この写真は、陸上自衛隊になる前、保安隊の頃初めて旭川に配備された数機の軽飛行機のうちの1機です。胴体にあるマークが現在の日の丸ではなく、桜ですね。当時から約60年が経ちました。わが国の航空界は、昭和20年8月24日のGHQ命令によって日本国籍のいっさいの航空機は飛行を禁止され、引き続く9月2日のGHQの覚書によって、飛行場及び航空保安施設を現状のまま連合軍へ引き渡され、生産技術も人材もずたずたにされていました。昭和25年7月7日のマッカーサー書簡をベースに警察予備隊が発足して全国からわが国の航空界を再建しようと多くの人たちが立ち上がりました。屈辱の時から約5年後のことでした。航空界は、かろうじて残った戦時中経験された方々から教育を受けて、人材を養成する必要があり、浜松に保安隊航空学校が昭和27年10月15日に創設されることになったのです。そしてそこで教育を受けた帝国陸・海軍出身のパイロット・整備員の方々などが創設期の部隊において後輩の育成を行いました。これが現在の陸上自衛隊航空部隊であり、航空自衛隊の原点とな利ました。写真の航空機はその当時(昭和29年4月頃)のものです。将来が混沌として見えない時代、歴史を知ることで、創造性が生まれるといわれています。まさに戦後60年を過ぎた今こそ原点に返って歴史を学ぶ時期だろうと思っています。
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