 

 寒気も抜けたようです。今日の最高気温ー5度。短時間ではありましたが、日も差してきました。

今日の江部乙

 

 


またもや切断!

2019年01月09日 | なんだかんだ。

 もう大丈夫であろうと思ったPC。昨夜夕食前にまたつながらず。リンク速度を見ると下りが4000以上あったのがわずか36まで落ちている。そして今は2000代に復活。今朝NTTに電話して11日に来てくれることになったが、その日は札幌の皮膚科へ行く日で留守だと言ったら、外ケーブルだからいなくてもいいとのこと。原因らしきことはほとんど調べたので、あとは太い線を交換するくらいか?らしい。

 そんなわけで、いつアクセスできなくなるかもしれません。ご容赦ください。

 風邪の具合もだいぶ良くなり、熱も朝は平熱ですが、夕方からは37度くらいまで上がってしまいます。まだのどに痛みがありますが、もう普段の生活に戻したほうがいいように思っています。

 


一時的につながった・・・

2018年12月14日 | なんだかんだ。

 昨日の朝より全然つながらず。昨日は旭川までいかなければならない用事もあり対処できず。今朝NTTに電話して調査、修理を依頼。何時になるかわからないという。待つしかない。

まだ修理には来ていないのですが一時的(?)につながりました。向こうのほうで調整してくれたのかもしれません。これも、たぶん一時的でしょうからしっかりと見てもらうつもりです。


つながらない!PCのせい?

2018年12月10日 | なんだかんだ。
朝から消してしまったアプリを再インストールしたり、バージョンに互換性がなかったりで作り直しなどひどい目にあっているのだが、さらに夕方からブログにつながらない。ようやくつながってもスムーズに読者訪問ができなかったりで、私のPCが悪いのか、他の要因なのかわからず・・・ この記事を書くスペースも5×2㎝ほどしかなく、原因は gooのほうにありそうだ。 こんなところに画像を張れるのだろうか?

「パソコンが重い」を簡単に解決できる8つの対策とは?

2018年11月05日 | なんだかんだ。

  わたしのデイスクトップPC購入してからもう5年になる。まだそんなに経ってないような気がしていたのだが、このところ不具合が生じる。電源を入れて画面が出てもカーソルが動かない。そんなときは強制終了で再稼働。開いているページが反応しない。これは一度閉じて再度クリック。その程度で今は済んでいる。

 


 

マイナビニュース / 2018年10月29日 13時20分

 

●PCが遅くなる原因を踏まえて対策を講じよう

最近のPCはCPUも速く、メモリもたくさん搭載しているとはいえ、もともとインストールされているソフトウェアが多かったり、Webサイトのコンテンツもリッチになってきていたりといったこともあり、「重い」と感じることがあるだろう。

 本稿では、マカフィーの公式ブログの「パソコンが重いと感じた時すぐできる解決策!動作を軽くする対策8選」をもとに、PCが重くなる原因を整理するとともに、その対策を紹介しよう。

○PCが遅くなる6つの原因

 ブログでは、PCが遅くなる代表的な原因として、「メモリやCPUの使い過ぎ」「本体の不具合」「マルウェアに感染」「ウイルス対策ソフトをアップデートしていない」「パソコンのスペックが不足」「重いソフトウェアがインストールされている」の6点を挙げている。

 「メモリやCPUの使い過ぎ」と「重いソフトウェアがインストールされている」に大きくかかわっているのが「動画ソフトウェア」や「高解像度のゲーム」だ。動画の編集作業は高解像度のゲームの実行はCPUに大きな負荷をかける。

 Windowsであれば、CPUやメモリの使用状況は「タスクマネージャー」で確認することが可能だ。タスクマネージャーは、Windows 10であれば[Windows システムツール]から起動できる。

 「PCが重い」と感じた時は、タスクマネージャーでCPUやメモリの使用状況を確認してみることをおススメする。その結果を基に、次に紹介する対策を実行するとよいだろう。

○PCの重さを解決する対策

1)常駐アプリケーションの無効化

 PCは起動時に立ち上がり、パソコンの電源を落とすまでバックグラウンドで動き続けるアプリケーションがいくつもある。こうしたアプリケーションは「常駐アプリケーション」と呼ばれている。

