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空を愛する者として各地を歩いた際の航空機の写真災害時の活用法などを掲載しています。現場の意見などコメントをください。

HU-1Bに感謝

2012-02-01 11:19:30 | 趣味・航空機
昭和38年に4機のHU-1Bが陸上自衛隊に初めて導入された。初めてのタービンエンジン搭載の多用途ヘリコプターであった。写真は、同年10月頃行われていた性能確認試験の中の一コマで、普通科部隊が装備していたジープを吊り上げての飛行の可能性などをチェックしている模様である。あれから50年陸上自衛隊はHU-1BからHU-1H、UH-1Jへとシリーズを導入し、普通科部隊などの空中機動力の中核として運用され、わが国の安全確保に大きな足跡を残した。また、各種の災害において、救助活動などを行ってきた。現有ヘリコプターでは最大の出動件数を誇るヘリコプターだと思う。沖縄にも配備されていた時期があり、第101飛行隊(現第15飛行隊)が初めて緊急患者空輸を行ったのもこのヘリコプターであった。長野県の北アルプスでの山岳遭難者の救助活動などにも使われている。筆者も槍ヶ岳での救助を副操縦士として務めたことがあった。3000mを超える高標高地で、2名の看護婦(現看護師)さんを救助したが、離陸重量限界であり、機長の冷静沈着な判断で見事に救助に成功したが、1名は、病院で亡くなられたと聞いた。阪神淡路大震災では、UH-1シリーズが陸上自衛隊のヘリコプターの最大期であり、約40機を連日運用した。孤立した地域からの救助や食料医薬品等の各避難所近傍ヘリポートへの搬送など多様な任務に存分に運用さえれた。東日本大震災においても、増強東北方面航空隊や各師団・旅団において存分の活動を行い、初動の4日間に救助した約10,000名の救助者の30%以上をヘリコプターが行ったといわれている。大型ヘリコプターでは着陸できない地域での救助活動は、中小型ヘリコプターに頼るところが大きい。中山間地が多い日本では、UH-1シリーズのよなサイズのヘリコプターは、とても重要である。このようにして国民の生命財産の保護に活躍してきたが、ついにその姿が消えることになった。平成24年1月31日、陸上自衛隊は、次期多用途ヘリコプターの開発機種を決定し、純国産で開発するという。5年後には立派なヘリコプターが完成すると思うが、それ以降急速にUH-1シリーズは消えてなくなることになるだろう。
改めて永い期間わが国の国民の生命財産の保護に活躍してくれたUH-1シリーズに感謝したい。次期多用途ヘリコプターが任務を開始するのは、5年後のようであるが、財政状況からすれば一度に編成全機を更新することは困難であるので、逐次減少するUH-1シリーズの欠数を当面どこまで容認するか、現在の装備数を一時延命して確保するかは重要な課題である。南西諸島では中国の影がうごめき、首都直下地震などの発生確率の見直しで、4年以内に高い確率で発生することが危惧されている。陸上自衛隊は、国の財政難に全面的かつ積極的に協力して編成定数を下げてまで対応していると聞いた。国民を守るために必要な数を努力して整備する気概は残っていると思いたいが・・。毎年防衛白書で自衛隊が装備する主要な航空機の数をチェックしているが、陸上自衛隊は中・小型ヘリコプターの減少により、加速度的に装備数が減るのではないかと懸念している。すでに50機を超える数が減少した。更に飛行時間を制限して延命しようとする愚作に出ないように願っている。
おそらくHU-1Bの装備開始から60年を過ぎてUH-1シリーズが完全に消えると思うが、国民の一人として心から「UH-1シリーズの多用途ヘリコプター」に対して、『有難う!』と感謝を述べたい。写真を提供していただいたY氏は、次期多用途ヘリコプターの決定を聞かずに先般旅立たれた。昭和38年10月頃に試験飛行を担任されていた頃の笑顔の写真が思い起こされる。天国からしっかり見守っていただけることを願っている。
また、本ブログに現場の多くの方から激励コメントを戴いたことにも深く感謝する。