moimoiず だいありい

おいしいもの、ほっと和めるもの、ぶらぶら街歩き、気になってること等々の身辺雑記でしょうか・・

歳三さんの資料館へ

2005年05月22日 | ちょっと出かけて・・
今日は娘が新選組大好き!の流れで、期間限定で今日まで見ることができた新選組の副長だった土方歳三(ひじかたとしぞう)愛用の和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)の刀身を見に、日野市にある土方歳三資料館へ行って来ました。

鬼の土方・・と新選組の時は恐れられていたほどなので、どんな刀なんだろう?と思っていましたが、150年以上の歳月を経て、思いのほか優美で刀の切っ先を見ても、生々しいものは浄化されてしまっているかのようでした・・
拵え(さやの部分)は会津塗りで赤と茶色を混ぜたような渋い色で牡丹と鳳凰の図柄が見えます。

土方家の6代目の子孫に当たる方で土方愛(めぐみ)さん(ほんとうにお名前通り愛らしい方でした)が、見学しに来ている人達にいろいろと解説をしてくださいました。
それによるとこの兼定を見守っていた研師(とぎし)の方の話しでは、相当に激しい戦いを何度も潜り抜けてきた形跡があるとのことでした。柄の部分は糸が磨耗して相当傷んでいたし、何箇所か刃こぼれもあったとのこと(研師により修復されています)

そうやって改めて見てみると、土方がこの刀と共に過ごした激動の幕末に思いを馳せてしまいます・・
多摩から京に上り、最後は函館の五稜郭の戦いに敗れ、そのときに側近が土方家まで運んできた遺刀になりますが、たった6年間という期間でしたが確かにきらきらと存在していた人なんだな、と。

この刀の前でずっと座り込んで眺めている人も居ました・・・
他にも土方さんが実際に戦闘の時に使っていた、鎖帷子(くさりかたびら)や鉢金(はちがね)、書簡や俳句を書いたもの、多摩時代に薬の行商をしていた時に実際に土方さんが背負っていた薬箱などがありました。

鬼の副長も俳句をたしなむ粋なところもあるなんて、意外性があって素敵です。
わかりやすい句としては
"しれば迷い しなければ迷わぬ 恋の道"
"うぐいすや はたきの音も ついやめる"
などなど沢山あるようです・・すごくわかりやす~い!!

資料館は実際に土方さんが生まれた所から、少し離れた所に移築した住まいの後に出来たものだそうです。残念ながら当時住んでいた頃の屋敷は10年以上前に老朽化の為解体してしまったのですが。

左の写真は土方さんが17歳か18歳の頃に、実際に庭に植えたという矢竹が今も残っています(古来より矢の材料に用いられていたので矢竹というそうです)

右の写真は"牛額草"と言って、資料館の玄関の脇に置かれていたものです。
土方家が打ち身や捻挫に効くとして造っていた民間薬の原材料の草になっていました。
服用の方法はお酒を飲みながら・・ということで痛みもお酒のせいで酔っ払って感じなくなっちゃうかも?(笑)


最後に菩提寺がある高幡不動尊に行ってきました。
ここで土方さんの像をパチリ、なかなか立派です・・

六月からは紫陽花祭りがあるそうです。