カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 1 - 18 (年間第十九主日)

2008年08月09日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

太陽暦では8月8日前後が立秋にあたります。「今日の秋」は立秋の日という意味の季語である。その他に、今朝の秋、秋立つ、秋に入る、秋さる、秋くるとなど等があります。この頃の暑さは一段と厳しいようですが、ことばとしては立秋と聞いただけで、なんとなく涼しさを感じるようになります。
さて、8月6日から平和の旬間を過ごしているわたし達の心の中に「平和」という言葉が特別に響くようになっています。確かにこの頃、広島と長崎に落ちた原爆を思い起こします。そして、まだまだ平和の状態をつかむことができないこの世界を見つめることになっています。けれどもそれより、わたし達は復活されたイエス様がもたらした平和を思い願い、それに深い感謝の心を感じています。
今の季節、日本では全国のあちこちで夏祭りが行われています。菊池市でももうすぐ夏祭りです。キリスト信者は毎週の日曜日に神聖な祭り、感謝の祭儀を通して、そこにおられるイエス様を大きな喜びをもってお祝いします。そして神様に対して又兄弟に対しても感謝の心を現わしながらお祭りを祝います。
では、聖パウロのローマの信徒への手紙の言葉に注目しましょう。聖パウロはキリスト信者としてイエス様に強く結び付いていることを確信しています。それによって自分の人生、言葉、行いを通してイエス様の御心だけを語っています。聖パウロは真実をのみ語り、偽りは言わないとおっしゃっています。そして聖パウロが悲しんでいることも語っています。それは神様に選ばれたものたちが、神様からこの世に送られたイエス様のことを気づかず受け入れられないからです。
次にマタイの福音書は大きな励ましのメッセージもたらすところになっています。当福音書の場面を正確に読みとるために、象徴的な出来事として分析してみなければなりません。いつも危なそうに湖に浮かんで、揺れている船は教会のことです。しかしその中にイエス様と弟子たちがおられるから、安全に向こう岸に渡ろうとしています。イエス様にとってどんな時でも、祈るのは自分の御父の心と思いとのつながりの場です、それはわたし達の祈りに似ています。同時にイエス様がいつも弟子たちと一緒におられます。幽霊のようなものではなく、支える力、勇気を与える存在として弟子たちとおられるのです。この時にもイエス様に従ったわたし達のために、心に響く言葉があります。「安心しなさい。私だ。恐れることはない」この言葉でシナイ山で神様が自分の名前を述べられたように、イエス様が、自分のことを証明します。「私だ!」つまり「私がある」と。イエス様がおられる時、つまりわたし達がペトロのようにその存在に気づく時に幸いです。再びイエス様がわたし達を呼び、話しかけています。「来なさい。安心しなさい。恐れることはない」この言葉を信じたペトロは、強い風に襲われてもイエス様の手に支えられて救われ、無事にイエス様がいる船に戻りました、この時こそ、このような出来事とそのメッセージは私たちのために参考にならないでしょうか。            モヨリ神父
                                       
*【注目】 毎月の第一と第二の木曜日、午前十時から信徒会館で、
聖書による「イエス様のたとえ話と奇跡について」の勉強会があります。

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