〈第三回〉
・治療中医師の間から「ボクサーって安城英児のことだったんだ」という声があがる。結構有名なのか英児。アパートの質素さからしてまだまだ駆け出しかと思ってたんですが、28歳ならそれなりにキャリアもあるんだろうし、ボクシング好きの間ではそれなりに名が通ってる(一般には知られてない)という感じでしょうか。
・CT、MRとも異常なし。ICUは必要ないが一応様子を見ようとネリは指示。ロビーで待っていた詩文に痙攣後の一過性意識障害と微笑み、朝には意識回復すると思うと説明する。しかし写真見ながら説明するから来てと続けるのへ、詩文は聞いてもわからないからいい、それより英児に会えないのと切り出す。
普通ならわからなくとも大人しく説明を受けるだろうところをストレートに断って、自分にとって重要なポイントをずばりと要求する。相手が一般の医師でなく旧知のネリだというのもあるでしょうが、こうした詩文の態度は一貫していて小気味よいほどです。
・ネリは詩文の要求を容れて上の階へと先導する。「有名なボクサーなんだってね。原とはどんな関係?」「男」。いや本当にストレートです。
しかし連絡先は詩文でいいのかという質問に、連絡はいいけどお金がないから入院費は払えないと話したところから「本当にお金ないんだもん。娘大学に行かせるお金もないの」と詩文らしからぬ愚痴がポロリと出る。いや、当初から貧乏なことを一切隠さずネリや満希子に堂々おごってもらってる詩文ですから、むしろ“らしい”というべきか。
全然お金が回ってこないという泣き言に「別の幸せが原んとこには回ってきてるからよ」とネリは乾いた口調で答え、詩文もちょっと黙って考えこんでますが、別の幸せ=恋愛の方もこの後間もなく英児がボクサーとして再起不能になったことでガタガタになっていきます。
・病室で鼻にチューブを入れられて眠る英児。今日は自分は泊まりだから意識が戻ったら電話してあげるとネリは言い、ありがと、お願いしますと頭を下げて詩文は帰っていく。
それに先立って詩文は英児の鼻をちょっとつつき子供みたいと笑ってますが、確かに乱暴な態度や表情が消えると本来の顔立ちの幼い部分が前面に出てきて可愛いんですよね。同時に大人の詩文が若い英児を子供扱いで翻弄している二人の関係を象徴してる台詞でもあります。
・美波の手帳を読む満希子は唇とか欲望とかいう言葉に興味深々でまた妄想モードに入ってしまう。ほとんど思春期の中学生並みの反応ですが、刺激のない日々を送っているとこうも恋愛面で子供返りしてしまうものなんですねえ。
そこへ息子の明がやってきて「おれやっぱり上野一高受けるから」と切り出す。偏差値の高い高校らしく、パパも喜ぶわと満希子も良い反応を返すが「だから家庭教師頼んでもいい ?」と問われると、ダメダメダメ家庭教師は絶対にダメと大反対を始める。今まさに美波と元は彼女の弟の家庭教師だった圭史の不倫妄想にはまってたところでしたからね。
・ネリは福山に、意識戻ったときに英児が不穏状態になる恐れがあるから鎮静剤用意しといてと指示する。相手がボクサーだけに暴れたらやばいと福山ビビり気味。この彼がよく後にネリを追って英児の家の中まで侵入するなんて無茶をやったもんだ(留守と知っていたとはいえ)。
・そして意識が戻ったら教えてと言っておきながら、ネリは自ら英児の部屋へ向かう。これは友人の恋人だから特別気にかけているというより、あの詩文の男ということで格別の興味が働いてるという方が正解でしょう(英児の寝顔を見て「男ねえ」とつぶやくあたりに顕著です)。
満希子ほど下世話丸出しではないものの、実のところネリの恋愛経験値は愛のないまま見合い結婚した(それまでに付き合った男はいなかったぽい)満希子よりさらに低いわけで、詩文の外れたボタンにいささか妄想を喚起されてしまったのは無理もない。ネリにとって英児は初対面から性的存在として立ち現れてきたわけですね。
・帰宅した詩文に、カップ麺を食べてた冬子は今日は帰れないって言ってたのにと意外そうな顔。ちょっと疲れてたから他の人に代わってもらったと詩文は答えてますが、どんな用事で帰れないことにしてたんだろう。
冬子の表現からすると夜勤のバイトやってることにでもしてたのか。もともと英児の家に泊まる気だったんだろうし。それとも英児が倒れたりしなければ、家族のためにちゃんとその日のうちに帰ろうと思ってたのか。案外全部本当のこと(恋人が倒れて救急車で運んだので今夜は付き添わないといけない)を話してたりして。英児のことも恋人の存在自体は知ってますしね。
・さっき河野良子って人から電話があったと冬子は告げる。あなたが冬子ちゃんていうからそうだっていったら今度お食事でもしましょうかって言われたのだと。
第一回で圭史は冬子のことを自分の娘と思えないと言ってたと発言した、当然自分も孫などと思ってないというニュアンスだった河野母ですが、いざ声を聞いたら情が湧いたものか。後に冬子の礼儀正しさを褒めていたから、電話での受け答えが気に入ったのかもしれません。そもそも圭史も夫もない今となっては冬子が唯一の身内になるわけですからね。
・ババアに甘い顔したらお金くれるかな、とふざけた感じで言う冬子を「やめなさいそんな」と存外きつめの口調で叱る詩文。だってうちは貧乏なんだからくれるところからもらったらいいじゃんと冬子が反論すると、詩文は歩いてきて冬子の目の前に立ち「貧乏なこの家がいやなら出ていってもいいのよ。恵成女子大の附属高校なんかやめて定時制でも通って働きながら自由に生きたっていいのよ」とさらに詰める。
この場面に限らず、基本他人と話すときシリアスな局面でも随所に笑顔や首をかしげるような仕草を挟む詩文が冬子にだけは笑顔もなく、反論を許さない鋭い舌鋒でがんがん追いつめるような口のきき方をする。
冬子は「子供に当たるなんてサイッテー」と言ってますが(そういう面もゼロじゃなかったでしょうが)、詩文なりに冬子には母としてしっかり悪いことは悪いと教えなくてはいけないという使命感を持ってるんでしょう。自分も河野母から大金を引き出そうとしてるくせに冬子がお小遣いをせびるのを良しとしないのは、「甘い顔」をする――しかるべき権利(その実言いがかりに近いような権利ではあっても)に基づいて堂々と要求するのでなく、相手の情につけこんでお金を引き出そうとする行為を卑しいと考えてるゆえなのだと思います。
・満希子の推定通り、明の志望校を聞いた武は喜び、家庭教師を頼むことにも積極的。しかし満希子は、他人が出入りするのはどうかしら。男子大学生だった場合は?年頃の娘だっているんだし、と不安要素を並べ立て、「そういうことしか考えられないの?友達がバンクーバーで死んでから頭の中がスケベになってるでしょ」と夫に突っ込まれると「河野さんは美波の弟の家庭教師だったのよ」「家庭教師が悲劇のはじまりだったんだから」と言い出す始末。
武は「大事なのは明のやる気だ。バンクーバーに行ってから少しおかしいよママ」と全く相手にしませんが、よもやその家庭教師と満希子の方がどうかなってしまうとは思いもかけなかったでしょう。あれだけ妄想好きの満希子も自分自身がどうかなるとはこの時点では全く、想像さえしてないし。
・ネリは病院のパソコンで満希子からのメールを読む。一応「お忙しいところすみません」と断ってあるもののその内容は、美波の夫から遺品の手帳を渡された、そこには河野さんとの秘密がびっしり書いてあってぞっとしたというもの。
ここまでは事実の列記だからまだしもですが、もし私が美波だったら河野さんと再会しても深い関係にはならなかったと思います、死んだ美波を責める気はありませんが自分の生き方ももう一度真剣に考えなければと思いました、と自分語りが続くに至っては(苦笑)。ネリもあっさりとメールを削除しちゃってます。まさに“どうでもいいよ”としか言いようがない。そもそもこの時点では不倫してるわけでもない満希子が、なぜ自分の生き方を真剣に見つめなおさなきゃならないんだか。
・ネリはちょうど通りかかった年配の女医(婦人科らしい)をつかまえて、最近ホットフラッシュみたいのくるんだけど女性ホルモン落ちてるのかなと質問する。要は更年期障害ぽい症状が出てるということ。
後で女医が口にするようにセックスの頻度と更年期障害には特に因果関係はないらしいですが、若さを決定的に失いつつある、女でなくなっていくような自分にネリが焦る心理的必然性を与えるエピソードです。
・英児の意識が戻ったとネリに連絡が入る。福山から「暴れてません。一安心ですね」と報告を受け、大勢いると暴れるかもしれないからと一人で英児の病室へ向かう。この台詞なんか言い訳がましい感があります。逆にもし暴れたとき女一人じゃ手に負えないだろうに(実際そうなった)。要は詩文の男と一対一で会いたかったというのがネリの本音じゃなかったか。
