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俳優・勝地涼くんのこと。

『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(2)-2(注・ネタバレしてます)

2008-08-24 04:22:57 | 東京タワー
・引越しのためバスで町を去るボクとオカンをおばあちゃんが見送りにやってくる。
といっても言葉は交わさず近くにも寄らず、手さえ振らずに離れた場所から遠ざかるバスを見つめるのみ。
見送られる方も最後部の座席で後ろをじっと見つめるだけでやはり手を振ったりはしない(オカンがかすかに頷くだけ)。
愁嘆場を嫌いあくまで淡々と別れてゆく母と娘(+孫)の関係は、オカンが筑豊に帰ってきた場面同様、あえてドライであるだけにかえって心に染みます。

・高校受験を期に筑豊を出る決心を固めたボクが筑豊の町並みを見下ろす。
オカンと初めて筑豊に越してきたさいに、同じ場所から同じ眺めを見るシーンがありましたが、その時に比べると町が小さく、色褪せて見える。
ボクの等身が高くなったというだけでなく、炭鉱の閉鎖によって町が活力を失っているのが二つの光景の対比に表れています。

・風俗店のバックルームで女たちを前にたじたじのボク当時15歳。「オッパイ」を連呼する女たちの崩れた態度が場末感を醸し出す。
昭和五十年代後半ごろの風俗嬢には、親が炭鉱の閉鎖で失職した北海道・九州の女性が多かったという話を読んだことがありますが、彼女たちもその口なのかも。

・風俗嬢がオトンの目を盗んでボクに乳房を見せ、ボクはそのたびちょっと目をそらす。
純朴な少年をからかう年増女と彼女の狙い通りだろうウブな反応を返すボクの攻防が笑いを誘う。
こんなボクも数年後には「よく似た親子やねえ」と言う風俗嬢の言葉にあやまたず、自堕落な日常へと転落してゆくんですねえ・・・。

・初めてオカンと離れ一人遠方の高校に通うことになったボクは、旅立ちの電車の中でオカンの手紙を読んで涙する。
「自分のことはいっさい記さず、ただひたすらにボクを励ます言葉だけが強く書いてありました。」 
静かで揺るぎない母の愛を伝える少年編きっての名シーン。

・ボクの旅立ちシーンのすぐ後に、現在のラジオ番組でエロトークをするボクのエピソードが挿入される。
オカンの暖かな励ましに感動した直後に、だらけきった高校時代のボクの話に行ってしまうと「何やってんだよ!」と観客が興ざめしかねないからとワンクッション置いたものでしょうか。
この時点でのボクはエロトークしてても入院中の母を献身的に看護する孝行息子ですしね。

・オトンが上京してくると聞いて、こんな髪の毛じゃ恥ずかしくて会えないと駄々をこねるオカン。
「あ、ダメよ~」と繰り返す声のトーンや手鏡を見て髪を撫でる仕草が、年が寄っても病気でも「男」の前では綺麗でありたいという女心をごく自然に見せていて、可愛らしく、どこか色っぽくさえあります。

・平栗くん初登場。先生にボクを呼びにいくように言われて、嬉しげに片手をぴょこんと挙げる仕草や立ち上がる動作、「はい!」と高いトーンの声も、予備知識なしでも「何かカマっぽい子だな」と感じさせる。『おれがあいつであいつがおれで』でもそうでしたが、カマ演技上手いんだよなあ(笑)。
もっともこれ松岡監督の演技指導も大分入ってるらしいので、むしろ監督を誉めるべきなのか(笑)。
『ソウルトレイン』の時も、三浦大輔監督がキョドり芝居を実演しつつ演技指導していたとか。監督や演出家は俳優以上に名優でないと務まらないのかも。

・ボクの手を引いてせかすように歩く平栗くん。
撮影時(2006年)勝地くんは20歳になったばかりの頃かと思いますが、高めの声のせいもあって当時15歳の冨浦くんとちゃんと同年輩に見えます。
ボクのナレーションは平栗くんを「毛色の変わった友達」と評していますが、この時点でもう平栗くんの「性癖」は固まってたんでしょうかね?

