中島みゆきと地域医療なんて全く関係がない。そうだよな。
今から15年前、北大の総合診療部1年目だったかなあ。
総合診療部の外来に岩内町(北海道岩内郡)に暮らす女性が受診されました。いろいろ事情があるようでうつ的になっていました。表情がたいへん暗かったのを今でも覚えています。
カンファレンスの時だったか、博識のオダロー先生が「中島みゆきは岩内に住んでだことがあるんだ。彼女の歌の翳りは岩内の影響だと思う」と発言しました。みゆきさんの父親は産婦人科医だったことをその時知りました。
岩内町は、ぼくが住んでいる倶知安町の隣りが共和町で、その隣にあります。暗い町とは思いません。ただ、日本海沿岸の町の冬の厳しさはたいへんなものがあります。強い風や地吹雪で車を走らせるのも危険なほどです。
中島みゆきの父上は岩内協会病院の産婦人科医でした。詳しい事情を文藝春秋10月号の石井妙子さんの文章で知りました。
彼女の歌には命の哀しみがにじんでいるのですね。「時代」という曲が父上へのレクイエムだったとは。
お父様は若くして地域医療を志されたそうです。岩内で10年ほど活躍されたある日。運命が大きく変わります。
その後は帯広に移られて寂しい雰囲気の産婦人科開業をされていました。
みゆきさんの歌は地域医療従事者への応援歌だったのですね。よく聴いてみると。
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