・ベッドで目を開いて口をもぞもぞ動かす英児。呆然とした口調で「勝ったんだよなおれ」と呟いたのを皮切りに、脳内での勝ち試合の経過を実況し始める。「ガッツポーズしただろお前に」(英児は頭を打った影響でネリと詩文の区別がつかなくなってる)とかやたら具体的なストーリーはどこから湧いた妄想なんだろう。
ネリはすっかり呆れ顔ですが、所詮は妄想だけにどこか実感に乏しいのか「勝ったんだよなおれは」と最後には目を見開きちょっと不安そうになる英児に「そうよ。あなたは勝ったわ」と優しく告げてやる。
この“自信満々かと思いきやふいに不安そうな表情を見せる”というのはなかなかに母性本能に訴えかけてくるものがある。勝地くんがよく言う“モテる秘訣はギャップ”というやつでしょうか。端整かつ幼さの残る顔立ちの英児-勝地くんだからなおさら効き目があります。
・英児がいきなり起き上がってネリをベッドに押し倒す。ネリは抵抗しナースコールを押すが英児はネリを組み敷いたまま「暴れろよ。いつもみたいにキャーキャーわめけよ」とちょっと残酷そうな笑顔で言って強引にキスする。日頃どんなプレイしてるんだとツッコみたくなる台詞ですが、ネリ的にはそれどころじゃないか。
ここでふいに顔を離した英児は目を見開いて硬直するネリを訝しげに見て、「誰だおまえ」とネリをベッドから払い落とす。あれだけ間近で顔見てても詩文と区別つかなかったくせにキスしたら詩文じゃないと分かるとは、どれだけ身体で語りあう関係なんだ。
・何とか気持ちの動揺を静めたネリは詩文に電話し、英児の意識が戻ったことを告げる。詩文も安堵して、後で英児の着替えを持っていくと言うが、ネリが「安城さんもうボクシングはムリだと思うのよ」と続けると笑顔が固まる。
ネリいわく、ボクサーが脳に器質的な損傷を受けた場合は頭部に軽い傷をうけただけでも脳障害を起こす危険がある、そういう選手は強制的に引退になるはずだ、と。詩文はしばし言葉をなくしたものの、ややあって「ボクサーじゃなかったら英児じゃないわ」と答える。聞いたその場でもう引導を渡すような思いきりのよい台詞を口にしながら微笑と真顔の中間の表情を浮かべているのが、詩文の何とも複雑な心境を伝えてきます。
・私服でボクシングジムを訪れるネリ。「べっぴんさんだね。英児もこんなべっぴんな先生に診てもらって幸せもんです」と当初は軽口を叩いていた会長も事情をきいて、「英児ももう28ですからね。そろそろ潮時ですわ」と穏やかなあきらめの声で告げる。内心主治医がわざわざ訪ねてくるくらいだから相当状況が悪いと察してたんでしょうね。
病状は自分から離していいかというネリに会長は、英児が退院してから自分が話す、幾度となく選手に引退勧告をしてきたがこればっかりはタイミングが難しいと言い。告知の難しさを身をもって知ってるネリも笑顔で承知する。入院費についても、英児は弱かったけど人気はありましたからそれなりに稼がせてもらったし、と快諾。「それにあいつにかけてる保険もあるし。それであいつに贅沢させてやってください。これがあいつの人生最後の贅沢ですわ」。
一連の会長の台詞はほぼ原作通りなのですが、「乾いた冷たさ」と評された原作に比べずっと温かみと英児への思いやりを感じさせるのは役者さんの人間性でしょうか。しかしこの台詞を聞く限り、英児の人気はやはり顔がいいせいだけだったのか、今後の人生にはまるで期待されてないのか、という感があります・・・。
・病室で英児が食事取っているところへネリが入っていく。「いかがですか主治医の灰谷です」とことさら元気に、初対面のごとき挨拶。昨日のことはとりあえずなかったことにしとこうというネリの姿勢が見えます。
昨日何があってここに運ばれたか覚えてますかというネリの質問に、試合に勝ったと状況を話し出す英児。この時点でまだ正気じゃないのがわかりますね。ちょうどそのとき詩文が入ってくる。元気そうでよかったと微笑む詩文を英児は怪訝そうに見て、ネリに向かって「誰 ?」と尋ねる。
三人の間にしばし沈黙が落ちる。これは詩文にとってはショックすぎる展開。ネリがあなたを昨日病院に運んでくれたのはこの人よと説明しても、名前を聞いても思い出せない様子の英児を、呆然たる思いと悲しみが入り混ざった顔で表情で見つめる詩文が切ないです。大丈夫よ、
今はまだ痙攣後の影響で記憶が混乱してるけどそのうち思い出せますからね、ネリは英児の顔をのぞきこむようにいう。記憶の混乱を不安がる患者をなだめる体裁をとってますが、むしろ詩文の方にこそ言ってるんでしょうね。詩文と互いに顔を見つめあいながら、ちょっと子供のような拠り所のない表情をする英児もまた切ないです。
・病院の食堂にて。ネリと詩文は「心配しなくてもそのうち思い出すから」「ボクサーだったことも忘れてるの?」「それは覚えてるみたい。試合のことは細かく覚えてるわ」といった会話を交わしつつ席に座る。あれを細かく覚えてるといえるのやら。
「復帰できないならそれも忘れてしまえばいいのに」「ボクサーとしての英児が必要だったのよ」とあくまでもボクサー英児に拘る詩文に、あんたみたいに本ばっか読んでた文学少女とボクサーってどんな接点があるの、とネリは尋ねる。詩文の答えは「殴りあうしか能がないのがいい」。
基本的に英児との関係に知的刺激も実のある会話さえ求めていないのが端的に表れた台詞です。だからといって単純な肉欲だけじゃないのも少し後で説明されますが。
・あいつの頭の中もこんな風にどろどろになっちゃったのかなと言いながらコーヒーゼリーをかきまわす詩文。何気ないシーンですが何だか怖いものを感じさせます。
すでに父の痴呆が次第に進んでいくのを目の当たりにしている詩文にとって、恋人の精神まで崩壊してしまったというのは人一倍ショックだったはず。英児の場合一過性で済んだからよかったですが。
・なぜボクサーじゃなきゃいけないのかというネリに「英児がお世話になってるから本当のこというわ」と詩文は珍しく長台詞で思いを語る。
ボクサーってね試合の前にすごい減量するの、減量が始まると私は英児に会わないようにする、一緒に禁欲するの、計量が終わったら思い切り抱き合える。次の日が試合で買っても負けてもすべてから解放されてオスとしての欲望が爆裂する、といった内容を笑顔で話す。
「爆裂」という表現が激しいというか生々しいというか。ネリが笑顔で聞きながらもちょっと目を伏せたりしてるのはさすがに刺激が強すぎるからですかね。ここまでの内容だと、見事に性欲のためだけにボクサーを求めてるかごとくに聞こえるので、それが引っ掛かってるのもあるのかも。
・「そんな英児と抱き合ってると、こんなあたしでも命が息づいてるような気になってくるのよ。もう死んでるはずなのに息だけしてるようなあたしでも、英児とからみあってると生きてるんだなあって思えてくるの」。
これもほぼ原作通りの台詞ですが、ドラマの詩文は原作よりも明るさ・バイタリティの強さを感じさせるので、「死んでるはずなのに息だけしてる」という表現がいささか意外でした。
しかし詩文はいつから、なぜ、「死んで」しまったのか。原作のイメージだと物心ついた頃から、つまりはほぼ人生の最初から、という感じに思えますが、ドラマではどうなのか。少女時代から退廃的な雰囲気を漂わせた子ではありましたが、回想の中の結婚式やプロポーズシーンでの笑顔など見ていると、圭史と別れたことが少なからず影響してるようにも思えます。
・聞きながらネリは英児に押し倒されたときのことを思い出している。「セックスってそんなにいいもんなんだ」「そんな言葉はぴんとこないわ。命がこすれあうような切実な感じなの」。
英児との関係に高尚な精神的交流などは求めていないが、ある意味での精神性、生きている実感を与えてくれることを求めている。一種哲学的な欲求のあり方は文学少女らしいといえるかも。
・だから「英児でもボクサーの英児でなきゃ」ダメだという詩文の考えをひとまず得心したネリは、原の気持ちはわかったけど主治医としてはまた会いにきてあげてほしい、記憶を取り戻すには詩文が必要だと話す。それに対して詩文は直接答えず、世の中の地位とかお金とか全部否定して生きてきたけどそうやってネリが地位と人生かける仕事持ってるのみるとなーんかやってられない気分だと冗談ぽく言う。
「世の中」の多くの人間はこれら地位やお金や名誉や家庭に執着することの中に生きがいを見出しているわけで、それらを否定して生きてきた詩文が自分を空っぽのように感じるのは無理からぬところ。
