カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
菊池教会の電話:0968-25-2381

「今週の公教要理の錠剤」59

2013年02月15日 | 神父様からメッセージ(C年)
C年 四旬節第一主日 2013・2・17
 「カトリック教会の教え」から
「延命の可能性」
命は神様からの贈り物だと言いますが、人間の寿命も神様に定められています。福音書によれば、神様が大きなみ摂理をもって管理されていますから、人間は勝手にそれを延ばすことは出来ないし、勝手に縮めることもできません。しかし、現代の社会には寿命に対していくつかの問題が絡んでいます。たとえば、大きな病気を患っている人で植物人間になった場合、そして回復の見通しはほとんどない時、寿命はそのまま保つべきか、勝手に中止すべきかと言う問題もあります。その時、親戚や身内の看病と経済的な負担もありますから、キリスト信者として、また教会の指示に従いたい場合、どのようにすれば良いのでしょうか。しかし、この疑問に対して答えしにくいものがあります。誰でもこの課題について理解する光を求めています。医療は人間の命の保存の為、欠かせない手段であり、出来る限り寿命を保つために大きな役割をもっています。それで命を救う医療の力に対して大きな尊敬を持つべきだと思います。しかし、命を無理に救うためにそれは特別な治療、あるいはより高度の治療をすることになった場合、それに経済的な負担が大きかったり、親戚と身内にとっていろんな犠牲を祓うことになる場合、無意識の命になった場合、特別な治療をやめるべきだと思います。それはカトリック教会の教えでもあります。それに、かねて死の断定、臓器の移植もからんできますが、その問題は確かに人間と命の尊さから考えることになっています。キリスト信者は自分の命のように他人の命を大切にしながら、神様のみ旨のように大きな愛に元づいて、各々の問題を考えることによって、具体的な立場になったその時こそ、自由な心で命に対する大きな尊敬を持って、神様と人への愛の中ですすみながら、問題の具体的な解決を探し求めましょう。
                     
                                  モヨリ神父