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俳優・勝地涼くんのこと。

『蜉蝣峠』(2)-10(注・ネタバレしてます)

2013-10-16 20:35:15 | 蜉蝣峠
・全ての敵を斬り終えた闇太郎は短刀を構えるお寸に土下座して「後生です。行かせてください」と頭を下げる。さすがにこの人までは斬れなかったか。
考えてみれば闇太郎にお泪を添わせたのは天晴であって、お寸には大した借りはなかった気もするんですが。むしろ母が死んだ経緯もあり、〈女に非道なことはしない〉が闇太郎の中で無意識のルールになってるような気がします。

・お寸に「待たせてるんです、峠に女待たせてるんです」と訴える闇太郎。お寸はお泪のことを知ってるのになぜ名前でなく「女」という言い方をしたのだろう。
自分を待っている存在がいることがより強調されている感じで、彼にサルキジを殺されたと思ってる側からすりゃなお腹の立つ言い草になっています。

・「お泪はあんたを待ってたわけじゃないだろ。あの子が待ってたのは沢谷村の闇太郎だ」「あたしはあんたを待ってた。親分殺したあんたをね」。
父が死んだ時には立派と初夜の真っ最中で事件に気づきもしなかった、先に銀之助に大通り魔について語ったときはそのことに特に後悔もなさそうな様子だったお寸ですが、やはり自分たちがよろしくやってる間に父親を殺されたのがショックだったんでしょうね。待ってたというからには親の仇を討つ気があったようですが、大通り魔が話どおりの血も涙もない殺人鬼だったらお寸のかなう余地はなかったろう。
お寸の糾弾に素直に「すみません」と闇太郎は詫びる。彼の方こそうずらを自分の母の仇と糾弾してよい立場ですが、はっきり思い出したわけでない、久太郎としての自覚が乏しいために、怒りが湧いてこないということか。

・「娘まで死なせてしまった」と涙声になるお寸に「娘?」と闇太郎は訝しげに聞き返す。「そうさ、ヤクザの家に生まれてなきゃ嫁に出す年頃だったよ」。
サルキジが女だと知らない、サルキジが銀之助に撃たれたのは見ていても死んだとは知らない闇太郎は果たしてお寸の死んだ娘=サルキジなのを理解できただろうか。サルキジの他にも娘がいたとか誤解してそうです。
それにしてもこの跡目問題、前にも書きましたが天晴に継がせるんじゃいけなかったのか?サルキジが生まれたのは大通り魔事件の後なんだからすでに天晴が侍になる目は潰えていたはずなのに。
サルキジの後に男の子が生まれないとも限らないし、そもそもお寸がそうだったように年頃の娘になったサルキジに婿を取るんじゃなぜいけなかったのか。なまじ男で通させたりすれば婿取りももちろん嫁取りも叶わず、結局サルキジの代で後継ぎ問題が再燃するだけなのでは。
まあ天晴が立派に対抗して一派を立ち上げてしまったから、〈敵〉となった天晴に立派組を継がすわけにはいかない、逆に天晴に立派組を渡さないためにれっきとした後継ぎがいるのを示す必要があってサルキジを男装させた、というあたりがありえる解釈でしょうか。

・立派と二人がかりで闇太郎に斬りかかるが、闇太郎がよけたはずみに立派の刀でお寸が斬られてしまう。返り血にまみれた立派を脇から飛び出した天晴が斬り捨てる。
斬り捨てたタイミングと「がらにもねえことするからこうなんだよ」という台詞からすれば、今もって姉貴には多少情があって、姉を殺された怒りゆえの行動のように見えます。それにしてもこの時の天晴の刀さばきがめちゃくちゃ速くて、堤さんの技術に見惚れてしまいました。

・「見ろ、てめえが作った死体の山を」と闇太郎に示す天晴。人のこと言えた立場か、と言いたくなります。
沈んだ声で「人間になんて生まれてこなければよかった」と言う闇太郎に「そうかもしんねえな」と天晴は同意する。だからこそ夢の中では軍鶏なのか。
「生まれとか名前とかどこの村のなに太郎なんてそんなのを気にするのは人間だけだもんな」「侍も百姓もヤクザも死んだら仏さ」と続ける台詞にも天晴の人間(というか人間社会)嫌い、厭世的気分がうかがえます。