 常駐アプリケーションは、「スタートアップ」や先ほど紹介した「タスクマネージャー」で確認できるので、不要なものは起動時のスケジュールを無効にしたい。

 (2)容量の大きなファイルの削除・移動

起動ドライブ(WindowsであればCドライブ)の空き容量が減ってくると、ハードディスクからの読み出しや書き出しに時間がかかるようになる。

そこで、Cドライブ上のファイルのうち、容量が大きくかつ不要なものは削除するか、もしくは、USBなどの外部記録メディアに移動しよう。代表的な容量の大きなファイルと言えば、画像や動画ファイルなので、「ピクチャ」や「ビデオ」フォルダを確認して、不要なものを削除するといいだろう。

(3)不要なアプリケーションの削除

 当然と言えば当然だが、不要なアプリケーションは削除しよう。インストールしたものの、利用していないアプリケーションはないだろうか。それらアプリケーションに常駐機能があれば、メモリを無駄にしていることになる。

 アプリケーションのアンインストールは、コントロールパネルの「プログラムのアンインストール」から行える。

 

●Windowsが標準装備しているツールを使う

(4)デフラグをかける

 Windowsはハードディスク上のファイルの断片化(フラグメント)を解消する「デフラグツール」を備えている。通常、データはハードディスクに連続して書き込まれるが、容量が減ってくると、1つのデータを分散して書き込む。その結果、ハードウェアへのアクセス速度が遅くなることがある。

 デフラグツールではディスクのデータを整理することで、データが分散された状態を解消し、アクセス速度を向上する。なお、Windows10の場合、初期設定で自動実行されるようになっている。

(5)ディスクのクリーンアップをする

 Windowsは不要なデータを削除してくれる「ディスクのクリーンアップ」という機能も提供している。この機能は、Cドライブのプロパティを表示すると、実行できる。

 [ディスクのクリーンアップ]というボタンを押すと、「インターネット一時ファイル」などクリーンアップの対象となるファイルが表示されるので、削除したくないファイルにチェックが付いていたら外そう。

 (6)ブラウザのキャッシュをクリアする

 Webブラウザには、アクセスしたWebサイトの画像などのデータを一時的に保存する「キャッシュ」という仕組みがある。キャッシュは何度も同じWebサイトに訪問する際は、アクセスが速くなるため便利だが、容量が大きくなってくると、PCに負担がかかることになる。

 そのため、定期的にキャッシュを削除することは「PCが重い」問題を解決することに役立つ。例えば、Internet Explorerにおいては、画面右上の[設定]から[セーフティ]-[閲覧履歴の削除]を選択すると、キャッシュを削除できる。また、Google Chromeにおいては、画面右上の[設定]から[その他のツール]-[閲覧履歴を消去]を選択すると、キャッシュを削除できる。

(7)視覚オプションの解除

 Windows 7やWindows 10には、視覚効果を出すため、ウインドウの最小化時やスナップ時などの画面表示にアニメーション表示が取り入れられている。このアニメーションはPCのパフォーマンスや動作スピードを落とす原因にもある。

 したがって、画面表示にリッチさを求めない場合は、アニメ―ションを無効にするのも手だ。アニメーションの設定は、[設定]-[簡単設定]で[その他のオプション]から変更できる。

(8)再起動する

 最後に紹介する対策は「再起動」だ。利用中のアプリケーションが何らかの原因で暴走してPCが遅くなってしまっている時などは、再起動することで解消されることがある。

 作業中のファイルを保存できないなどの問題が生じていない場合などは、再起動してみるのも手だ。

(今林敏子)


イグ・ノーベル賞

2018年09月15日 | なんだかんだ。

イグ・ノーベル賞を12年連続で日本人が受賞。
 日本発の奇抜すぎる研究とは?

