カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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B年 復活節第4主日

2015年04月28日 | 神父様からメッセージ(B年)
聖霊降臨を向っていく、復活祭を味わっているキリスト信者の心は、このように神様の美しさに溶け込んで輝いています。光であるイエス様が私たちの心を貫かれて、神秘的な世界とその現象を見られるような力となっています。イエス様もご自分の聞き手に話すときに、一所懸命にいくつかの譬え、イメージを使っていますが、実際に伝えてくださるのは人間の理性でつかむことのできない素晴らしい真実です。イエス様が譬えを使うと、その中でそれを聞いて受け入れる人に出会います。その小さい物語はイエス様に出会う場となっています。それだけではなく、復活されたイエス様がその小さい可愛い物語を通して、私たちの日常生活の中におられると知らせてくださいます。
ヨハネ福音書10、11-18
イエス様の一つの宣言で話が始まります。「私は・・・ある」。このような表現がヨハネの福音書によると、オレブ山でモーセに神様から伝えられた名前のつながりが強調されています。復活されたイエス様が私たちの人生の中にある、私たちの心や思いにあり、欠かせない存在です。そして、「羊飼い」という表現で、どのような形でイエス様が私たちの内に存在しておられるかが明らかにされています。罪の赦しを深く強調されたイエス様が、良い羊飼いの姿に譬えて深く憐れみの心を示しています。羊のように弱い、迷いやすいいつも赦される私たちを、愛の理由だけで支えてくれる羊飼いはイエス様です。良い羊飼いと羊のつながりは命です。イエス様がご自分の命を捨てる(失うー捧げる)ほど、私たちにご自分の愛、思い、喜びをくださいます。だから私たちにとってイエス様の命は欠かせない贈り物です。イエス様は本当の良い羊飼いです。このような表現は日本の思想においても理解しやすいことだと思います。良い羊飼いは模範的な先生です、「先に生きた者」、正しい先生、正しく真理を述べる先生、そして、弟子を愛情で包む先生です。上記のような思いは日本仏教の教典にもあります。けれども、唯一であるイエス様の救いはイエス様と全く同じようになる、考える、生きることです。正しい羊飼いは自己利益のためではなく、愛情の理由だけで羊を敵から守っています。つまり人間を神様から遠去ける敵はいくつもあります、哲学的な思想、社会的な競争、魅力的なさまざまな思いです。けれども、いつも私たちを赦し、ご自分の肩に担いでくださるのは模範である唯一の良い羊飼いです。イエス様が一人、一人にくださったのは正しい教え、迷うことのない真理だけではなく、ご自分の命、ご自分の体、ご自分の血。それを自分の人生に取り入れる人だけが永遠に神様の懐の中に生きるのです。
                              モヨリ神父

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