・天晴に斬りつけられ「いってえー!」と叫ぶ闇太郎に「痛えじゃねえよなぜよけねえ」と天晴は当然の疑問をぶつける。対する答えは「おれが悪党だからだ」。
覚えてはなくとも事情はどうあろうと25年前にこの宿場の人間をほぼ皆殺しにした、今も戦いたくないといいながら結局立ち塞がった連中を全て斬り倒してしまった自分は「悪」だと感じているのか。「死なない」「死ねねえんだよ畜生」と思いながら、あえて天晴に斬られるにまかせている(先にもヤクザたちの攻撃に下駄だけで立ち向かった)闇太郎は、かつて自分が殺した、その怨嗟を遠因として非業の死を遂げたお寸の身内である天晴に斬られてやることで、その「悪」の禊をしようとしたのかも。
しかし「おれが悪党だからだ」という台詞からすると「人間になんて生まれてこなければよかった」「人に生まれたばっかりに人でなしよばわり」と言いながらも闇太郎は人であることから逃げていない。軍鶏に憧れ、しがらみを放棄して人であることも止めようとしている天晴との違いがここにあります。

・ついに天晴の刀を受け止めた=初めて抵抗した闇太郎は「思い出したー!」と叫びながら応戦。接戦のあげくついに天晴が闇太郎にとどめを刺した――と思ったところで下駄で天晴の顔を殴り飛ばして逆転、ついに刀を抜いてほぼ一方的に天晴を斬り殴り二人とも倒れるという相撃ち状態に。
すでにヤクザたちとさんざん戦い、天晴にもさんざん斬り立てられているのに相打ちにもちこんだ闇太郎はどれだけ打たれ強いのか。天晴だって並々ならぬ使い手のはずなのに。今も昔も天晴が久太郎にやたら残酷なのは、ろまん街では随一の実力者だった自分が久太郎には大きく遅れを取ってると感じていたがゆえなのかも?

・争いが果てたところへ握り飯を持ったがめ吉が来る。闇太郎生きてるかと呼びかけられて虫の息の闇太郎は何とか起き上がり、がめ吉の手を借りてだが立ち上がる。「もつかな、蜉蝣峠まで」と闇太郎はいうが、今までもっているのがそもそも信じられない。どれだけ不死身なのか。
ところで天晴の方の生死はどうなんでしょうか。身動きしてないのでやっぱり絶命したんですかね。

・「おまえは大丈夫だ、ほら握り飯だ」と闇太郎の体を支えて歩き、握り飯を渡したがめ吉は後ろ手に抜いた包丁で突然闇太郎を刺す。ろまん街へやってきて以来、つねに闇太郎たちに親切にしてくれたがめ吉のまさかの裏切り行為。
なぜ、と思いますが「ごめんなー、これ以上あの娘に辛い思いさせたくないんだ」というがめ吉の言葉からは、自分が人もあろうに大通り魔をやみ太郎と間違えたために今日の混乱を招いた、お泪が知らずに仇の妻になるようなはめに陥ったことに深く責任を感じてるのがわかります。
これで闇太郎が峠に辿り着けず死んでしまえばお泪は来ない闇太郎をいつまでも待たねばならなくなるのに。お泪が全て承知したうえで闇太郎を受け入れたと知りながら二人の再会を妨害しようとするのは、闇太郎と一緒になればお泪はひどく苦労するにちがいない、それは蜉蝣峠で待ちぼうけをくわされること以上に彼女にとって不幸だ、とがめ吉が判断したからでしょう。

・それでも闇太郎は死なず、がめ吉の体を突きのけて歩き出す。この時がめ吉は「人でなし」と叫びますが、お泪のためを思うなら会うべきではないのに蜉蝣峠へ向かおうとする、その行為を闇太郎の身勝手、自分が彼女に対して犯した罪への反省がないと見なしたゆえか。
「人に生まれたばっかりに人でなしよばわり」と辛そうに天晴に語った闇太郎が、一番信頼していたろう相手にその言葉を投げつけられてふらふらと一人去っていく――何とも言えない孤独を感じさせるシーンです。

