カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 A年 年間第三十一主日

2011年10月17日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ,
「一人の時でも慎み深く振舞うようにしましょう。天使達の前にいるのですから。」
聖フランシスコ・サレシオ

旧暦では10月末に「霜降」の季節に入ります。秋が深まり、ところによって霜をみるようになり、冬の気配が感じられます。楓や紅葉が色付始める季節です。
[霜降]は文字通り、霜の降り始める頃という意味です。霜は気温が約3度以下に下がると降りやすくなります。この頃県内は季節はずれの陽気で、最低気温3度とは程遠い日が続いています。しかし、雨が降ったあと今週末からは、寒気が流れ込んでくると急に気温が下がります。菊池地方の山沿いは3度近くまで下がる日もありそうです。このような自然現象は、より深い意味で全く同じように旧約聖書の中に取り上げられています。それは神様の言葉の働きを示しています。それだけではなく、人生の短さをも示しています。霜のように人生は日光に貫かれるとすぐに消えてしまいます。そのように寿命もとても短いです。諸聖人の祝日と死者の日を迎える私たちにとって、確かに参考になる事柄だと思います。このような悲しい思いに抱かれても、イエス様に従う者たちは、目を上げて光と喜びのある世界を見つめて、大きな希望をもって過ごしています。人生はどんな時でも神様の贈り物であり、どんなことよりも大切にされて、それを神様に自らの能力によって豊かにすることが、神様への恩返しになります。
マタイによる福音書3・1-12
この福音書のなかに、マタイ福音記者にイエス様がおっしゃったいくつかの表現が集められています。目的はまず、だれにも神様の栄光、神様の権威を奪い取ることはできないと強調しています。次に私たちは唯一の師の弟子であることを明確にします。イエス様はファリザイ派の人々の行いを真似しないように勧めてから、このような人物のプライドと自慢とに注意されます。それに対してイエス様が皆に唯一父である神様のことを注目させながら、皆の唯一の師として神様のことを紹介します。イエス様の時代にファリザイ派の人々は主な神学的な考えの代表でした。同時にファリザイ派の人々だけではなく、新しく生まれてくるイエス様の共同体の指導者も言い伝えることと行いが異なっていました。「第一ペトロの手紙5・1-4」が同じような思いを伝えています。あの者たちの行いは、神様の思い通りではなかったのです。イエス様は結局一番偉くなりたい弟子たちに、基本として自分がされたようにお互いに仕える者になるように勧めています。実際に上席を選ぶのではなく、聖句の小箱を大きくしたりでもなく、広場で挨拶されて「先生」などと呼ばれることでもなく、人の僕、人に仕える者になることを勧められています。イエス様に従う者にとって唯一の先生はイエス様だけです。ほかの人たちは皆、兄弟です。イエス様がおっしゃったことを受け入れないのなら、むしろその代わりに自分自身で立つことにすれば、イエス様の弟子として違反することもないのです。イエス様の弟子の義務は自分の方にではなく、人をイエス様の方に呼び寄せて導くことです。使徒パウロもコリントの信徒たちに、だれにもイエス様だけが救い主であり、イエス様だけが私たちの先生であり、イエス様だけに皆が指導される、それだけを真似しなければなりませんと強調されています。
モヨリ神父
※「新 くまもと歳時記編集委員会編」(熊本日日新聞社)より一部引用



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