 「日本とイギリスは、変人であることを誇りにする国です」

ハフポスト NEWS 2018年09月14日  安藤健二

 

 「人を笑わせ、そして考えさせる研究」に贈られる「イグ・ノーベル賞」に12年連続で日本人が輝いた。9月13日、長野県駒ケ根市の昭和伊南総合病院に勤務する堀内朗医師が、医学教育賞を受賞したことが発表された。

朝日新聞デジタルによると、受賞理由は「座位で行う大腸内視鏡検査―自ら試してわかった教訓」。

  大腸がん検診などで受ける内視鏡検査は、通常は横に寝た状態で肛門から管状の内視鏡を体内に入れていく。しかし、堀内さんは、座った姿勢で大腸の内視鏡検査を受けると苦痛が少ないことを自ら試した。

イスに腰掛けて少し股を開き、口径の小さな内視鏡を自分の肛門にゆっくり入れてみたところ、「驚くほど容易にできた」という。2006年に、アメリカの学会誌に体験談を発表した。

 ただし、座った姿勢で医師が内視鏡を入れる検査は、恥ずかしがって受けたがらない人が多く、堀内さんが勤務する病院でも採用していないという。

  13日夜(現地時間)に、アメリカ・ハーバード大学の授賞式に参加した堀内さんは「この賞を受賞できて大変名誉に感じます」とあいさつ。ただし60秒以上スピーチしてしまったために、お約束の「飽きちゃった、もうやめて」とステージ上に女の子が現れて話を遮られてしまった。

 

■ここ12年間の日本人受賞者は?

  日本はほぼ毎年のように受賞者が輩出し、アメリカ、イギリスに次ぐイグ・ノーベル大国になっている。イグ・ノーベル賞を創設したマーク・エイブラハムズさんが「日本とイギリスは、変人であることを誇りにする国です」と語っている。

2007年以降の12年間の日本人のイグ・ノーベル賞受賞者は以下の通り(参考記事)。

 

<2007年 化学賞>

 ウシの排泄物からバニラの香り成分「バニリン」を抽出する研究をした功績

 <2008年 認知科学賞>

 単細胞生物の真性粘菌が迷路の最短経路を見つけることを発見した功績

 <2009年 生物学賞>

 パンダのふんから取り出した菌を使って生ごみの大幅な減量に成功した功績

 <2010年 交通計画賞>

 迷路を最短で通り抜ける力が粘菌にあることを発見し、優れた鉄道網のモデルを作ることを突き止めた功績

 <2011年 化学賞>

 迷路を最短で通り抜ける力が粘菌にあることを発見し、優れた鉄道網のモデルを作ることを突き止めた功績

 <2012年 音響賞>

 迷惑なおしゃべりをやんわりと制止する装置「スピーチ・ジャマー」開発。自身の話した言葉をほんの少し遅れて聞かせる装置。

 <2013年 化学賞/医学賞>

 タマネギを切ると涙が出る理由を解明/オペラでマウスが延命するとの研究結果

<2014年 物理学賞>

 「バナナの皮はなぜ滑る」を解明

 <2015年 医学賞>

 キスでアレルギー患者のアレルギー反応が減弱することを示した研究に対して

 <2016年 医学賞>

 股のぞき効果の研究

 <2017年 知覚賞>

 オスとメスが逆転した生物 "性器の大発見"

 


雨宮処凛がゆく!第458回

2018年09月13日 | なんだかんだ。

「夢は叶う」と思わせてくれた人たち
  
 MALICE MIZER 25周年。

             の巻(雨宮処凛)

9マガジン   2018年9月12日

 

 9月9日、MALICE MIZER 25周年のライブに行ってきた。

 MALICE MIZERとは、1997年にメジャーデビューし、怒涛の快進撃で横浜アリーナ公演などを成功させるものの、01年に活動休止した伝説のバンドである。

 そんなMALICE MIZERがインディーズで活動していた頃、私はバックダンサーをさせて頂いたことが何度かある。96年頃の話だ。

 きっかけは、当時、私が球体関節人形を作っていたこと。自分の人形が出品される展覧会の案内を、MALICE MIZERの事務所に送ったのだ。当時の私は「耽美」系の人形を作っていた。もしかしたら関心を持ってくれるのでは、と思いながらも、当人に渡ることなどないだろうと駄目元で、軽い気持ちで送った案内だった。そうしたら、来てくれたのである。展覧会に。メンバーが。

 そうして知り合い、ある時、ライブのバックダンサーの依頼を受けた。もちろん私にダンス経験などない。皆無である。それどころか運動神経もリズム感も何もかもが激しく欠落している。しかし、私はふたつ返事で引き受けた。そんな貴重なチャンス、逃すわけがなかった。もともとMALICE MIZERの世界が好きで展覧会の案内を送ったのだ。その世界に自分がダンサーとして入れるなんて、これ以上光栄なことがあるだろうか? 

