カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
菊池教会の電話:0968-25-2381

毎週の一言 B年 三位一体の主日

2009年06月06日 | 神父様からメッセージ(B年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

旧暦5月午の月の正節で、新暦6月6日頃を芒種(ぼうしゅ)といいます。芒種とは芒(のぎ:イネ科の植物の花先の針状の突起)のある穀物、すなわち稲を植えつける季節を意味しています。五月雨が間断なく降り続き、農家が多忙を極める季節です。近年の自然環境の悪化に伴い各地で消えつつあった蛍も個人や愛好家、グループの地道な活動によって「蛍のいる風景」が復活し、今も保護、再生の取り組みが進められています。古来より、夏の風物詩として親しまれてきた蛍の光は人の心を奥深いところで揺り動かす神秘的な力を持ちます。また5月末になると蚕が繭(まゆ)をつくります。それが生糸・絹となるのです。日本は戦前、戦後、生糸生産世界一を誇りました。
カトリックの典礼では、イエス様のみ心を捧げられた月を迎えることになりました。イエス様の「み心」に表される神の愛を思い起こし、イエス様の無限の愛のしるしである「み心」について考えましょう。愛の心はイエス様の生き方全体ですが、特に十字架上の死、槍で刺し貫かれた脇腹(心臓=み心)を仰ぎ見て神の愛を思い起こすことです。それだけではなく6月の間にとても綺麗な祝日を迎えます。生き生きとした神様の姿を語ってくれるお祝いです。それは、6月7日、三位一体の祝日です。神様の姿を語る祝日であり私たちと神様との新たな親しみ、つながりを築く祝日です。ではマタイによる福音書を通して私たちを大きな愛で包んでくださる神様を観想してみましょう。聖トマスアキナスが言うように、神様は沈黙の中で拝むべきです。このように神様のことについて考え、探し求めるのは当然です、しかし神様に対する私たちの知識はあくまでも神秘の世界を超えるものではなく、それを最後まで貫くことができません。いろんな学者が神様について考えめぐらしましたが神様は私たちに小さな光を与えながら、同時に神様のことが何であるかはまだまだ理解することが出来ないことも見せてくださいました。カトリック典礼でも上記のような思いで神様の神秘を完全に理解できなくとも、観想して体験することを勧めてられています。
「三位一体」という言う言葉は聖書によるものではありませんが、しかしその意味と内容はむしろ人間のためになさったことで全く聖書の思いの通りです。神の言葉である聖書は神様の姿について細かく話してくださり、神様がどのようにして人間と関わり、どのように人類の救いを成し遂げたかを語ってくださいます。その話に耳と心を傾ける信者は時代を通して神様の愛、人間と一緒に築いた救いを経験します。その愛に満ちた救いは神様を信じる者が御父、イエス様、聖霊の働きによって身近に神様の存在を発見します。
マタイ5・1-12
イエス様はご自分の弟子たちにいくつかの使命を命じています。行くのは全世界です。いろんな所、行ける所は限りがありません。人がイエス様の弟子になるということは、神様の命を知らせること、言葉と行いを通して示されたイエス様の愛を人々に豊かに与え経験させる使命をもつことです。イエス様が皆と最後まで一緒にいると約束され、自分の熱心な弟子だけではなく、疑う人にも全人類全てに神様の素晴らしさを告げ知らせることを命じています。このようにイエス様に派遣されたキリスト信者は、三位一体である神様に出会い、神様を知り、神様の世界を味わい、それを世界に告げ知らせます。信仰のない人にとって、三位一体は矛盾に満ちたことにすぎないかもしれませんが、キリスト信者にとっては満足できる、永遠に導かれる神様の愛です。それは頭で理解できることではなく、心で体験できる神様の素晴らしさです。
                                モヨリ神父  

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。