カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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B年 年間第19主日 

2015年08月05日 | 神父様からメッセージ(B年)
  とても暑い時期に入ります。平和の旬間において欠かせない理想として世界の平和を祈りながら、教会の暦と信仰に関するいくつか大変素晴らしい祝日を迎えることになります。主のご変容の祝日(8月6日)、聖ドミニコの記念日(8月8日)、聖ラウレンチオの記念日(8月10日)、聖クララ記念日(8月11日)、聖マキシミリアノ・マリア・コルべ司祭殉教者の記念日(8月14日)、ご聖母の被昇天の祭日(8月15日)です。聖人たちの祝い、そして教会の祭日も、天国の方に歩んでいく私たちにとって、灯のようにまた矢印とも支えともなり、私たちに残された聖人たちの足跡は神様の方へ行く確かな道を示してくださいます。復活されたイエス様が贈り物のようにくださった平和の心は、この頃特に強く考えるように勧められて、次の世代のためにこの大切な価値観を築くように誘われています。そのために支えてくださるのは、丁度この頃お祝いする聖人たちの立派な生き方です。
さて、中でも聖母の被昇天はマリア様の祝いであり、私たちに天国の方に一つの窓を開いてくださいます。ぜひそちらの方に目と心を向けましょう。人生を鮮やかに色どる理想を見出すことができます。
「ヨハネによる福音6・41-51」
 キリスト信者にとって人生は巡礼に似ています。信仰がこの歩みを支えながら、永遠の命に導く道を照らします。ヨハネ福音記者がイエス様のことを、永遠の命の方に不思議に歩み続ける私たちの人生を支える天から降ってきた食べ物として紹介します。このように巡礼のような人生を送るのは、神様のことを知って憧れた人だけです。たとえば旧約聖書では、預言者エリアがオレブ山の方に歩んでいた時に、神様のパンに支えられて歩き続けました。当福音書の中心的なイエス様の言葉は:「わたしは…です!」このような表現は神様がオレブ山の上でモーセに伝えられた自分の名前を思い起こしています。次にイエス様が自分の正体を現わしながらつけ加えるのは「私は…天から降ってきたパン。」「私は…命のパン。」「私は…生きるパン。」当時の人々はイエス様のことを、その親戚やその出身もよく知っていたつもりで、イエス様が神様の権威をもって(私は…です!)と言われても、天から降ってきたことは分からなかったのです。神様が派遣してくださったイエス様を知る人、そしてそれを信じる人だけが永遠の命を得られます。荒野でイスラエル人たちが食べた食べ物はあくまでも食物であり、神話・伝承の中でいただいた食べ物でした。イエス様が伝承と現実的な世界を超えて、天から降ってきた食べ物であり、人間に命をくださる心の食べ物として現われています。このようなイエス様の姿を見せることで、私たちがイエス様を人間として、また言葉とメッセージとして、すべて受け入れるために呼びかけられているのです。天国の方へ旅の途中の教会は、天から降ってきた普遍的な食べ物に支えられて、イエス様の言葉において信仰を守りながら、いつか神の御顔を仰ぎ見る時に達することが出来ます。

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