  ライブに備えた「特訓」が始まり、迎えた本番。

 96年、渋谷ON AIR WESTの袖から『麗しき仮面の招待状』のイントロに合わせてステージに飛び出したのが、私の「初ステージ」だった。直前の楽屋での練習で、緊張で頭が真っ白になって振り付けを全部忘れるという大失態をおかしていた。しかし、本番では、羽根のたくさんついた黒いドレスで踊り、なんとか生きて楽屋に戻ることができた。そうしてそれから何度か、彼らのステージにダンサーや「SMショー的な演出の際に手錠をかけられ張り付けられたりする役」として出演させて頂いた。

 その経験は、あまりにも光栄で刺激的で、なんだか「情熱大陸」のMALICE MIZERバージョンを最前列で見ているような、恐ろしく貴重な日々だった(「情熱大陸」はまだ始まってなかったけど)。そして何より、私にこれ以上ないほどの「学び」を与えてくれた。一言で言うと、私の人生を変えるほどのものだった。

 印象に残っていることは多くあるが、何よりも驚いたのは、彼らの表現に対するストイックさだ。常に「完璧なステージ」を追い求め、そのためにはあらゆる努力を惜しまない。たった数時間のライブのために、膨大な時間と労力をかけて準備をしているということに、そしてそれに多くの人がかかわっていることに、私はいつも驚いていた。だからこそ、MALICE MIZERのライブはライブというより「ショー」で、他のどんなバンドとも違った。

 当時の私はヴィジュアル系バンドのライブを多く観ていたけれど、MALICE MIZERは他のどのバンドの追随も許さない徹底した演出で、絶大な人気を誇っていた。そうして彼らは、それまで誰もやらなかったことをやっていた。ステージで演奏をせずに踊り出す。ライブの途中に演劇が始まる。「ヴィジュアル系」の域を軽く超えた「やりすぎ」な衣装とメイク。そうして中世ヨーロッパのようなドレス姿なのに、時に自転車でステージに登場し、時にローラースルーゴーゴーで舞台を駆け巡る。そのすべてが観客たちを喜ばせ、熱狂させた。

 本番がどれほど「怖い」ものかも初めて知った。特にMALICE MIZERの世界は完璧さが求められるので失敗は許されない。ステージに出る前、私はいつも緊張で逃げ出したくなっていた。バックダンサーの私など誰も見ていないのにもかかわらず。メンバーの名前を絶叫する、超満員の観客の前に悠然と出ていくメンバーたちの後ろ姿が、ただただいつも眩しかった。なんかもう、自分の目線が「情熱大陸」のカメラじゃないことが申し訳なかった。

 ステージでは、いろんな「想定外」が起きることも知った。一度、目の前に「死?」という言葉がよぎったこともある。棺桶に入ってメンバーが登場するという演出の際、棺桶を運ぶ人が誤って落としてしまったのだ。ステージ上でのことだった。私もステージにいたもののどうしていいかわからず、しかし、何事もなかったかのように棺桶から出てきて演技を始めるメンバーを見た瞬間、「この人たち、やっぱりすごい…」とつくづく思った。そんなメンバーは、全員がびっくりするほどジェントルマンで、芸術家のような佇まいだった。

 そんなMALICE MIZERの人気はどんどん凄まじいものになっていき、97年にはメジャーデビュー。前述したように横浜アリーナでライブをするほどの巨大なバンドになっていた。ダンサーは当然プロがやるようになって私がステージに出ることはなくなったものの、彼らの快進撃を、私はいつも鳥肌が立つような思いで見ていた。「夢」って、ほんとに叶うんだな、と思いながら。

 90年代後半。当時はヴィジュアル系の全盛期と言われた時代で、MALICE MIZER、SHAZNA、FANATIC◇CRISIS、La’cryma Christiの4バンドが「ヴィジュアル系四天王」と呼ばれていた。

