失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

国際こども図書館 台東区上野公園

2010年06月13日 | Weblog

<国立国会図書館国際こども図書館 台東区上野公園 2010/06/06。以下同じ>

(6/23文末に追記)

 今回はNHK朝ドラ『ゲゲゲの女房』の話題に便乗し、
「中森さん」という登場人物がその後どうなったかを探ってみます。
「中森さん」と表題の「国際こども図書館」といったいどういう関係があるのか、あとでつじつまをあわせます。
  
<こども図書館の名前から想像されるよりも、いかつい建物だった>

 流行に便乗して自分もうまく立ち回ろうという人がいれば、
一方で流行をつくりだそうとあれこれたくらんでいる人もいる。
私はマスメディアに操られてしまう側(がわ)ですが、
すこしひねくれて、お花見の終わったあとの物寂しいどことなくうらめしげに訴えているようにすら見える風景を、
ことさら撮りに行きたくなったりします。
(物寂しさを感じるのは、真っ盛りの風景があるためなのですが)。
 流行を煽る側は罪作りなものです。テレビドラマなどで急に人気がでて地元がうるおう。
ところがドラマが終わると嵐が通りすぎるように流行は去っていく。
あわれなのは、自分も流行にのっかろうと手はずを整えたときにはもうピークが去っていて、
自分は空振り三振しランナーまでアウトにしてしまうような人。
・・・そんな話をここで私が空想してもしかたないので、本題に進みます。

 ゲゲゲの女房はなかなか泣けるドラマです。
見ていない人には「中森さん」といわれても何のことやらわからないので、
最小限の説明をしておきましょう。
ドラマの中では、中森さんは新婚の村井家に間借りするようになった貸本漫画家で、
結局漫画家をあきらめ、大阪の実家に帰っていきます。
最後の別れでは、たまった家賃(の半額)を払ってけじめをつけて去っていきます。
脇役ながら哀感ただよう人物像が印象に残りました。
役者さんの個性にも負うところが大きいのでしょうけれど。
 しかし、現実はもっと厳しかったようです。
この中森さんのモデルになったと思われる人物は、
水木センセイの自伝『ねぼけ人生』(筑摩書房、1982年)に描かれている
「川本よかはる」という漫画家さんのようです。
「僕は、家の二階の一室を川本よかはるという漫画家に貸すことになった。
これは兎月書房の紹介だったが、・・・」(p.156)とあります。
ところが
「・・・川本先生の細君から速達が来ていた。
病気になったから、すぐ帰宅してくれという内容だったが、
金ができていないのにオメオメとは帰れない。
そのうち、川本先生はやけ酒を飲むようになり、蒸発同然にしていなくなった。」(p.157)
という結末です。

 いったいこの川本先生はどんな漫画を書いていたのか。
国会図書館をはじめいくつかの漫画図書館などの蔵書を
ネットで検索をしてみましたが確認できませんでした。
(「広島市まんが図書館」
 「京都国際マンガミュージアム」
 「明治大学米沢嘉博記念図書館」、
 「大阪府立中央図書館国際児童文学館」)
18万点以上の蔵書を有するという「現代マンガ図書館」にも所蔵されていないということでした。
貸本マンガ史研究会編『貸本漫画returns』(ポプラ社、2006年)の資料編
「貸本マンガ家リスト1000+α」にも名前がのっていません。
あるいは、水木センセイの記憶ちがい、誤植、なんらかの理由で変名を使った、
などの可能性も考えられますが、私にはもうわからない領域です。
川本先生の作品はあるいはもう残ってないのかもしれません。

 あとまだネット上で蔵書検索できないまんが図書館がいくつかあります。
東京からは距離があるところが多くので
(「昭和漫画館青虫」「飛騨まんが王国」「吉備川上ふれあい漫画美術館」など)
後日の旅の楽しみにとっておくことにします。
 

 もう一人『ねぼけ人生』には、水木家に居候した漫画家が出てきます。
この人もあるいは中森さんのキャラクターの一部に取り込まれているかもしれません。
『ねぼけ人生』の記述(pp.152-154)を要約するとこんな風です。
「マンガ家募集」という新聞広告を見て出版者に出かけた水木センセイ。
その帰りに誰かが後をついてくる。
その人は同じ出版者に居合わせていた渡辺あきらというマンガ家だったが、
「手伝わせて下さい」と言って居候になってしまう。
居候に住みつかれて困ったセンセイは、追い出し策を実行に移すと、
渡辺氏は驚いて失神してしまう。
センセイが医者を呼びにいって帰ってくると、渡辺氏はもういなかった。
そして、何年も後になってある読者から手紙がくる。

(引用)
七、八年前だったか、一人の少年読者から手紙が来た。
「貸本マンガの渡辺あきらあらきという人を御存知ですか。
僕の家の近くの小屋に住んでいて、毎日のように遊びに行っていましたが、
口ぐせのように、水木しげるとは友達だったと話していました。
僕が、試験で、しばらく行かなかった後、久しぶりに行ってみると、
渡辺さんは死んでいました。警察で調べると“餓死”ということでした。
渡辺さんの御冥福を祈ってあげて下さい」
こんな内容の手紙だった
(引用終わり)『ねぼけ人生』(pp.154-155)

 川本先生に負けず劣らず悲しい運命をたどった「渡辺あきらあらき」さんですが、
「渡辺あきら」名では国会図書館の蔵書検索で引っかかりました。
「渡辺あきら」で1件、「渡辺明」で11件。
「渡辺あきら」と「渡辺明」が同一人物かどうかこれだけで断定できませんが、
いずれも昭和30年代の漫画の作者ですので、ほぼまちがいないでしょう。
いずれも「国際こども図書館」に所蔵されています。
  
