カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 1- 17 (年間第十八主日)

2008年08月02日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

厳しい暑さの中、セミたちは毎日元気に鳴いている。気象台では、アブラセミのジジジジ….」という鳴き声が初めて聞かれた日を観測しています。今年、熊本市では7月13日で平年より2日遅かった。また「カナカナカナ」と鳴くヒグラシの初鳴きも観測しており、熊本市での平年日は8月2日ですが、まだ確認されていないそうです。
さて主の日を迎えると、わたし達の心と体は普通より大きく変わり、大きな喜び、信仰の祭りを迎えるために整ってきます。わたし達は主の日に普段着を着替え、綺麗な服も着て、外面的に心の中にある希望と喜びを外でも見せることにします。
このごろミサの朗読では、パウロのローマ教会への手紙を連続で読もうとしています。今日の個所では私たちの心を強く窺っている言葉が一つあります。それは「誰が、キリストの愛から私たちを引き離すことができましょうか」 さてイエス様が、十字架上に死ぬほどに愛された人々の誰でも、自分の心の中でこのような質問に答えることができます。この答えはとても個人的で、誰も私たちの代わりに答えることができません。聖パウロはわたし達のために、自分の人生による事情を図ってから、一つしかない答えを自ら導き出しました:「私たちをイエス様から引き離すことはできないのです!」 福音書では何かをしようとしているイエス様はとても大切です。 第一の朗読はその出来事に、心身全てで注目するように呼びかています。わたし達は耳だけではなく目でも神様の言葉を聞いて受け入れるのです。そうです。イエス様はとても重要なことを行おうとしています。その時、洗礼者ヨハネがもう亡くなった後でしたが、洗礼者ヨハネの予言された言葉は実現しようとしていました。 
「後に来るのはわたしが靴のひもを解く値打ちもないほど、私より大きな力を持つ方だ」 それに従ってイエス様は病気のため悩んでいる群衆に、深い憐みをもって公の場でモーセと同じように、新しい民族の指導者として力強く大きな愛を示そうとしています。その行いはイエス様が五つのパンと二匹の魚で、(つまりエルサレムの方へ行く巡例者のために定められた食べもので)五千人以上の疲れきった人々を食べさせました。その時イエス様は、まず弟子たちに向って「あなたがたが彼らに食べさせなさい」と誘いました。その言葉に含まれた意味はまず、弟子たちに自分自身、自分の人生、自分の全てを悩んでいる人に与えなさいという愛の形です。そしてイエス様はパンを手にとり、「それを祝福し、割って、人に与えました」このようにイエス様がパンと魚を増やして、心の安らぎを求める群衆の心と体を満足させました。このようなしるしによって、確かにイエス様は人を食べさせ力と希望を与えましたが、実際にそのしるしによって、もっと重大な出来事の意味を示したかったのです。人がイエス様のパンを、つまりイエス様の体を食べると、弱い時支えられ、失望の時に大きな希望に抱かれ、病気の時に治され、死んでも生きる命を得るのです。心がイエスさまの愛によって大きな喜びで満されるのです。
                                  モヨリ神父
*【注目】
毎月の第一と第二の木曜日、午前十時から信徒会館で、
聖書による「イエス様のたとえ話と奇跡についての勉強会」があります。

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