カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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B年 第21主日 

2015年08月17日 | 神父様からメッセージ(B年)


 キリスト信者は楽しい時も、苦しい時も感謝の心を忘れないようにしています。ミサは感謝の祭儀と言われていますが、その感謝は一緒にいるものに対する感謝であり、この宇宙を創造された神様に対する感謝、いつでもパンとしてご自分の体をくださるイエス様に対する感謝です。キリスト信者はイエス様の知恵を受けて、パンのような生き方を模倣しています。典礼暦では8月22日が天の元后聖マリアの記念日にあたり、私たちも天国の喜びを味わいます。そして教会が模範的な2人の聖人の祝日に向かいます。聖アウグスチヌスとその母である聖モニカです。美しさを探し求めた聖アウグスチヌスは、自分の心の中にそれを発見しました。一方天国で生きることを憧れていた聖モニカは、この世でも自分の心、自分思い、自分の夢はずっと天国にありました。自分の人生の目標として、天国に行くことだけを望んでいました。このような聖人たちの足跡は私たちにも参考になると思います。
「ヨハネによる福音書6・60-69」
 当福音書のテーマは、人間の人生の計画を神様の思いに合わせて、神様の観点から正しく送るということです。自分の人生の中で神様の存在に気付いた人は、神様のために生きる、神様の方に進んで行く、このように生きるのが絶対的な人生の方針です。神様は時代を通して、色々な時に人間にご自分の愛の約束を授けました。しかし皆さんが自分の人生で経験したように、人間の反応は様々でした。当福音書でパンについて、食べ物、肉となったイエス様の体の話を聞いた弟子たちも、信じ難く、戸惑ったとあります。「誰がこんな話を聞いていられようか。」このようなイエス様の話は聖霊の光によらなければ理解できないと思います。その光なしでは確かに無理だと思います。さて、そんな私たちのために、ペトロがイエス様に向かって大変綺麗な祈りを祈ります。「主よ、私たちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。」人間の心の中で信仰と理性はよく戦うものですが、救いを求める人間は、最終的にイエス様の言葉を受け入れるのです。使徒ペトロは使徒たちの代理として、自分の心の信仰を告白し、永遠の命をくださるイエス様は唯一の先生であることを宣言します。このような言葉で、使徒ペトロはイエス様の思いと一致して、完全にイエス様に従うように心の決意を現わしています。同時にイエス様は弟子たちに下さる永遠の食べ物について、神の聖者であるご自分の正体を現わしています。イエス様は人を集めるために自分のメッセージを和らげようとはしていませんでした。信仰と勇気のある人の心に呼びかけて、自分と同じように神様の思いに溶け込み、皆の食べ物になって生きるように勧めています。        
                          モヨリ神父

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