今現在はデジタル化作業中で閲覧できないようですが、
来年の三月までには作業終了の予定となっています。
そのころまた覗いてみたいと思っています。


 渡辺あきらさんの作品はデジタル化されて、この先も、
大地震が起きたり核戦争がおきたり日本国が財政破綻したりして
国会図書館が消滅しないかぎり、この文明の寿命と同じくらい生き延びるでしょう。
(結局あんまり長くなかったりするかもしれませんが)
瞑すべし。

川本先生は中森さんとして復活して多くの人に印象を残しました。
それもいつか忘れ去られたら、また誰かの脳細胞の中で「はっと目覚めて」、
創作活動に力をお貸し下さい。


(2010/06/18 一部字句修正)

(2010/06/23 以下追記)
 コメントで「川本よかはる=橋本よしはる説」を教えていただきました。
 水木センセイの別の自伝『ほんまにオレはアホやろか』(私が参照したのは新潮文庫版、
 オリジナルは 1978年ポプラ社刊)によると、「兎月書房の紹介で、ぼくの家の二階で
仕事をやることになった橋本よかはる先生」(p.200)となっていました。
 やはり一番近い「橋本よしはる」先生で決着というところでしょうか。
 (これも断言は禁物ですけど)
 私は幽霊を一生懸命探していたようなものでした。
 当のご本人にしてみれば「余計な詮索はもういいから」と思っているかもしれません。

 (2010/07/12 修正(取り消し線部分))
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11 コメント

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橋本よしはる (通りすがり)
2010-06-19 14:45:39
川本よかはる=橋本よしはる説を、以前どこかで見たことがありますよ。
返信する
橋本よしはる説、ありがとうございます (水無月)
2010-06-19 23:09:07
川本よかはる=橋本よしはる説を教えていただき、ありがとうございます。
「橋本よしはる」で検索してみると氏の作品は「日真名氏飛び出す : 銀座パトロール」というタイトルでこども図書館に1冊ありますね。
返信する
渡辺明さんの母子双紙 (MUSASHI-Sakai)
2010-07-11 21:02:24
はじめまして。

私も渡辺あらきさんが誰か気になって調べたことがあります。渡辺さんの作品がデジタル化されるとのお話を聞き嬉しく思います。

二年ほど前に「母子双紙」と言う本を手に入れました。ご興味があれば下記をご覧下さい。

http://phosphatidylserine.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post-8128-1.html
返信する
「母子双紙」を紹介いただきありがとうございました (水無月)
2010-07-11 23:08:25
MUSASHI-Sakaiさんはじめまして
この私の記事はリサーチ不足でした。
不明を恥じております。
それはともかく、
ご紹介いただいたページを拝見しました。
渡辺明さんの作品を見たのはこれがはじめてです。
表紙絵(漫画家本人の絵ではないかもしれませんが)をみると泣けてきそうな話のようですが・・・。

ほんとうにざっとですがブログ拝見いたしました。谷保の城山での定点撮影などがあって
「おっ」と思いました。

返信する
母子双紙/谷保の城山 (MUSASHI-Sakai)
2010-07-11 23:49:57
母子双紙は、金持ちの家の女の子が捨て子だったことを知り、実の母を訪ねて江戸から大阪に向かう話です。沼津で偶然出会い、母は娘であることに気づくのですが、娘の幸せのために名乗りをあげることなく、娘は江戸に連れ帰されると言う結末です。

谷保の城山をご存知とは驚きました。私は多摩市在住で職場は国立市です。桜ヶ丘公園の定点撮影も拝見しました。城山は変化が少なくがっかりだったのですが、こちらの写真は見事ですね。

これからも宜しくお願いします。
返信する
MUSASHI-Sakai様 (水無月)
2010-07-12 21:51:43
ストーリーのご紹介ありがとうございました。

本文中の私の誤認識部分を修正いたしました。
あわせてどうもありがとうございました。

渡辺明さんと思われる人物ですが『水木サンの幸福論』の中では「本当に栄養失調で死んだ同業者」の「ワタナベさん」として登場し、「説得に応じて渋々出ていった」となっていました。

桜ヶ丘公園の定点撮影の今年後半はすこし遊びを入れてみようと思っています。

またお寄り下さい。
そちらへもまた寄らせていただきます。
返信する
Unknown (みやした)
2010-09-03 01:03:42
徳間書店の「ゲゲゲ家族の肖像」で再録されている、「借金やら、倒産やらで・・・」の中に、「二階にいた橋本よしはる先生」と記述があります。
2010/8/15に出版されたブームに乗った本ですが、原案本では説明されていない、ドラマの原案になった部分がけっこう載ってます。
返信する
Unknown (みやした)
2010-09-03 01:04:40
訂正。「二階にいた橋本よかはる先生」です。誤入力しました。
返信する
みやした様 (水無月)
2010-09-03 21:26:39
「ゲゲゲ家族の肖像」を紹介していただきありがとうございました。
今後ともいろいろと教えていただければ幸いです。

私の方からは、貸本マンガ家からはずれてしまう話題ですが、
「水木さん大全」という水木センセイと
荒俣宏氏が対談しているDVD(すでにご存じかもしれませんが)がおもしろかったです。
特に「ゲラゲラ文明」なるものに言及しているあたり。

返信する
渡辺明さんの桃太郎大名 (MUSASHI-Sakai)
2011-01-10 22:30:05
桃太郎大名の表紙と中身の一部をアップしましたのでご覧下さい。最後尾にあります。
http://phosphatidylserine.cocolog-nifty.com/blog/2001/01/post-02e9.html
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