ただ詩文は「家族」だけは決して軽んじていない。目下彼女は父や娘のことで心をさんざん悩ませていますが、それゆえに彼らを何とか守ろうとする気持ちが詩文にたくましい生命力を与えているように思えます。そしてお腹すいちゃったからランチご馳走してとちゃっかり要求するあたりはいつもの詩文で少しほっとしました。
・家庭教師センターで息子の偏差値の良さを褒められ気持ちよくなった満希子は、景気良く家庭教師候補を東大生に絞る。しかし候補者の履歴についてる写真をじっと見て、彼なら明日からでもうかがえますよという好条件にも関わらず、ずいぶん二枚目ね、男子学生ならもっともっさりしてる方がと注文をつける。
容姿についての要望は入力できないと担当者は困ったように言いますが、実際に満希子のような要望を(満希子と同じ理由で)出す親は結構多いんじゃないでしょうか。だからこそ容姿(が優れてること)が不利にならないように、容姿についての注文は聞けないという体制になってるんじゃあ。
・土砂降りの中初めて家庭教師(大森)が西尾家を訪れる。初日から迷惑かけて本当にすみませんと恐縮する大森を見て「こりゃあシャワー浴びないとだめだなあ」という夫に満希子は困った様子。結局、大丈夫だと遠慮する大森を風邪引くからと夫が強引にシャワーに引っ張っていく。
少ししてから満希子がタオルを持って洗面所に行くのですが、ドキドキしながらすりガラス越しに風呂に目をやる。案の定というか、娘がどうよりまず自分が意識しちゃってるんじゃないか。シャワー浴びさせる話になったとき困った顔してたのも着替え用意したりが面倒だからじゃなくて、よその男、しかも二枚目が我が家で全裸になることへの抵抗感からでしょうね。
着替えこちらにおいておきますからと大きく声をかけるのは「今は出てこないでね」というサインであり、当然の気遣いなんですが、脱いだ服をしばし見つめたあと浮わついた足取りで洗面所から出て、はーっとため息つくあたりはなあ。息子くらいの年だってのに。
・明を呼びつつ満希子が二階へ上がったのと入れ違いにゆかりが帰宅。バッグを置いて洗面所に入りコンタクトを外して?いると、ちょうど風呂の戸が開いて大森が出てくる。振り向いて目を剥くゆかり。大森もタオルを股間に当てた状態で「あっ !失礼。」と声をあげる。
シャワー浴びる話になった時から、こうなるんじゃないかなと思ってた展開に見事落とし込んでくれました(笑)。ただうっかり鉢合わせるのは満希子だろうと思ってたらゆかりの方だったか・・・と思ったところにちょうど満希子まで入ってきてこの光景に目を剥くことに。特に大森の裸を凝視してます。わざわざ視線を一回下に向けた後にまた見てしまうとか何てあからさまな。
さすがの大森も狙って鉢合わせたわけじゃないんでしょうけど、両者の反応を見て母親の方が与しやすい、よりムッツリスケベだと踏んだ可能性はありそうです。
・電話で河野母に呼び出されたとおぼしき詩文は「冬子ちゃんを河野家の養子にいただきたいの」と上品な笑顔で切り出されて驚く。以前詩文の留守中に電話で冬子と話し、冬子を気に入ったらしい件は聞いていたものの、いきなりここまで気持ちが盛り上がるとは想定外だったことでしょう。
圭史の血を引くのは冬子ちゃんだけなのよ、学校帰りに一回だけ会ったがお行儀もいいしちゃんと育ってると思ったという河野母に「冬子はあたしによく似ているので河野の家には馴染まないと思います」と意味深な笑顔で詩文は告げる。さすがに学校で魔性よばわりされてることまでは口にしませんが、要はそのへんを匂わせてるわけですね。養育費問題に続く元義理の母子の第二ラウンドです。
・ひるまず、圭史のDNAも入ってるんですよと反論した河野母は、あたしの血のほうが濃いと思いますという詩文発言に一瞬引きつったもののすぐに立て直し、河野の家に入れば大学だって安心して進学できる、あたしが死んだあとは資産(マンション)もみんな冬子ちゃんのものになる、と冬子の利点を強調。
「必死になって養育費とるよりいい話だと思わないこと?」といやらしい笑顔で言う河野母に詩文はとっさに言い返せない。ややあって、あの子はあたしにとってもたった一人の子供です、と反撃するものの、そう言わず冬子ちゃんと相談してみて、頭を冷やして考えればあなたにとっても冬子ちゃんにとってもあたしにとってもいい提案だとわかるはずだと今度は河野母も動じない。
「お断りします」と笑顔で言うものの今回は完全に詩文が不利。冬子の幸せ、経済的に苦労をさせないことを考えるなら確かにそれが一番だと詩文自身も思わざるを得ない状況だからですね。英児はおかしくなるし、父親はもとよりおかしいし、詩文の精神的重圧は増す一方です。
・詩文が帰ると父が店番しながらうたたねしている。「あれー、また永眠の予行演習をしてしまったー」と気の抜けた声で笑う父に詩文は力ない笑いを返す。
この父親、今後さらに状態が悪くなる一方だろう父親を抱えて赤字を増やすばかりの店も抱えていることを思い、河野母の提案が改めて重くのしかかってるんでしょう。養女にするという方法を提案してきた以上、冬子を原家に置いたまま養育費だけ出してくれる可能性はもう潰えたようなもんですし。
・詩文は二階から下りてきた冬子の腕をつかんで居間へ連れてゆき、「河野さんに会ったことどうして黙ってたの」と詰問。「養子になんか絶対やらないからね」「これ以上ママを苦しめないで」とこないだ以上に強く言い募る詩文に、冬子は「あたしママを苦しめたっけ?あっちの家でいっぱいおこづかいもらってママとおじいちゃんに貢いであげようと思ったんだけどな」と言う。
こないだそういうことを言うなと言われたばかりの内容を、皮肉っぽい喧嘩売るような口調であえて口にしたのは、自分は男に会いに行ったり好き放題やってるように見える詩文が、冬子的には何でもないようなことに妙に神経質に干渉してくることへの年頃の少女らしい反発でしょうね。
・そんな冬子を詩文はひっぱたく。冬子は愕然とした表情。まあ冬子にしてみれば軽くいなした感じで本気で喧嘩売ったわけではなかったのだろうから、詩文がこんなに怒るとは思ってもなかったんでしょう。「親をなめるんじゃないの」という詩文の言葉に、頬押さえたまま泣きそうな顔になりバッグ持って家を飛び出すところに冬子のショックのほどがうかがえます。
詩文は詩文で冬子が飛び出していったことへのショックを隠せない様子。無表情に近いポーカーフェイスやにっこり笑顔で感情を隠すのが上手い詩文がこんなにむきになるのは冬子に対してだけ。後に大森にレイプされかけたときでさえこんなに動揺していなかった。冬子が詩文の一番の泣き所なんですね。
・英児の病室。ベッドの横に座るネリはいつボクサーになろうと思ったかと質問。小学校3、4年くらい、オヤジがアリの大ファンでさんざんビデオを見せられたとアリを知らないネリに勢いこんで説明してくれる。
人を殴る商売に抵抗はなかったのという質問に英児は「ボクシングは商売じゃねえ。芸術だ」「リングの上でも人を殴ってるって感じじゃないんだ。観客にパフォーマンスを見せてるっていうか。どれだけ綺麗に相手を倒すかって」と熱っぽく真剣な顔で語る。
この「ボクシングは芸術」論は原作・脚本の大石静さんがお父さんやボクシング好きの男友達からさんざん聞かされた言葉だそう。大石さん自身もかつては英児と会う以前の詩文やネリのように“ボクシングは野蛮なスポーツ”と思っていたのが実際の試合を見にいったことで見解を改めたとのこと。英児のマウスピースが詩文の席に飛んでくるシーンも大石さん自身の観戦体験に基づいてるそうです(大石静『ニッポンの横顔』所収の「夢の舞台―後楽園ホール」中の記述)。
・英児の話をじっと噛みしめて、「あなたは誇り高い人ね。哲学があるわ」と評したネリに英児はちょっととまどったように「おれはボクシングを野蛮なスポーツだというやつを許さねえだけだよ」と答える。こんな褒め方されたのは初めてだったんでしょうね。しかし英児の話し方からは確かにボクシングへの情熱と彼一流の美学が存分に伝わってきます。
・ところで試合の前の日、計量が終わった後のことをまだ思い出せない?と本題に入るネリに、英児は眉を寄せてちょっと考える。その表情から思い出せてないのは明白ですが、ネリは、脳外科としてはもう直すところはない、精神科とも相談したけど記憶がもどるまで普通に生活したほうがいいという見解から退院を言い渡す。
ただし週に一度私の外来を受けにきてほしいと付け加えるネリに、英児は「先生とおれ、この病院で初めて会ったんだっけ」「なんか前から知ってるような気がするんだけどなあ」と言い出す。英児の台詞でなかったら口説き文句かと思ってしまいそうです。
