カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 A年 年間第二十九主日

2011年10月13日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ、
「いつも親切と愛情をもって隣人と付き合うようにしなさい。」 聖フランシスコ・サレジオ

寛永十四年(西暦1637)の「天草(島原)の乱」は百姓一揆、籠城、宗教一揆となり翌年に攻落されました。天草にある「千人塚」は当時の殉教者を供養したものです。十月第四の日曜日に天草の殉教公園で「殉教祭」が行われます。キャンドルを灯した白いベールの列が坂を下り、激戦の場となった紙園橋へと至り美しい聖歌の響く夕闇の中、祈り集う人々の敬虔な姿を誰でも見ることができます。このような出来事を振り返ることは日本の教会の心が大きく燃え上がる機会になり、一人一人の信仰もまた燃えてきて支えられます。殉教者たちは私たちの信仰の種であり、キリスト信者の人生の理想になっています。教皇様はあるメッセージの中に、次の言葉を述べられています「教会はまさに福音を宣べ伝えるために存在しています」さて、イエス様に従ったものたちはいつもどんな時でもそれを覚悟して、イエス様から頂いた「福をもたらす音」福音を言い広めています「使徒パウロのテサロニケの教会への手紙 1・1–5」によると私たちの手紙の書き出しに比べて、羨ましくなるほど素晴らしい最初の挨拶がテサロニケの信者のために記されています。このような聖パウロの手紙の挨拶は、キリスト信者のための手本になっています。この挨拶は大いに聖パウロの心を現わしながら、同時に聖パウロのテサロニケの信者への深い思い、やむにやまれないメッセージを含んでいます。キリストに結ばれた者は神様の恵み、心の平和の中で生きています。信者である私たちも、人に何かを差し出そうとした場合、上記のような神様の贈り物が一番素晴らしいものです。聖パウロはテサロニケの信者たちに心をかけながら、キリストの信仰によって自分の兄弟として思い、信仰のために働き、愛のために労働していることを誉めます。テサロニケの信者たちは、信仰と愛の中で生きることによって父である神の心の中に留められて、神様に特に愛されているのです。聖パウロは私たちのためにも参考になることをもう一言伝えています。それは福音を宣べ伝える時に、言葉だけではそれが人の心に残らないことがあります、ですから聖パウロがやったように私たちも力や聖霊の光によって、福音的な生き方によって、キリストの心を伝えるならテサロニケの信者と同じように、誰でも神様の心を見出すことができます。
マタイによる福音書 22・15-21
 イエス様の言葉を信じることになった私たちは、その言葉によって気づくことが沢山ありました。今日はイエス様が、普段気づかない真実に眼が覚めるように仕向けてくださいます。宗教の世界、社会の世界は私たちにとってどのように見えているのでしょうか、対立し区別されているのでしょうか、宗教と社会、信仰と政治、心の中身と物理的な世界の区別と判断を、イエス様の言葉に基づいて考えてみましょう。まず、イエス様がおっしゃる通り、まず税金を皇帝に返すことを考えましょう。イエス様がおっしゃる通り、だれにとっても社会的な義務、役割、責任があります、それは果たすべきです。それによって、社会の平和と調和を求められます。宗教的な世界は社会的な世界に対立してはいませんが、むしろ神様の光で照らされた人間はどこでも、どんな時でも一番いい方法を探し求め、それは暮らしの原動力になっています。神様は私たち一人一人を心から愛されて私たちを神様の似姿に造られていますから、私たち自身、そしてこの世界も美しく神様が作られたままに返さなければなりません。イエス様の心と一致することによって、神様に私たちの素晴らしい人生を返すことが出来、神様の栄光となるのです。     モヨリ神父
※「新 くまもと歳時記 編集委員会編」(熊本日日新聞社)より一部引用


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