カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 1- 14 (年間第十五主日)

2008年07月12日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

田植えが終わり十日もたつと、苗は薄緑から日々濃くなってきます。この頃の苗は成長若しくどんどん分裂を始め、目を見張るばかりの美しい青田に変わってきます。そこを吹く風を「青田風」といい、その風により、青稲が揺れ渡る景象を「青田波」とよびます。
さて、わたし達は心を整えることによって、身も整えられます。神様から与えられた時間の神殿である日曜日は、心によって体を育む機会となっています。この日、わたし達の心も体も神様の懐に戻っていき一体となります。つまり「贖われます・あがなわれます」 イエス様のご復活によって、わたし達の心は神様の心の中に溶け込み、わたし達の体も神様のものになります。
今日の祝日の朗読は神様の言葉に注目いたしましょう。み言葉は種のように人間の弱い心に落ちています。その言葉は人間の心、人間の人生の中で豊かに働いて人間の祈りによって神様の方に戻っていきます。その言葉は人間に、いつも真摯な心で受け入れられているとは限りません、だからみ言葉の生命力が場合によって無効になります。しかし、いい土のように心にみ言葉を受け入れる準備があれば豊かに実ります。その実りは信じられないほど大きく、働き手が足りないほど豊かな収穫をもたらします。 
イエス様自身が種まく人のたとえ話を説明されていますが、多分、初代教会の共同体からずっと、伝え手はその中に自分の思いを付け加えた解説をして、今日のわたし達にまで届けられているはずです。さて、神様の言葉に抗うこと、あるいはみ言葉を実らせない原因はいくつかあります。たとえば、み言葉自体を理解しないこと、その意味はいつも簡単ではなく、理解することが難しいこともありますので、豊かな意味を知る機会を失う場合があります。そして、み言葉の成長を抑えるのは、み言葉のメッセージに忠実でないこと、またいろんなわたし達のこの世の心配事などです。
もうひとつ、今日の主日に朗読される聖パウロのローマの使徒への手紙の、二つの単語に注目しましょう。まず、「期待する」という言葉です。私たちは生きている間に神様との出会い、またその栄光とその喜びを期待しています。その時、人間にとって考えられないほど素晴らしい喜びに向かっています。しかしその喜びが完全に得られ味わえるまで、この世の人生の間待たなければなりません。しかし待つ時間はとても短いのです。あっという間に苦労の時は過ぎ去って「期待する」時がやってきます。もう一つの言葉は「贖われる」という神様の救いの計画です。「贖う」というのは身代金を支払って、自分の失った人生を再び得ることです。ラテン語では「redemptio」「レデンプティオ」といいます。つまりイエス様の死によって、人類が失った自由、その中に生きる喜びも再び得られたことになりました。
さて、私たちの心の中にある隠れた宝であるイエス様のみ言葉と共に、それを実らせたパウロの言葉も大切に受け入れて大事にされるべきではないでしょうか。                              
                        モヨリ神父
*【注目】
毎月の第一と第二の木曜日、午前十時から信徒会館で、
聖書による「イエス様のたとえ話と奇跡について」の勉強会があります。