恋人の詩文のことは思い出せないのに、他人のネリには妙な近しさを感じている。これは意識が戻ってすぐの時にネリを詩文と混同したせいで、本来詩文に対して持ってる親近感がネリに転化されてるんじゃないでしょうか。「なんでこんな親切なんだよ。・・・本当は前から知り合いなんだろ?」と言ったときのやや熱のこもった視線にもそれが表れてるような。
・一人カラオケする冬子。「天城越え」を手振りつきで熱唱。ゆかりのバイト先の「私の彼は左きき」といい、何でやたらと懐メロが多いんだろう。しかし家を飛び出して行く先がカラオケ、しかも一人でというあたり、冬子は魔性魔性言われるイメージほど遊んでないですね。
・ネリは詩文に英児の退院を知らせ「退院の日は迎えにきてやってよ」というが、「父の具合が悪くて店開けられないわ」と苦笑気味に詩文は断る。もし英児がボクサーのままだったらそれでも詩文は迎えに行かないといっただろうか。
「原の顔見たら思い出すこともあると思うんだけどな」というネリの言葉に「娘一人養えないのにこのうえ病気の男なんて抱えられないわ」と答えるあたり、英児が再起不能でなければ、少なくとも頭の状態がまともなら迎えにいったのかも。しかし家庭の状況がここまで切迫してきた以上、ケガのことがなくても英児との関係は続けられなかった可能性もありますね(高額ではなくとも詩文が貢いでるようなものだし)。
「娘一人養えない」という台詞は、先にまたお金がらみで娘と喧嘩した後だけに切ない。詩文自身、河野母の提案を受け入れるしかないことが内心分かってる、白旗を掲げたに等しい台詞ですから。
・電話を切ったあと心細そうな顔をしながら、詩文は寝ている父を襖をすかしてしばらく見つめる。
その後布団をしいていると冬子が帰ってくるが声もかけずそのまま二階へ上がってしまう。その気配に気づいたらしい詩文は声もかけてくれない娘に泣きそうな顔になりながら嗚咽しかけのため息を吐き、鼻をすすりながらシーツを広げる。
詩文が泣きそうになるなどこの場面くらいでは。冬子とのことが全てではないにせよ、娘に嫌われるのが詩文には一番堪えるのがわかります。
・久々に自宅アパートに戻ってきた英児は、窓際に腰掛けている詩文を発見する。迎えに行かないといいつつ家で待ってるあたり何だかんだいっても完全に英児を切り捨てることができないんですね。このあたりの情の深さも詩文が男を惹き付ける要素になってるのでは。
しかし英児は詩文を見ながら無言で彼女の前を通り過ぎる。何者か思い出せなくても前に病院に来た女だくらいはわかってるだろうに。「本当に覚えてないのね」と言った後の詩文の日差しを浴びた横顔のアングルがとても美しく、それだけに哀しい。詩文はもはや何も語らず、バッグからマウスピースを取り出して英児の左手に乗せると「元気でね」と部屋を出て行く。
詩文に英児を支える余裕はなく、それ以前に英児が詩文の存在を受け入れていない。必然的な別れを最大限の美しさで幕を引いたというところでしょうか。
・英児は軽くマウスピース握ったまま詩文を見送るが、次第に試合の様子を思い起こしサイド席で見ていた詩文の姿も浮かんでくる。「一緒にあの世まで行く?」という会話も。
パンチをもらって倒れマウスピースが飛んだこと、その瞬間詩文が英児と叫んだこと。本来の記憶が一気に甦ってくる。ネリの言った通り、詩文の顔を見るのが一番の療法だったわけですね。この場合マウスピースが引き金になっているので、むしろボクシングが彼の本来の記憶を呼び覚ましたというべきか。英児は「フミ」と呟くと詩文の後を追ってゆきます。
・英児は線路沿いを歩く詩文に走って追いつき、前に回り込む。「何で帰んだよ、何で病院きてくんなかったんだよ、掃除して待ってたんじゃねえのかよ」と詩文の手を引いて引き返す。すぐに事態を察した詩文は「思い出さなくてもよかったのに」と気のなさそうな返事をする。
これは英児が言うような気取っての発言ではなく、ネリに話したようにボクサーに戻れないならボクサーとしての過去を思い出す必要もない、自分とももう終わりなんだから自分のことも思い出す必要はないという意味の発言でしょう。
・次は日本タイトルマッチだと言う英児に「英児はもうボクサーじゃないよ」と実にストレートに詩文は告げる。その後に「だからもう終わりなの」と付け加えますが、これはボクサーとして終わりというだけでなく自分とも終わりというニュアンスをこめた言い方ですね。
呆然と立ちすくみ細かく目を泳がせた英児は「そんなこと・・・聞いてねえよ」と動揺もあらわに走り去りますが、その後ネリの元に押しかけたことからしても「そんなこと」とは単純に“ボクシングができなくなったこと”ですね。まだ詩文との関係にまで気の回る状態じゃない。英児にとっても詩文以上にまずボクシングが大事なのだとうかがわせる場面です。
・西尾家の食卓。大森も一緒に夕飯を食べてみんなで何か笑いあってる。裸を見た見られたの騒ぎがしこりを残してる気配は全くない。
ごはんをよそってやる満希子に大森が意味ありげにちょっと微笑むと、テーブルの下でスリッパの足を伸ばして満希子の足をちょっとなでる。ゆかりと満希子の両方がちょっと顔ひきつらせる。大森もちょっと顔こわばらせたもののゆかりと満希子が彼を見ると何も知らぬげな顔でご飯食べてる。
これに対し満希子は横目で大森をちらちら見ながら右足を前にそろそろ出す(こっそり足をなで返そうとする)という大胆な真似に出る。上体まで不自然に動いちゃっててあからさまに怪しいんですが。
「足踏むなよママ」と夫につっこまれ、間違ったのに気づいてげんなりしてますが、大森が満希子を獲物に定めたのはこの場だったんじゃないですかね。顔こわばらせただけのゆかりより脈がありそうだし、多少年はいってても美人ですしね。
・夜道を一人帰途につくネリ。誰かつけてる気配を感じるらしく時々後ろ振り返り、ついには走り出したもののこけてしまう。すると目の前に英児が立っている。
英児と気づいてネリは安堵の表情を見せますが、少し前のシーンで後をつけてた足は他の男のものっぽかった。英児とは別口でネリをつけていた男がいるということで、それが脅迫状の相手とイコールなのかなぜネリが狙われているのか、視聴者の興味と恐怖を誘います。
・「ボクシングできねえのか」という英児の言葉に「誰に聞いたの」と問い返しつつネリはあまり動揺していない声。会長から勝手に英児に教えないように頼まれてたのに、詩文に口止めしなかったのはネリの落ち度かと思ってましたが、大して動じてないところからしてわざと口止めしなかったようにも思えてきました。
「答えろよ!」と乱暴に迫る英児にも落ち着いた態度で「本当よ」と答えてますし。目を見開いたまま固まる英児の姿に彼のショックの程がまざまざと感じ取れます。
・普通の生活をするのは問題ない、でも頭に軽い傷を受けても命にかかわる、だからボクシングは無理だと説明するネリに、「死んだっていいんだよ。おれは、死んでもボクサーでいてえんだ!」と詰め寄る。
ここから、あなたに生きててほしい人だっているはずよ、いねえよ、いるわよと痴話喧嘩のような展開に。ネリがちょっと泣きそうな真剣な表情で「詩文だって」と言いかけるのは、“自分が”英児に生きていてほしいとは言えない、言うことに抵抗がある分を詩文に仮託したのでしょうね。そんなネリの感情を敏感に感じとったものか、いきなり英児がキスしてくる。
ネリは呆然としますが、唇放した英児もちょっと呆然とした顔でネリを見つめ、「先生とおれ、初めてじゃねえな」と戸惑ったように言う。初めてでないのは確かですが、英児のこういう勘は実に動物的ですね。ネリが英児に惹かれている自分を自覚した、英児の方にもネリを特別視する感情がはっきり生まれたターニングポイント的シーンです。
・そのまま見詰め合う二人を物陰から見つめる誰かの手が映る。やはりネリをつけてた男は別にいたか。ネリに歪んだ執着を持っているらしい相手が他の男とのラブシーンを見てしまったことでどう出るのか。おそらくはここでの嫉妬が契機となって、ネリの家が空き巣に荒らされる騒ぎに繋がっていきます。
・夜道を食パンの袋を手に歩く詩文は、ふと川にかかる橋の欄干 ?の下部に足をかけ伸び上がって下を見つめる。「うそ、死にたいの?あなたみたいな女でも?」と美波のナレーションが入るのにちょっと焦りますが、次の瞬間悠然と食パンかじってるだけの詩文の姿が映る。
娘との喧嘩に傷ついても恋人と本格的に別離しても、それでも決して死のうなどとはしない旺盛な生命力。詩文は何かと物を食べているシーンが多いですが、ここでも食パンをかじるという行為(それも袋から直接)でその生命力が端的に示されています。