・蜉蝣峠に一人立つお泪。人の気配に「やみちゃん」と振り向くと「おれだよ」と答えるのは銀之助。髪型はお菓子の時のようなのに、化粧はなし、装束はサルキジのものという鵺のような姿。
「いつまで待ってるの」「来るまで。だって約束したんだもの」「誰と」「やみたろう」「どっちの」。これは天晴なみに残酷な問いかけではある。今彼女が待っているのは明らかに久太郎=大通り魔=闇太郎である男の方。銀之助もそれはわかっているはずなのにこういう事を言う。
闇太郎への愛情の中に子供時代のやみ太郎(やみ太)への想いを投影してる部分があるに違いない、というよりやみ太郎を好きだったがゆえに、彼であるはずの闇太郎を愛し夫婦になったお泪の中でやみ太郎への想いと闇太郎への想いは不可分である。だから「どっちの」という問いにはお泪だって答えようがない。
わかっていてこんなことを聞くのは、銀之助はもう愛しい人に会うすべもない、その苦しさをずっと抱えているから好きな人に会える希望がある、待つことができるお泪を羨む気持ちがあるからでしょう。お泪もそれを理解しているから彼の問いに怒ったりはしない。ところでお泪はサルキジを殺したのが銀之助なのを知ってるんでしょうか。

・誰かの姿がちらっと視界をよぎり、「来たー」と嬉しそうに近寄ろうとするお泪は「ねえあれやみちゃんじゃない」と銀之助に尋ねるが、先に立って覗きこむようにした銀之助は「ごめん、おいら、見えねえや」と寂しげに笑う。それに対してお泪は「一度くらい話あわせてくれたって、いいじゃない」。
この台詞からこうしたやりとりが二人の間ですでに何度も交わされていること、お泪自身が闇太郎が本当に来ることを半ば信じてないことがわかります。そんなお泪に銀之助ははっきり自分には見えないといい、「蜉蝣は、あんたにしか見えねえんだよ」と残酷な真実を告げる。
銀之助としては生き残れたとも思えない闇太郎をお泪が無駄に待ち続けることに同意はできない、しかし我が身に顧みて「闇太郎が来てくれる」という蜉蝣=幻を追いかけるお泪を不幸だとも言い切れない、そんな複雑な思いなんではないでしょうか。
少し後で「じゃ、先いくわ」とお泪に声をかけていますが、いつの日か気がすんだら蜉蝣峠に、過去に縛られるのをやめて新しい人生に向かって旅立てと示唆しているようにも思えます。

・「じゃ、先いくわ」「どこへ」「知るか、女か男かもわかんねえのに」。そう言いつつも言葉づかいは完全に男の銀之助に返っている。
乾いた笑いを浮かべる銀之助にお泪も割り切ったような笑顔になって達者でねーと声をかける。ある意味自分に似た傷を抱えた銀之助が去るのは内心心細かったでしょうけども。

・路上(おそらく蜉蝣峠)で倒れている闇太郎。「久太郎」と陽炎の向こうから綺麗な女の声が呼ぶ。「母上」と体を起こそうとして力尽きる闇太郎。
アバンタイトルで闇太郎自身が口にしたように、彼もまた蜉蝣峠で母親の幻を見た。ここからそう遠くない場所でお泪が闇太郎を待っているというのに、彼は最後の最後、久太郎として母親の名を呼んだ。お泪にとってはあまりに哀しい幕切れ。これなら確かにがめ吉の願ったとおりお泪は闇太郎に再会することなく、闇太郎は自分の事を一番に想ってくれていると信じたまま待ち続ける方が幸せなのかも。
そして闇太郎が倒れ、動くもののなくなった蜉蝣峠にただ風の音だけが寂しく鳴っている。無常を感じさせる哀切なラストです。


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