・再び現代に舞台を移し、オカンの髪を梳かす30代の平栗くん。
口調も表情もオカンの髪をいじる手付きも、相変わらず男性としては柔らかすぎるほど。
(1)で「平栗くんの男性としての魅力にメロメロになった」と書きましたが、このシーンでの彼は臙脂色のセーターとふっくらした頬のラインのせいか、時々本当の女性のようにも見えてしまいました。
「女性」というより、小学生くらいの子供がいて子供の友達に手作りのクッキーなど振る舞ってくれるような品のいいお母さん、みたいな感じ。何となく佇まいに家庭的温かみがあるというか。中身が20歳の男の子だということを忘れてしまいそう。
この場面、大女優・樹木希林さんとの共演(しかも髪にさわる)とあって緊張で手が震えていたそうですが、映像を見る限りごく自然な演技になっていると思います。

・やつれたオカンを見るにしのびなく、早々に引き上げる平栗くん。
出演時間も台詞も多くないものの「ごめんね、ごめんね、一番辛いの中川くんなのにね」と泣き出しそうな声で詫びる姿に、彼の人一倍心優しい性格がよく表されています。

・東京の大学を受験する意思を固めつつあったボクは、オトンに「オカン残していってええんやろか」と尋ねる。
大分の高校に行く時には「オカンを自由にしてあげる」ことも遠方の学校を受ける動機の一つだったのが、今度はオカンを一人にすることへの心配が先立っているのは、すぐ前の場面で一人住まいになったおばあちゃんが孤独に食事を取る様子に触れたのが大きいのでしょう。高校受験の頃よりオカンも年を重ねたわけですし・・・。
対するオトンが東京へ行っていろんな経験を積むことを推奨するのは、自分の果たせなかった夢(東京での成功)を息子に託した部分もあったでしょうか。

・「春になると東京には、掃除機の回転するモーターが次々と吸い込んでゆく塵のように、日本の隅々から若い奴らが吸い集められてくる。」 
原作の、軽妙さの中に時に詩的なセンチメンタリズムをうかがわせる文体を生かしたナレーション。この文体が、その破天荒な生き方にもかかわらずボクをナイーブで育ちのよさそうな文学青年めいて見せる効果を果たしている。
つづく「しかし、トンネルを抜けると、そこはゴミ溜めだった。」は川端康成『雪国』の有名な冒頭の文章を匂わせたものでしょうか。

・炬燵でガールフレンドと事に及ぶのを、箪笥?の上のおもちゃのサルのシンバルが鳴る、という形で表現する。
下品にならず、ユーモラスでちょっと情けないこの隠喩は、志を持って都会に出てきた青年のありがちな堕落をわかりやすく描き出している。
このサルの隣りにはオトンが作ってくれた(途中まで)白塗りの船が飾ってある。都会に染まって見える今でも、子供の頃のオトンとの思い出を大事にしてるのがここから想像される。

・パチンコ屋で思いがけず平栗くんと再会。パチンコ台に顔をぺったりつけたような姿勢が実にアヤしい(笑)。
「2000円貸して」と言われた平栗くん、懐かしそうな顔のまま硬直していますが、この時点での彼の懐事情はどんなもんなのでしょう。とうていリッチとは思えないが。

・映画『フラッシュダンス』に憧れて、ダンサー目指して上京したという平栗くんがダンスを披露。
勝地くんはあちこちで「ダンスは苦手」と話していますが、まあ確かに上手いかと言われれば微妙な・・・。でも平栗くんもダンサーの夢破れる設定なんだからいいんです(笑)。
ダンスを見せられたボクの「うん、躍動的だった」という実のない誉め言葉(棒読み)が笑える。最初にこの映画を見た翌日は、微妙なフラッシュダンスを踊る平栗くんの姿が頭から離れなくなったものです。

・苦しい家計の中から何とか学費を捻出したにもかかわらず、息子が留年という事態に、「なんで頑張れんかったとやろかねえ・・・?」と繰り返すオカン。
正面から責めるのでなく、どこまでも不思議そうな口調がかえって子供としては胸に痛いのでは。でも、オカンからもう一年頑張るよう連絡があったときの様子からするとあまり反省してるようでも・・・(笑)。
このオカンから連絡がくる場面ですが、オカンの電話を受けながら女と乳繰りあってるのが、実話を元にした話だけに、よくここまで描いたなとちょっと感心。

 

(つづく)

 

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