古本屋さんに頼んでおいた森弘太・原田正純著『三池炭鉱 ―1963年炭じん爆発を追う―』(NHK出版、1999年)が届きました。
原田正純先生は昨年亡くなられましたが、水俣病を初めとする公害と人体への影響を徹底して研究された方です。先生の医療哲学の一つが「生活臨床」という言葉に集約されています。
「現在、臨床の分野ではハイテク(先端医療)だけがクローズアップされて、それはそれで必要であるが、地道な臨床的研究が疎かにされている傾向にある。あるいは、業績中心主義のために、一つの病気の運命をじっくり見極めようなどという研究より、短期間で結果の出る動物実験のほうが若い医師たちにとっては魅力的なのかもしれない」
「診察室で時間をかけて診察しておき、さらに生活の場で診る、生活の場で診てまた診察室で診る―その繰り返しで専門家としての目は確かなものになっていく。そのような訓練によって、診察室で見られる症状が家庭や社会などの生活の場でどのような障害になるのか、ならないのか、なるとすればその程度になのかは少し見えてくる。そのことを常に訓練しておかなければ、怠るとすぐに見えなくなってしまうのである」
生活の場を診る臨床の重要性がひしひしと伝わってきます。
原田正純先生は昨年亡くなられましたが、水俣病を初めとする公害と人体への影響を徹底して研究された方です。先生の医療哲学の一つが「生活臨床」という言葉に集約されています。
「現在、臨床の分野ではハイテク(先端医療)だけがクローズアップされて、それはそれで必要であるが、地道な臨床的研究が疎かにされている傾向にある。あるいは、業績中心主義のために、一つの病気の運命をじっくり見極めようなどという研究より、短期間で結果の出る動物実験のほうが若い医師たちにとっては魅力的なのかもしれない」
「診察室で時間をかけて診察しておき、さらに生活の場で診る、生活の場で診てまた診察室で診る―その繰り返しで専門家としての目は確かなものになっていく。そのような訓練によって、診察室で見られる症状が家庭や社会などの生活の場でどのような障害になるのか、ならないのか、なるとすればその程度になのかは少し見えてくる。そのことを常に訓練しておかなければ、怠るとすぐに見えなくなってしまうのである」
生活の場を診る臨床の重要性がひしひしと伝わってきます。
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