カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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B年 枝の主日  

2015年03月24日 | 神父様からメッセージ(B年)
さて、ミサはキリスト信者にとって感謝の祭儀であり、イエス様の最後の晩餐の死と復活の記念になっています。ミサの時に記念唱のところに、皆で「主の死を思い・・・」と唱えます。その時にイエス様の死の思いの中で、一番大きな愛のしるしを見出します。「友のために命を捧げるより大きな愛はない・・」イエス様は裂かれたパンのように、私たちに十字架からご自分の体、ご自分の心をくださいます。それをいただき、それで生きている私たちは、イエス様の死を思う時に、どのような気持ちでそれを感謝の祭儀の中で記念するのか、イエス様に従った者たちにとって、人生の中で欠かせない課題だと思います。
「マルコによる福音書〈主イエスキリストの受難〉 15・1-39」
「枝の主日」を迎えることになりました。今年は典礼暦によるB年の中で、神様の心を語ってくださるイエス様の神秘的な救いの歩みを辿りながら、受難の主日でマルコ福音記者の記したイエス様のご受難を朗読することになりました。この少ない解説の言葉の中で、マルコ福音記者が収録した、十字架につけられたイエス様が言われた言葉を深めたいと思います。その言葉は苦しみを背負いきれない私たちのために、私たちの日常生活における十字架を、どのように栄光と希望に変えることが出来るのかを教えてくださる言葉です。
「父よ 彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか知らないのです」悩み苦しむ私たちは、痛みの原因を探し求めていろんな人、出来事に理由があると考えがちなのですが、イエス様の赦しの言葉は、私たちの心に大きな平和を取り戻すと思います。人間が知らないことは数知れないほどありますが、すべて知っておられる神様は、イエス様の死に含まれた私たちの死と苦しみも、神様の限りのない慈しみと愛の中にある計画に包まれています。神様は十字架につけられたイエス様の言葉によって、何も分からない弱い人間の私たちを、いつもどんな時でもどんなことでも赦しています。いつも神様が皆の心の平和と救いを求めています。
「あなたは今日、わたしと一緒に楽園にいる」とおっしゃるイエス様が、ご自分の十字架の隣につけられた受刑者に、大きな喜びをもたらしました。この犯罪人が自分の弱さを認めて、イエス様に自分の希望を述べて、イエス様から素晴らしい喜びを与えられました。このようなところは私たちにぴったりで、参考にならないでしょうか。
「父よ、私の霊を御手にゆだねます」神様の御旨だけを成し遂げるためにこの世にこられたイエス様が、最後にご自分の思い、心、御体を神様の手にゆだねました。私たちもそうすることが出来れば、私たちでも神様が素晴らしい計画を作ってくださるでしょう。神様にすべてをゆだねる私たちを通しても、神様は大きな愛によって、人々の間にいつも大きな喜びを蒔きつづけられるのです。
       モヨリ神父