カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 A年 年間第二主日

2011年01月13日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ、
「たびたび私たちは、天使になりたいとあこがれを抱きますが、
            まず、素敵な人間になるように努力しなさい」 
聖フランシスコ・サレシオ

風花は、晴天の日にちらつく雪のことで重量感はありません。山脈を越えてきた風に雪片がまじることもあります。ちらちらと一片ずつ落ちてくる雪は美しい自然現象であり「かざばな」という語感もよく好まれる季題です。確かにこの頃の主役は寒さです。それに伴う健康の不調です。実は、日常の痛み、苦しみ「背中の痛み、風邪など」も真珠のようなものです。それを愚痴や文句を言うことで捨て去ってしまわないようにするのは大切なことです。むしろ喜びの中で神様への捧げものにすれば、素晴らしい飾り、素晴らしい贈り物になります。なぜなら、イエス様の十字架の苦しみにより、豊かにに愛されたわたし達が、小さい苦しみを通して神様の限りない愛に小さな恩返しができるのです。その時、イエス様と一緒に輝き、神様の独特な愛をこの世でしみじみと心に広げることができます。愛の中でキリスト信者は、心も体も癒されています。
さて、この頃カトリック典礼の色は緑になり、年間の時季にもどります。この季節は、より大切な他の典礼的な季節の準備になります。「準備中」と言いかえればおかしくないと思います。だから、この時季をも大切にしながら、キリスト信者は大きな希望の中で、より重要な時の準備として過ごすべきだと思います。

ヨハネによる福音書 1・29-34
当主日の福音書は、再び洗礼者ヨハネがイエス様に洗礼を授けることについて語っています。短い個所の中に「見る」と言う単語が5回ほど登場します。中心的なところは、洗礼者ヨハネがこの世で降待祭の時に生まれてきた、メシアであるイエス様を紹介することです。
実はイエス様の真の姿をヨハネに知らされるのは聖霊です。洗礼者ヨハネは、二回ほどイエス様のことを知らないと言います、なぜなら、イエス様を知らせるのは聖霊の独特な贈り物だからです。神様であるイエス様が僕として神様の栄光を表すもので、洗礼者ヨハネにとって初めて知りえたことです。洗礼者ヨハネが受け入れた光、イエス様を知ることも洗礼を授けることも、神様から命じられたこと、与えられた賜物です。イエス様を知ることは洗礼者ヨハネにとって人間同士の経験だけではなく、イエス様が神様であることも知ることによって、人間が神様の世界に属するものであることも知らされたのです。洗礼者ヨハネのイエス様の紹介の方法によって、洗礼者ヨハネがどのようにイエス様のことを知るようになったかが明らかにされています。神様でありながら、人間としてこの世に来られたイエス様を紹介する表現は次の通りです。「神の羊」「世の罪を取り除く」「私の後から一人の人が来られる」「その方がわたしにまさる」「わたしより先におられた方」「聖霊がこの方の上に留まる」「聖霊によって聖霊を授ける」「神の子」です。このような言葉でイエス様が洗礼者ヨハネに初めて紹介されています。だからイエス様は皆の魅力ある神の羊であり、この世の人類の救い主です。イエス様を通して、神様はこの世の罪を無償で全て赦します。イエス様は人間でありながら神様であり、神様に全て結びついて、この世の根本的な弱さをとりのぞく方なのです 
                                                               モヨリ神父  

※「新 くまもと歳時記 編集者委員会」 (熊本日日新聞)より1部引用

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