前回の海老名氏霊堂につづいて、今回も海老名市にある、中世武士の館に関連する遺跡です。
ここは今回のタイトルにあるとおり、歴史公園として保存されています。
私はこの場所を『相模武士団』(関幸彦編 吉川弘文館 2017年)で知りまして、特に復元イラストを見て
どんなところか興味を持った次第です。
現地案内板には「・・・建物跡は、・・・当時の武士階級の住居であることを示し、・・・
また、この地域が中世の渋谷荘に属し、渋谷一族の大谷氏との関連性もうかがわせます。」と書かれています。
建物跡が、レンガ?で示されています。
ここは丘陵の上にあるはずなのに、くぼ地のような感じがして地形がよく把握できなかったので地図を色塗りしてみました。
<国土地理院1/25000地形図を『カシミール3D』で加工し地点をプロット>
上のピンク色の四角の囲みは相模国分寺跡、その下のピンク色●が浜田歴史公園です。
見てのとおり丘陵の中に緩い谷が入り込んでいました。谷は南に下ってから西に曲がって相模川側に開いています。東側は目久尻川です。
右上から左下にかけての曲線は東名高速道路です。左上の●は前回の海老名氏霊堂の位置です。
(写真撮影日は2023年11月4日)
ここは今回のタイトルにあるとおり、歴史公園として保存されています。
私はこの場所を『相模武士団』(関幸彦編 吉川弘文館 2017年)で知りまして、特に復元イラストを見て
どんなところか興味を持った次第です。
現地案内板には「・・・建物跡は、・・・当時の武士階級の住居であることを示し、・・・
また、この地域が中世の渋谷荘に属し、渋谷一族の大谷氏との関連性もうかがわせます。」と書かれています。
建物跡が、レンガ?で示されています。
ここは丘陵の上にあるはずなのに、くぼ地のような感じがして地形がよく把握できなかったので地図を色塗りしてみました。
<国土地理院1/25000地形図を『カシミール3D』で加工し地点をプロット>
上のピンク色の四角の囲みは相模国分寺跡、その下のピンク色●が浜田歴史公園です。
見てのとおり丘陵の中に緩い谷が入り込んでいました。谷は南に下ってから西に曲がって相模川側に開いています。東側は目久尻川です。
右上から左下にかけての曲線は東名高速道路です。左上の●は前回の海老名氏霊堂の位置です。
(写真撮影日は2023年11月4日)
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