カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 A年 年間第二十七主日

2011年09月29日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ,

「神をこころから愛しているあなたなら、心の中でたびたび神に語りかけていることでしょう。」
赤トンボが青空を舞うようになると、至る所でコスモスの花が咲きみだれます。日本の風景に溶け込んで、コスモスは古来の花と思われがちですがメキシコ原産で明治時代に渡来し、繁殖力が強く、日本の秋には欠かせない花となりました。色とりどりの花を咲かせ群生して咲く様子が桜の花に似ているので[秋桜]ともいわれています。神様に生かされた私たちの短い寿命は色んな方法で飾られています。秋に咲くコスモスの花は秋の喜びの一つですが、毎週の日曜日に大きな喜びをもたらすのは、神様の宴会の食卓に誘われていることです。その時に神様の言葉、イエス様の体によって満たされた私たちが大きな喜びを味わうことができ、人生もとても深い意味で、楽しい時になっています。喜びはキリスト信者の宴会の礼服です。それに私たちのあっというまの人生のために日曜日の神様との出会いは素晴らし出来事であり、欠かせない喜びの機会になっています。使徒パウロのフィリピの教会への手紙 4・6–9物心両面での支援を惜しまなかったフィリピの共同体の信者たちに感謝しながら、聖パウロは当手紙の中で深い友情の関係で結びついていることを示しています。その背景の中、心の平和を探し求める人に、どのようにすればそれを得られるかを聖パウロが教えてくれています。まずイエス様に従うものであれば、煩ってはいけません。なぜなら、神様との係わりは何でも感謝しなければならないし、神様は願うことがあればいつでも私たちのそばにいて、かなえてくださいます。そう思うと私たちはイエス様と心や考えも一つになります。そして聖パウロはいつもご自分の兄弟のようにフィリピの共同体のキリスト信者に、真実の中に、正し心、清い心、愛する心をもって生きるように勧めています、なぜなら、そうすることによってイエス様とのつながりが実現し、本当の心の平和を味わうことができるからです。
マタイによる福音書 21・33-43
いつもたとえ話を語るイエス様が私たちの心の反応を求めています。この場合、まず知らせてくださるのは、神様は私たちに救いの計画をすべてを備えられているということです。それはたとえ話しの中のぶどう園のことです。私たちの場合、人生のこと、信仰のこと、周囲にいる者たちのことで、それはすべて神様が私たちのために供えられたもので、大きな信頼の中でまかせられています。さて、ぶどう園のたとえ話のように、神様の賜物を預けられた私たちはどのようにそれを受け入れて大切にしたか、また神様の望みや導きを表現されている愛にどのように応えたか、それが私たちの心の反応を期待しているイエス様のたとえ話の目的になっています。まず私たちのために神様が供えてくださったことを検討してみると、この世の素晴らしさだけではなく、人類の運命、そしてもっとも大切なのは神の国です。それは神様が準備してくださったもので、私たちの弱い手に預けられています。私たちは神様が送ってくださったいろんな良い知らせ、生きた言葉、励ましの言葉、赦しの言葉をどのように受け入れたでしょうか、それが今日の朗読の重大なテーマになっています。その神様の愛を現わす言葉は、実はイエス様自身です。その言葉を受け入れて、大切にしたものだけが自分の人生、自分の住まいを親石の上に建てることにし、神様の大きな愛の計画を受け入れます。    
モヨリ神父

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