・治療中医師の間から「ボクサーって安城英児のことだったんだ」という声があがる。結構有名なのか英児。アパートの質素さからしてまだまだ駆け出しかと思ってたんですが、28歳ならそれなりにキャリアもあるんだろうし、ボクシング好きの間ではそれなりに名が通ってる(一般には知られてない)という感じでしょうか。
・CT、MRとも異常なし。ICUは必要ないが一応様子を見ようとネリは指示。ロビーで待っていた詩文に痙攣後の一過性意識障害と微笑み、朝には意識回復すると思うと説明する。しかし写真見ながら説明するから来てと続けるのへ、詩文は聞いてもわからないからいい、それより英児に会えないのと切り出す。
普通ならわからなくとも大人しく説明を受けるだろうところをストレートに断って、自分にとって重要なポイントをずばりと要求する。相手が一般の医師でなく旧知のネリだというのもあるでしょうが、こうした詩文の態度は一貫していて小気味よいほどです。
・ネリは詩文の要求を容れて上の階へと先導する。「有名なボクサーなんだってね。原とはどんな関係?」「男」。いや本当にストレートです。
しかし連絡先は詩文でいいのかという質問に、連絡はいいけどお金がないから入院費は払えないと話したところから「本当にお金ないんだもん。娘大学に行かせるお金もないの」と詩文らしからぬ愚痴がポロリと出る。いや、当初から貧乏なことを一切隠さずネリや満希子に堂々おごってもらってる詩文ですから、むしろ“らしい”というべきか。
全然お金が回ってこないという泣き言に「別の幸せが原んとこには回ってきてるからよ」とネリは乾いた口調で答え、詩文もちょっと黙って考えこんでますが、別の幸せ=恋愛の方もこの後間もなく英児がボクサーとして再起不能になったことでガタガタになっていきます。
・病室で鼻にチューブを入れられて眠る英児。今日は自分は泊まりだから意識が戻ったら電話してあげるとネリは言い、ありがと、お願いしますと頭を下げて詩文は帰っていく。
それに先立って詩文は英児の鼻をちょっとつつき子供みたいと笑ってますが、確かに乱暴な態度や表情が消えると本来の顔立ちの幼い部分が前面に出てきて可愛いんですよね。同時に大人の詩文が若い英児を子供扱いで翻弄している二人の関係を象徴してる台詞でもあります。
・美波の手帳を読む満希子は唇とか欲望とかいう言葉に興味深々でまた妄想モードに入ってしまう。ほとんど思春期の中学生並みの反応ですが、刺激のない日々を送っているとこうも恋愛面で子供返りしてしまうものなんですねえ。
そこへ息子の明がやってきて「おれやっぱり上野一高受けるから」と切り出す。偏差値の高い高校らしく、パパも喜ぶわと満希子も良い反応を返すが「だから家庭教師頼んでもいい ?」と問われると、ダメダメダメ家庭教師は絶対にダメと大反対を始める。今まさに美波と元は彼女の弟の家庭教師だった圭史の不倫妄想にはまってたところでしたからね。
・ネリは福山に、意識戻ったときに英児が不穏状態になる恐れがあるから鎮静剤用意しといてと指示する。相手がボクサーだけに暴れたらやばいと福山ビビり気味。この彼がよく後にネリを追って英児の家の中まで侵入するなんて無茶をやったもんだ(留守と知っていたとはいえ)。
・そして意識が戻ったら教えてと言っておきながら、ネリは自ら英児の部屋へ向かう。これは友人の恋人だから特別気にかけているというより、あの詩文の男ということで格別の興味が働いてるという方が正解でしょう(英児の寝顔を見て「男ねえ」とつぶやくあたりに顕著です)。
満希子ほど下世話丸出しではないものの、実のところネリの恋愛経験値は愛のないまま見合い結婚した(それまでに付き合った男はいなかったぽい)満希子よりさらに低いわけで、詩文の外れたボタンにいささか妄想を喚起されてしまったのは無理もない。ネリにとって英児は初対面から性的存在として立ち現れてきたわけですね。
・帰宅した詩文に、カップ麺を食べてた冬子は今日は帰れないって言ってたのにと意外そうな顔。ちょっと疲れてたから他の人に代わってもらったと詩文は答えてますが、どんな用事で帰れないことにしてたんだろう。
冬子の表現からすると夜勤のバイトやってることにでもしてたのか。もともと英児の家に泊まる気だったんだろうし。それとも英児が倒れたりしなければ、家族のためにちゃんとその日のうちに帰ろうと思ってたのか。案外全部本当のこと(恋人が倒れて救急車で運んだので今夜は付き添わないといけない)を話してたりして。英児のことも恋人の存在自体は知ってますしね。
・さっき河野良子って人から電話があったと冬子は告げる。あなたが冬子ちゃんていうからそうだっていったら今度お食事でもしましょうかって言われたのだと。
第一回で圭史は冬子のことを自分の娘と思えないと言ってたと発言した、当然自分も孫などと思ってないというニュアンスだった河野母ですが、いざ声を聞いたら情が湧いたものか。後に冬子の礼儀正しさを褒めていたから、電話での受け答えが気に入ったのかもしれません。そもそも圭史も夫もない今となっては冬子が唯一の身内になるわけですからね。
・ババアに甘い顔したらお金くれるかな、とふざけた感じで言う冬子を「やめなさいそんな」と存外きつめの口調で叱る詩文。だってうちは貧乏なんだからくれるところからもらったらいいじゃんと冬子が反論すると、詩文は歩いてきて冬子の目の前に立ち「貧乏なこの家がいやなら出ていってもいいのよ。恵成女子大の附属高校なんかやめて定時制でも通って働きながら自由に生きたっていいのよ」とさらに詰める。
この場面に限らず、基本他人と話すときシリアスな局面でも随所に笑顔や首をかしげるような仕草を挟む詩文が冬子にだけは笑顔もなく、反論を許さない鋭い舌鋒でがんがん追いつめるような口のきき方をする。
冬子は「子供に当たるなんてサイッテー」と言ってますが(そういう面もゼロじゃなかったでしょうが)、詩文なりに冬子には母としてしっかり悪いことは悪いと教えなくてはいけないという使命感を持ってるんでしょう。自分も河野母から大金を引き出そうとしてるくせに冬子がお小遣いをせびるのを良しとしないのは、「甘い顔」をする――しかるべき権利(その実言いがかりに近いような権利ではあっても)に基づいて堂々と要求するのでなく、相手の情につけこんでお金を引き出そうとする行為を卑しいと考えてるゆえなのだと思います。
・満希子の推定通り、明の志望校を聞いた武は喜び、家庭教師を頼むことにも積極的。しかし満希子は、他人が出入りするのはどうかしら。男子大学生だった場合は?年頃の娘だっているんだし、と不安要素を並べ立て、「そういうことしか考えられないの?友達がバンクーバーで死んでから頭の中がスケベになってるでしょ」と夫に突っ込まれると「河野さんは美波の弟の家庭教師だったのよ」「家庭教師が悲劇のはじまりだったんだから」と言い出す始末。
武は「大事なのは明のやる気だ。バンクーバーに行ってから少しおかしいよママ」と全く相手にしませんが、よもやその家庭教師と満希子の方がどうかなってしまうとは思いもかけなかったでしょう。あれだけ妄想好きの満希子も自分自身がどうかなるとはこの時点では全く、想像さえしてないし。
・ネリは病院のパソコンで満希子からのメールを読む。一応「お忙しいところすみません」と断ってあるもののその内容は、美波の夫から遺品の手帳を渡された、そこには河野さんとの秘密がびっしり書いてあってぞっとしたというもの。
ここまでは事実の列記だからまだしもですが、もし私が美波だったら河野さんと再会しても深い関係にはならなかったと思います、死んだ美波を責める気はありませんが自分の生き方ももう一度真剣に考えなければと思いました、と自分語りが続くに至っては(苦笑)。ネリもあっさりとメールを削除しちゃってます。まさに“どうでもいいよ”としか言いようがない。そもそもこの時点では不倫してるわけでもない満希子が、なぜ自分の生き方を真剣に見つめなおさなきゃならないんだか。
・ネリはちょうど通りかかった年配の女医(婦人科らしい)をつかまえて、最近ホットフラッシュみたいのくるんだけど女性ホルモン落ちてるのかなと質問する。要は更年期障害ぽい症状が出てるということ。
後で女医が口にするようにセックスの頻度と更年期障害には特に因果関係はないらしいですが、若さを決定的に失いつつある、女でなくなっていくような自分にネリが焦る心理的必然性を与えるエピソードです。
・英児の意識が戻ったとネリに連絡が入る。福山から「暴れてません。一安心ですね」と報告を受け、大勢いると暴れるかもしれないからと一人で英児の病室へ向かう。この台詞なんか言い訳がましい感があります。逆にもし暴れたとき女一人じゃ手に負えないだろうに(実際そうなった)。要は詩文の男と一対一で会いたかったというのがネリの本音じゃなかったか。
