カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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B年 四旬節第四主日 

2015年03月10日 | 神父様からメッセージ(B年)
この時期私たちの心も目も、自然の美しさに満たされながら、四旬節の十字架のしるしを見つめています。美しさばかりを探し求める私たちの目に、十字架はどこに美しいところがあるのでしょうか。それはキリスト信者にとって、十字架のしるしを通した神様の限りない愛を見出せるというところです。それは神様の勝利なのです。
「使徒パウロのエフェソの教会への手紙 2・4~10」
 使徒パウロは神様の愛について語ってくださいます。私たちの罪は神様の限りない愛によって赦されています。罪によって死ぬべき私たちは、神様の愛に包まれて、イエス様と一緒に生き返ることができました。神様の命は大きな恵みであり、心の力、希望、人生を満たす喜びです。イエス様の生き方を通して、またイエス様の死によって、神様の愛は慈しみ豊かな恵みで満たされた心だと明らかにされました。罪によって神様から遠去かった私たちの心を、神様はこの世を創造したときのように作り直しました。だから私たちの行いはイエス様の命によって新しくなり、私たちの人生もイエス様と一致して神様の心を現わす生き方になっていきます。
「ヨハネによる福音書 3・14~21」
 イエス様が、ファリザイ派に属し真実を探し求める人に出会います。二コデモでした。当時、哲学者ソクラテスの言葉が流行っていました。「マイエウチカ」です。それは先生の言葉や知恵によって新しく生まれ変わるということです。イエス様の話しを聞きながら、二コデモの心も新しく生まれ変わろうとしています。イエス様が「上を(十字架を)見るように」ニコデモを導いています。使徒ヨハネにとって「見る」と「信じる」は全く同じ意味をもっているので、二コデモは十字架を見てイエス様の話によって、神様の救いと御技を見させられています。つまり神様の愛を理解することによって、新しい世界に新しく生まれることになります。四旬節の第4主日の特徴は「喜び」です。「ドミニカ レタレ」といいます。悲しみと罪の中で生きてきた者たちには、イエス様の死と復活によって大きな希望が与えられています。世界の歴史、人々の歴史、その中に神様の愛の働きを見ることができれば、私たちがどれほど大切にされていたものだったかがわかり、その時に私たちの目が大きな光を見るようになり、新しく上から生まれることになっています。キリスト信者が神様と同じ目で十字架のしるしを見ることができれば、そのむごいしるしの中で、命と愛を見る(信じる)こともでき、神様と一緒に生き神様と同じ思いと行いを成し遂げることができるのです。        モヨリ神父