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この頃NHK短歌でも見ることがないと思っていたら、俳句にシフトしてたんですね、フルーツポンチの村上健志さん。
いろんな句会にゲストで参加、その17つの句会での様子と俳句が紹介されている。これを見ていると、句会によっていろいろな匂いがあり、それはそこに集まって来る人たちの匂いが集約されているようで、これを見ていると、俳句って幅があるし、自由だということです。
巻末にある、俵万智さんとの対談はやはり短歌と俳句の違いをわかりやすく解きほぐしてくれて楽しい。
比喩のところでは、俵さんが「まさに、自分が先に気づきたかった」って一番乗りして言葉にするのが、その比喩の手柄ですよね。とか。
比喩のところでは、俵さんが「まさに、自分が先に気づきたかった」って一番乗りして言葉にするのが、その比喩の手柄ですよね。とか。
季語では、やはり俵さんが「季語の重みもやっぱり、一番大きな違いですよね。短歌をつくる側からすると、圧倒されてしまう」と、俵さんでもそうなんだ。一方村上さんは「それが共通のルールであるなら、“じゃあ、これ省略できるから便利”って思いますよね」って、結局季語を味方に付けれるか、いつまで経っても馴染めないかの違いなんですね。
そして、俵さんは短歌について、「日記より手紙に似てる」と、短歌をつくる時、もちろん読む人をいることを常に意識します。手紙って、読む人がいてこそがの手紙ですよね。なので短歌を読む人がいる、読む人に届けるという気持ちで、常に言葉を選んでいる、と。
「恋は説明するものじゃなく、おちるものだ」と、あるドラマで「説明するんは、好きっていうのとちゃうよ」、イケメンだから好きとか、おごってくれるから好きとか、それはそれでよいかもしれないが、「なんか分かんないけど好き」その時こそ、本物というか。
私も恋の歌が好きなんで、あまり理詰めにするのでなく、何となく好きと言うほんわかな気持ちを大事にしたいですな。
村上さん、短歌も歌ってくださいな・・・・。
村上さん、短歌も歌ってくださいな・・・・。
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