・ベッドで目を開いて口をもぞもぞ動かす英児。呆然とした口調で「勝ったんだよなおれ」と呟いたのを皮切りに、脳内での勝ち試合の経過を実況し始める。「ガッツポーズしただろお前に」(英児は頭を打った影響でネリと詩文の区別がつかなくなってる)とかやたら具体的なストーリーはどこから湧いた妄想なんだろう。
ネリはすっかり呆れ顔ですが、所詮は妄想だけにどこか実感に乏しいのか「勝ったんだよなおれは」と最後には目を見開きちょっと不安そうになる英児に「そうよ。あなたは勝ったわ」と優しく告げてやる。
この“自信満々かと思いきやふいに不安そうな表情を見せる”というのはなかなかに母性本能に訴えかけてくるものがある。勝地くんがよく言う“モテる秘訣はギャップ”というやつでしょうか。端整かつ幼さの残る顔立ちの英児-勝地くんだからなおさら効き目があります。
・英児がいきなり起き上がってネリをベッドに押し倒す。ネリは抵抗しナースコールを押すが英児はネリを組み敷いたまま「暴れろよ。いつもみたいにキャーキャーわめけよ」とちょっと残酷そうな笑顔で言って強引にキスする。日頃どんなプレイしてるんだとツッコみたくなる台詞ですが、ネリ的にはそれどころじゃないか。
ここでふいに顔を離した英児は目を見開いて硬直するネリを訝しげに見て、「誰だおまえ」とネリをベッドから払い落とす。あれだけ間近で顔見てても詩文と区別つかなかったくせにキスしたら詩文じゃないと分かるとは、どれだけ身体で語りあう関係なんだ。
・何とか気持ちの動揺を静めたネリは詩文に電話し、英児の意識が戻ったことを告げる。詩文も安堵して、後で英児の着替えを持っていくと言うが、ネリが「安城さんもうボクシングはムリだと思うのよ」と続けると笑顔が固まる。
ネリいわく、ボクサーが脳に器質的な損傷を受けた場合は頭部に軽い傷をうけただけでも脳障害を起こす危険がある、そういう選手は強制的に引退になるはずだ、と。詩文はしばし言葉をなくしたものの、ややあって「ボクサーじゃなかったら英児じゃないわ」と答える。聞いたその場でもう引導を渡すような思いきりのよい台詞を口にしながら微笑と真顔の中間の表情を浮かべているのが、詩文の何とも複雑な心境を伝えてきます。
・私服でボクシングジムを訪れるネリ。「べっぴんさんだね。英児もこんなべっぴんな先生に診てもらって幸せもんです」と当初は軽口を叩いていた会長も事情をきいて、「英児ももう28ですからね。そろそろ潮時ですわ」と穏やかなあきらめの声で告げる。内心主治医がわざわざ訪ねてくるくらいだから相当状況が悪いと察してたんでしょうね。
病状は自分から離していいかというネリに会長は、英児が退院してから自分が話す、幾度となく選手に引退勧告をしてきたがこればっかりはタイミングが難しいと言い。告知の難しさを身をもって知ってるネリも笑顔で承知する。入院費についても、英児は弱かったけど人気はありましたからそれなりに稼がせてもらったし、と快諾。「それにあいつにかけてる保険もあるし。それであいつに贅沢させてやってください。これがあいつの人生最後の贅沢ですわ」。
一連の会長の台詞はほぼ原作通りなのですが、「乾いた冷たさ」と評された原作に比べずっと温かみと英児への思いやりを感じさせるのは役者さんの人間性でしょうか。しかしこの台詞を聞く限り、英児の人気はやはり顔がいいせいだけだったのか、今後の人生にはまるで期待されてないのか、という感があります・・・。
・病室で英児が食事取っているところへネリが入っていく。「いかがですか主治医の灰谷です」とことさら元気に、初対面のごとき挨拶。昨日のことはとりあえずなかったことにしとこうというネリの姿勢が見えます。
昨日何があってここに運ばれたか覚えてますかというネリの質問に、試合に勝ったと状況を話し出す英児。この時点でまだ正気じゃないのがわかりますね。ちょうどそのとき詩文が入ってくる。元気そうでよかったと微笑む詩文を英児は怪訝そうに見て、ネリに向かって「誰 ?」と尋ねる。
三人の間にしばし沈黙が落ちる。これは詩文にとってはショックすぎる展開。ネリがあなたを昨日病院に運んでくれたのはこの人よと説明しても、名前を聞いても思い出せない様子の英児を、呆然たる思いと悲しみが入り混ざった顔で表情で見つめる詩文が切ないです。大丈夫よ、
今はまだ痙攣後の影響で記憶が混乱してるけどそのうち思い出せますからね、ネリは英児の顔をのぞきこむようにいう。記憶の混乱を不安がる患者をなだめる体裁をとってますが、むしろ詩文の方にこそ言ってるんでしょうね。詩文と互いに顔を見つめあいながら、ちょっと子供のような拠り所のない表情をする英児もまた切ないです。
・病院の食堂にて。ネリと詩文は「心配しなくてもそのうち思い出すから」「ボクサーだったことも忘れてるの?」「それは覚えてるみたい。試合のことは細かく覚えてるわ」といった会話を交わしつつ席に座る。あれを細かく覚えてるといえるのやら。
「復帰できないならそれも忘れてしまえばいいのに」「ボクサーとしての英児が必要だったのよ」とあくまでもボクサー英児に拘る詩文に、あんたみたいに本ばっか読んでた文学少女とボクサーってどんな接点があるの、とネリは尋ねる。詩文の答えは「殴りあうしか能がないのがいい」。
基本的に英児との関係に知的刺激も実のある会話さえ求めていないのが端的に表れた台詞です。だからといって単純な肉欲だけじゃないのも少し後で説明されますが。
・あいつの頭の中もこんな風にどろどろになっちゃったのかなと言いながらコーヒーゼリーをかきまわす詩文。何気ないシーンですが何だか怖いものを感じさせます。
すでに父の痴呆が次第に進んでいくのを目の当たりにしている詩文にとって、恋人の精神まで崩壊してしまったというのは人一倍ショックだったはず。英児の場合一過性で済んだからよかったですが。
・なぜボクサーじゃなきゃいけないのかというネリに「英児がお世話になってるから本当のこというわ」と詩文は珍しく長台詞で思いを語る。
ボクサーってね試合の前にすごい減量するの、減量が始まると私は英児に会わないようにする、一緒に禁欲するの、計量が終わったら思い切り抱き合える。次の日が試合で買っても負けてもすべてから解放されてオスとしての欲望が爆裂する、といった内容を笑顔で話す。
「爆裂」という表現が激しいというか生々しいというか。ネリが笑顔で聞きながらもちょっと目を伏せたりしてるのはさすがに刺激が強すぎるからですかね。ここまでの内容だと、見事に性欲のためだけにボクサーを求めてるかごとくに聞こえるので、それが引っ掛かってるのもあるのかも。
・「そんな英児と抱き合ってると、こんなあたしでも命が息づいてるような気になってくるのよ。もう死んでるはずなのに息だけしてるようなあたしでも、英児とからみあってると生きてるんだなあって思えてくるの」。
これもほぼ原作通りの台詞ですが、ドラマの詩文は原作よりも明るさ・バイタリティの強さを感じさせるので、「死んでるはずなのに息だけしてる」という表現がいささか意外でした。
しかし詩文はいつから、なぜ、「死んで」しまったのか。原作のイメージだと物心ついた頃から、つまりはほぼ人生の最初から、という感じに思えますが、ドラマではどうなのか。少女時代から退廃的な雰囲気を漂わせた子ではありましたが、回想の中の結婚式やプロポーズシーンでの笑顔など見ていると、圭史と別れたことが少なからず影響してるようにも思えます。
・聞きながらネリは英児に押し倒されたときのことを思い出している。「セックスってそんなにいいもんなんだ」「そんな言葉はぴんとこないわ。命がこすれあうような切実な感じなの」。
英児との関係に高尚な精神的交流などは求めていないが、ある意味での精神性、生きている実感を与えてくれることを求めている。一種哲学的な欲求のあり方は文学少女らしいといえるかも。
・だから「英児でもボクサーの英児でなきゃ」ダメだという詩文の考えをひとまず得心したネリは、原の気持ちはわかったけど主治医としてはまた会いにきてあげてほしい、記憶を取り戻すには詩文が必要だと話す。それに対して詩文は直接答えず、世の中の地位とかお金とか全部否定して生きてきたけどそうやってネリが地位と人生かける仕事持ってるのみるとなーんかやってられない気分だと冗談ぽく言う。
「世の中」の多くの人間はこれら地位やお金や名誉や家庭に執着することの中に生きがいを見出しているわけで、それらを否定して生きてきた詩文が自分を空っぽのように感じるのは無理からぬところ。
