カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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「今週の公教要理の錠剤」42 

2012年10月12日 | 神父様からメッセージ(B年)
B年 年間第二十八主日             2012・10・14
「カトリック教会の教え」から   
「本当の喜びを求める人間」
どんな人でもいつも幸福を求めて生きています。幸福とは自分の夢と希望が満たされることですがそうならない時もあります。普通に幸福は自分の望みを獲得することで、理解や愛を与えてくれる人に出会った時のその充足感や平安な気持ちです。けれどもこのような喜びは簡単に得られるものではありません。悩みや苦しみ、それに不安な人間は偶然な喜びとか「ハプニング」のきっかけによって幸福を探しているのです。このような喜びは人間にとって常に満たされるものではありませんから常に真の幸福を探し続けています。それに人間は孤独では幸せになれないものです。人の間、人と一緒にこの世間の中で幸福を求めています。そして肉体的な幸福を求めるだけでは、霊でも作り上げられた人間は簡単に満たされません。人間が捜している喜びは、より深いことで、人間全体を満たす喜びです。キリスト信者にとって本当の喜びは、聖アウグスチナスがおっしゃるような喜びを思っています。つまり「あなたは(神様)私たちをご自分に向けてお造りになりました。ですから私たちの心はあなたの内に憩うまでは、やすらぎを得ることは出来ないのです。」(告白)そこから人間の真の喜びが得られるし、具体的にイエス様自身はこのように話してくださいます。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」人間にとって、どこで、何をすれば本当の幸福を求め、得るることが出来るのかは欠かせない課題だと思います。カトリック教会の共同体は、祈りの時に神様の言葉(聖書)を聞き入れて幸福への大切な道を歩んでいます。しかし、人間の本当の幸せはあくまでも自分の才能で得られたことではなく、神様の無償の恵みなのです。
                                                          
                               モヨリ神父
                                               

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