 それ以外にも多くのヴィジュアル系バンドがブレイクし、その中には、小さなライブハウスでやっている頃から観ていたバンドも多くあった。自分が好きでよく知るヴィジュアル系の世界に、「一夜にしてスター」みたいな出来事が、本当にゴロゴロ転がっていたのだ。

 このことは、20歳そこそこだった私の人生観に大きな影響を与えたと、今になって改めて思う。MALICE MIZERというよく知る人々や、知り合いではないけれど「無名の頃からライブに行っていたバンド」が急に売れ出してテレビをはじめとするメディアに登場しまくるという現実。私はとても素朴に、夢は叶うし、努力は報われるし、やりたいことで食べていくことはまったくの夢物語ではない、と信じられたのだ。

 時は90年代後半。バブル崩壊の余波がいよいよ人々の生活を本格的に圧迫し、リストラの嵐が吹き荒れ、年間自殺者が3万人を突破し、山一證券や拓銀が破綻するなど世の中は暗いニュースにあふれていた。だけど、オリコンチャート上位にはいつも多くのヴィジュアル系バンドの名前があって、私は「彼らのように、自分のやりたいことを思い切りやって生きていきたい」と心の底から思った。当時はそれがなんなのか、そこからわからなくて人形を作ったりバンドを組んだり、果てはその後右翼団体に入ったりと迷走を繰り返したものの、身近な「成功モデル」を目撃したことは、どれほど私に勇気を与えてくれただろう。MALICE MIZERのバックダンサーという経験がなければ、彼らのストイックすぎるプロ意識に触れていなければ、私はそもそも「物書きとして食べていく」人生など、目指していないと思うのだ。

 2000年、私は1冊目の本を出してデビューとなった。それから18年が経つ。出版した本は、50冊を超えた頃からわからなくなったので誰か教えてくれないだろうか?

 そして9月9日、MALICE MIZERのステージに初めて立ってから20年以上。MALICE MIZER結成25周年のライブが豊洲PITで開催された。当時の関係者からお誘い頂き、実に二十数年ぶりに彼らのステージを観た。

 そのステージは荘厳で幻想的で美しくて、何もかもが夢みたいで、一瞬で「あの頃」に引き戻された。そうして、当時の気持ちを強烈に思い出した。「夢は叶う」と無邪気に思わせてくれたからこそ、自分が何かを目指そうと思ったこと。

   だけど、今の時代はどうだろう。20年前の私のように、「夢は叶う」なんて素朴に思える若者は恐ろしく少数派だろう。「やりたいことをする」「好きなことで生きていく」と言ったところでリスクばかりが強調され、「失敗したらどうするんだ」という脅迫が待っている。そんな「失敗が許されない社会」では、そもそも何かに挑戦しようという気自体が起きないはずだ。

 今、貧困問題を取材し、書いている自分も、そんな空気を作ることに加担しているのかもしれない、なんて思いもある。現実を知ることはもちろん必要だけど、「挑戦して失敗する」ことは若者に許された特権だったはずなのだ。

  そうして私が若者だった頃から20年以上の時間が経った。

  43歳の私は、MALICE MIZER 25周年のライブを観ながら、思った。

  誰かがたまたま与えた「チャンス」が、その人の人生を変えることがあるのだと。その経験がその人の大きな自信につながることがあるのだと。恥多き人生の中、MALICE MIZERのバックダンサーをしたという事実は、私の人生において唯一くらいの自慢である。あの短い日々から学んだことは、今の自分の中に確実に生きている。何よりも、ダンス経験皆無の私をあの「完璧」が必要とされるステージに出してくれたことに感謝している。「こいつはできるだろう」と「信じて」くれたからだ。人は信頼されると、力を発揮することができる。逆に信頼してもらえないと、力など発揮できない。そのことを、私はステージから学んだ。

 あの時、声をかけてくださってありがとうございますと、あの経験は私の宝物だと、大好きな曲に包まれながら、心の中で何度も何度も呟いたのだった。あれから20年以上経っても、みんな最高にカッコよかった。


なんか、いろいろ考えさせられますね。