ただ詩文は「家族」だけは決して軽んじていない。目下彼女は父や娘のことで心をさんざん悩ませていますが、それゆえに彼らを何とか守ろうとする気持ちが詩文にたくましい生命力を与えているように思えます。そしてお腹すいちゃったからランチご馳走してとちゃっかり要求するあたりはいつもの詩文で少しほっとしました。
・家庭教師センターで息子の偏差値の良さを褒められ気持ちよくなった満希子は、景気良く家庭教師候補を東大生に絞る。しかし候補者の履歴についてる写真をじっと見て、彼なら明日からでもうかがえますよという好条件にも関わらず、ずいぶん二枚目ね、男子学生ならもっともっさりしてる方がと注文をつける。
容姿についての要望は入力できないと担当者は困ったように言いますが、実際に満希子のような要望を(満希子と同じ理由で)出す親は結構多いんじゃないでしょうか。だからこそ容姿(が優れてること)が不利にならないように、容姿についての注文は聞けないという体制になってるんじゃあ。
・土砂降りの中初めて家庭教師(大森)が西尾家を訪れる。初日から迷惑かけて本当にすみませんと恐縮する大森を見て「こりゃあシャワー浴びないとだめだなあ」という夫に満希子は困った様子。結局、大丈夫だと遠慮する大森を風邪引くからと夫が強引にシャワーに引っ張っていく。
少ししてから満希子がタオルを持って洗面所に行くのですが、ドキドキしながらすりガラス越しに風呂に目をやる。案の定というか、娘がどうよりまず自分が意識しちゃってるんじゃないか。シャワー浴びさせる話になったとき困った顔してたのも着替え用意したりが面倒だからじゃなくて、よその男、しかも二枚目が我が家で全裸になることへの抵抗感からでしょうね。
着替えこちらにおいておきますからと大きく声をかけるのは「今は出てこないでね」というサインであり、当然の気遣いなんですが、脱いだ服をしばし見つめたあと浮わついた足取りで洗面所から出て、はーっとため息つくあたりはなあ。息子くらいの年だってのに。
・明を呼びつつ満希子が二階へ上がったのと入れ違いにゆかりが帰宅。バッグを置いて洗面所に入りコンタクトを外して?いると、ちょうど風呂の戸が開いて大森が出てくる。振り向いて目を剥くゆかり。大森もタオルを股間に当てた状態で「あっ !失礼。」と声をあげる。
シャワー浴びる話になった時から、こうなるんじゃないかなと思ってた展開に見事落とし込んでくれました(笑)。ただうっかり鉢合わせるのは満希子だろうと思ってたらゆかりの方だったか・・・と思ったところにちょうど満希子まで入ってきてこの光景に目を剥くことに。特に大森の裸を凝視してます。わざわざ視線を一回下に向けた後にまた見てしまうとか何てあからさまな。
さすがの大森も狙って鉢合わせたわけじゃないんでしょうけど、両者の反応を見て母親の方が与しやすい、よりムッツリスケベだと踏んだ可能性はありそうです。
・電話で河野母に呼び出されたとおぼしき詩文は「冬子ちゃんを河野家の養子にいただきたいの」と上品な笑顔で切り出されて驚く。以前詩文の留守中に電話で冬子と話し、冬子を気に入ったらしい件は聞いていたものの、いきなりここまで気持ちが盛り上がるとは想定外だったことでしょう。
圭史の血を引くのは冬子ちゃんだけなのよ、学校帰りに一回だけ会ったがお行儀もいいしちゃんと育ってると思ったという河野母に「冬子はあたしによく似ているので河野の家には馴染まないと思います」と意味深な笑顔で詩文は告げる。さすがに学校で魔性よばわりされてることまでは口にしませんが、要はそのへんを匂わせてるわけですね。養育費問題に続く元義理の母子の第二ラウンドです。
・ひるまず、圭史のDNAも入ってるんですよと反論した河野母は、あたしの血のほうが濃いと思いますという詩文発言に一瞬引きつったもののすぐに立て直し、河野の家に入れば大学だって安心して進学できる、あたしが死んだあとは資産(マンション)もみんな冬子ちゃんのものになる、と冬子の利点を強調。
「必死になって養育費とるよりいい話だと思わないこと?」といやらしい笑顔で言う河野母に詩文はとっさに言い返せない。ややあって、あの子はあたしにとってもたった一人の子供です、と反撃するものの、そう言わず冬子ちゃんと相談してみて、頭を冷やして考えればあなたにとっても冬子ちゃんにとってもあたしにとってもいい提案だとわかるはずだと今度は河野母も動じない。
「お断りします」と笑顔で言うものの今回は完全に詩文が不利。冬子の幸せ、経済的に苦労をさせないことを考えるなら確かにそれが一番だと詩文自身も思わざるを得ない状況だからですね。英児はおかしくなるし、父親はもとよりおかしいし、詩文の精神的重圧は増す一方です。
・詩文が帰ると父が店番しながらうたたねしている。「あれー、また永眠の予行演習をしてしまったー」と気の抜けた声で笑う父に詩文は力ない笑いを返す。
この父親、今後さらに状態が悪くなる一方だろう父親を抱えて赤字を増やすばかりの店も抱えていることを思い、河野母の提案が改めて重くのしかかってるんでしょう。養女にするという方法を提案してきた以上、冬子を原家に置いたまま養育費だけ出してくれる可能性はもう潰えたようなもんですし。
・詩文は二階から下りてきた冬子の腕をつかんで居間へ連れてゆき、「河野さんに会ったことどうして黙ってたの」と詰問。「養子になんか絶対やらないからね」「これ以上ママを苦しめないで」とこないだ以上に強く言い募る詩文に、冬子は「あたしママを苦しめたっけ?あっちの家でいっぱいおこづかいもらってママとおじいちゃんに貢いであげようと思ったんだけどな」と言う。
こないだそういうことを言うなと言われたばかりの内容を、皮肉っぽい喧嘩売るような口調であえて口にしたのは、自分は男に会いに行ったり好き放題やってるように見える詩文が、冬子的には何でもないようなことに妙に神経質に干渉してくることへの年頃の少女らしい反発でしょうね。
・そんな冬子を詩文はひっぱたく。冬子は愕然とした表情。まあ冬子にしてみれば軽くいなした感じで本気で喧嘩売ったわけではなかったのだろうから、詩文がこんなに怒るとは思ってもなかったんでしょう。「親をなめるんじゃないの」という詩文の言葉に、頬押さえたまま泣きそうな顔になりバッグ持って家を飛び出すところに冬子のショックのほどがうかがえます。
詩文は詩文で冬子が飛び出していったことへのショックを隠せない様子。無表情に近いポーカーフェイスやにっこり笑顔で感情を隠すのが上手い詩文がこんなにむきになるのは冬子に対してだけ。後に大森にレイプされかけたときでさえこんなに動揺していなかった。冬子が詩文の一番の泣き所なんですね。
・英児の病室。ベッドの横に座るネリはいつボクサーになろうと思ったかと質問。小学校3、4年くらい、オヤジがアリの大ファンでさんざんビデオを見せられたとアリを知らないネリに勢いこんで説明してくれる。
人を殴る商売に抵抗はなかったのという質問に英児は「ボクシングは商売じゃねえ。芸術だ」「リングの上でも人を殴ってるって感じじゃないんだ。観客にパフォーマンスを見せてるっていうか。どれだけ綺麗に相手を倒すかって」と熱っぽく真剣な顔で語る。
この「ボクシングは芸術」論は原作・脚本の大石静さんがお父さんやボクシング好きの男友達からさんざん聞かされた言葉だそう。大石さん自身もかつては英児と会う以前の詩文やネリのように“ボクシングは野蛮なスポーツ”と思っていたのが実際の試合を見にいったことで見解を改めたとのこと。英児のマウスピースが詩文の席に飛んでくるシーンも大石さん自身の観戦体験に基づいてるそうです(大石静『ニッポンの横顔』所収の「夢の舞台―後楽園ホール」中の記述)。
・英児の話をじっと噛みしめて、「あなたは誇り高い人ね。哲学があるわ」と評したネリに英児はちょっととまどったように「おれはボクシングを野蛮なスポーツだというやつを許さねえだけだよ」と答える。こんな褒め方されたのは初めてだったんでしょうね。しかし英児の話し方からは確かにボクシングへの情熱と彼一流の美学が存分に伝わってきます。
・ところで試合の前の日、計量が終わった後のことをまだ思い出せない?と本題に入るネリに、英児は眉を寄せてちょっと考える。その表情から思い出せてないのは明白ですが、ネリは、脳外科としてはもう直すところはない、精神科とも相談したけど記憶がもどるまで普通に生活したほうがいいという見解から退院を言い渡す。
ただし週に一度私の外来を受けにきてほしいと付け加えるネリに、英児は「先生とおれ、この病院で初めて会ったんだっけ」「なんか前から知ってるような気がするんだけどなあ」と言い出す。英児の台詞でなかったら口説き文句かと思ってしまいそうです。
恋人の詩文のことは思い出せないのに、他人のネリには妙な近しさを感じている。これは意識が戻ってすぐの時にネリを詩文と混同したせいで、本来詩文に対して持ってる親近感がネリに転化されてるんじゃないでしょうか。「なんでこんな親切なんだよ。・・・本当は前から知り合いなんだろ?」と言ったときのやや熱のこもった視線にもそれが表れてるような。
・一人カラオケする冬子。「天城越え」を手振りつきで熱唱。ゆかりのバイト先の「私の彼は左きき」といい、何でやたらと懐メロが多いんだろう。しかし家を飛び出して行く先がカラオケ、しかも一人でというあたり、冬子は魔性魔性言われるイメージほど遊んでないですね。
・ネリは詩文に英児の退院を知らせ「退院の日は迎えにきてやってよ」というが、「父の具合が悪くて店開けられないわ」と苦笑気味に詩文は断る。もし英児がボクサーのままだったらそれでも詩文は迎えに行かないといっただろうか。
「原の顔見たら思い出すこともあると思うんだけどな」というネリの言葉に「娘一人養えないのにこのうえ病気の男なんて抱えられないわ」と答えるあたり、英児が再起不能でなければ、少なくとも頭の状態がまともなら迎えにいったのかも。しかし家庭の状況がここまで切迫してきた以上、ケガのことがなくても英児との関係は続けられなかった可能性もありますね(高額ではなくとも詩文が貢いでるようなものだし)。
「娘一人養えない」という台詞は、先にまたお金がらみで娘と喧嘩した後だけに切ない。詩文自身、河野母の提案を受け入れるしかないことが内心分かってる、白旗を掲げたに等しい台詞ですから。
・電話を切ったあと心細そうな顔をしながら、詩文は寝ている父を襖をすかしてしばらく見つめる。
その後布団をしいていると冬子が帰ってくるが声もかけずそのまま二階へ上がってしまう。その気配に気づいたらしい詩文は声もかけてくれない娘に泣きそうな顔になりながら嗚咽しかけのため息を吐き、鼻をすすりながらシーツを広げる。
詩文が泣きそうになるなどこの場面くらいでは。冬子とのことが全てではないにせよ、娘に嫌われるのが詩文には一番堪えるのがわかります。
・久々に自宅アパートに戻ってきた英児は、窓際に腰掛けている詩文を発見する。迎えに行かないといいつつ家で待ってるあたり何だかんだいっても完全に英児を切り捨てることができないんですね。このあたりの情の深さも詩文が男を惹き付ける要素になってるのでは。
しかし英児は詩文を見ながら無言で彼女の前を通り過ぎる。何者か思い出せなくても前に病院に来た女だくらいはわかってるだろうに。「本当に覚えてないのね」と言った後の詩文の日差しを浴びた横顔のアングルがとても美しく、それだけに哀しい。詩文はもはや何も語らず、バッグからマウスピースを取り出して英児の左手に乗せると「元気でね」と部屋を出て行く。
詩文に英児を支える余裕はなく、それ以前に英児が詩文の存在を受け入れていない。必然的な別れを最大限の美しさで幕を引いたというところでしょうか。
・英児は軽くマウスピース握ったまま詩文を見送るが、次第に試合の様子を思い起こしサイド席で見ていた詩文の姿も浮かんでくる。「一緒にあの世まで行く?」という会話も。
パンチをもらって倒れマウスピースが飛んだこと、その瞬間詩文が英児と叫んだこと。本来の記憶が一気に甦ってくる。ネリの言った通り、詩文の顔を見るのが一番の療法だったわけですね。この場合マウスピースが引き金になっているので、むしろボクシングが彼の本来の記憶を呼び覚ましたというべきか。英児は「フミ」と呟くと詩文の後を追ってゆきます。
・英児は線路沿いを歩く詩文に走って追いつき、前に回り込む。「何で帰んだよ、何で病院きてくんなかったんだよ、掃除して待ってたんじゃねえのかよ」と詩文の手を引いて引き返す。すぐに事態を察した詩文は「思い出さなくてもよかったのに」と気のなさそうな返事をする。
これは英児が言うような気取っての発言ではなく、ネリに話したようにボクサーに戻れないならボクサーとしての過去を思い出す必要もない、自分とももう終わりなんだから自分のことも思い出す必要はないという意味の発言でしょう。
・次は日本タイトルマッチだと言う英児に「英児はもうボクサーじゃないよ」と実にストレートに詩文は告げる。その後に「だからもう終わりなの」と付け加えますが、これはボクサーとして終わりというだけでなく自分とも終わりというニュアンスをこめた言い方ですね。
呆然と立ちすくみ細かく目を泳がせた英児は「そんなこと・・・聞いてねえよ」と動揺もあらわに走り去りますが、その後ネリの元に押しかけたことからしても「そんなこと」とは単純に“ボクシングができなくなったこと”ですね。まだ詩文との関係にまで気の回る状態じゃない。英児にとっても詩文以上にまずボクシングが大事なのだとうかがわせる場面です。
・西尾家の食卓。大森も一緒に夕飯を食べてみんなで何か笑いあってる。裸を見た見られたの騒ぎがしこりを残してる気配は全くない。
ごはんをよそってやる満希子に大森が意味ありげにちょっと微笑むと、テーブルの下でスリッパの足を伸ばして満希子の足をちょっとなでる。ゆかりと満希子の両方がちょっと顔ひきつらせる。大森もちょっと顔こわばらせたもののゆかりと満希子が彼を見ると何も知らぬげな顔でご飯食べてる。
これに対し満希子は横目で大森をちらちら見ながら右足を前にそろそろ出す(こっそり足をなで返そうとする)という大胆な真似に出る。上体まで不自然に動いちゃっててあからさまに怪しいんですが。
「足踏むなよママ」と夫につっこまれ、間違ったのに気づいてげんなりしてますが、大森が満希子を獲物に定めたのはこの場だったんじゃないですかね。顔こわばらせただけのゆかりより脈がありそうだし、多少年はいってても美人ですしね。
・夜道を一人帰途につくネリ。誰かつけてる気配を感じるらしく時々後ろ振り返り、ついには走り出したもののこけてしまう。すると目の前に英児が立っている。
英児と気づいてネリは安堵の表情を見せますが、少し前のシーンで後をつけてた足は他の男のものっぽかった。英児とは別口でネリをつけていた男がいるということで、それが脅迫状の相手とイコールなのかなぜネリが狙われているのか、視聴者の興味と恐怖を誘います。
・「ボクシングできねえのか」という英児の言葉に「誰に聞いたの」と問い返しつつネリはあまり動揺していない声。会長から勝手に英児に教えないように頼まれてたのに、詩文に口止めしなかったのはネリの落ち度かと思ってましたが、大して動じてないところからしてわざと口止めしなかったようにも思えてきました。
「答えろよ!」と乱暴に迫る英児にも落ち着いた態度で「本当よ」と答えてますし。目を見開いたまま固まる英児の姿に彼のショックの程がまざまざと感じ取れます。
・普通の生活をするのは問題ない、でも頭に軽い傷を受けても命にかかわる、だからボクシングは無理だと説明するネリに、「死んだっていいんだよ。おれは、死んでもボクサーでいてえんだ!」と詰め寄る。
ここから、あなたに生きててほしい人だっているはずよ、いねえよ、いるわよと痴話喧嘩のような展開に。ネリがちょっと泣きそうな真剣な表情で「詩文だって」と言いかけるのは、“自分が”英児に生きていてほしいとは言えない、言うことに抵抗がある分を詩文に仮託したのでしょうね。そんなネリの感情を敏感に感じとったものか、いきなり英児がキスしてくる。
ネリは呆然としますが、唇放した英児もちょっと呆然とした顔でネリを見つめ、「先生とおれ、初めてじゃねえな」と戸惑ったように言う。初めてでないのは確かですが、英児のこういう勘は実に動物的ですね。ネリが英児に惹かれている自分を自覚した、英児の方にもネリを特別視する感情がはっきり生まれたターニングポイント的シーンです。
・そのまま見詰め合う二人を物陰から見つめる誰かの手が映る。やはりネリをつけてた男は別にいたか。ネリに歪んだ執着を持っているらしい相手が他の男とのラブシーンを見てしまったことでどう出るのか。おそらくはここでの嫉妬が契機となって、ネリの家が空き巣に荒らされる騒ぎに繋がっていきます。
・夜道を食パンの袋を手に歩く詩文は、ふと川にかかる橋の欄干 ?の下部に足をかけ伸び上がって下を見つめる。「うそ、死にたいの?あなたみたいな女でも?」と美波のナレーションが入るのにちょっと焦りますが、次の瞬間悠然と食パンかじってるだけの詩文の姿が映る。
娘との喧嘩に傷ついても恋人と本格的に別離しても、それでも決して死のうなどとはしない旺盛な生命力。詩文は何かと物を食べているシーンが多いですが、ここでも食パンをかじるという行為(それも袋から直接)でその生命力が端的に示されています。