失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

江戸東京たてもの園 八王子千人同心組頭の家

2011年04月09日 | 民家園

<2011/03/06 江戸東京たてもの園八王子千人同心組頭の家>

●自粛気分はありますが
懐かしい風景、美しい風景を求めているうちに、
私の中では日常からすこし離れた夢幻的世界に遊んでみたいという気分が強くなっていました。
しかし日常をはさんで「夢幻的世界」とは反対側に
「非常事態」というもう一つ別の世界があることには思い及んでいませんでした。
これまで幸福(幸運)すぎたし、それが誰かの犠牲の上に成り立っていたのだと思うと、
無力感・罪悪感のようなものを感じるわけです。
明日は我が身が大災害に襲われるかもしれないし、
そんなわけで今私にも自粛気分があります。
(「忌み籠もり」とはこんなことなのだろうかなどと思ったりもします)
けれど節電などの行動は別として、気分の上での罪悪感などは何かの力になるわけでなし、
このブログは坦々と続けていけばいいのかなと思っています。
まあ、たかがこのブログ一つでそれほどたいそうな話ではないですけれど。
<4/12一部文章修正>

それでここから坦々といくことにします。
●江戸東京たてもの園八王子千人同心組頭の家
 多摩地区にある民家園の「取り」として江戸東京たてもの園をとりあげます。
 江戸東京たてもの園は都立小金井公園にあります。


 
 青のエリアが小金井市
 みどりのエリアは
 このブログで取り上げた市
 は江戸東京たてもの園のおよその位置
 小金井市桜町3-7-1
 入園料一般400円

 は八王子市追分町
     =旧所在地
 
入園時にもらえるパンフレットによると、現在の建物数は27棟です。
計画では最終的に30棟になるようです。
このうち、古民家(ここでは、茅葺きの建物ということにしておきます)は、
4棟(吉野家、八王子千人同心組頭の家、綱島家、天明家)です。
今回はこのうち八王子千人同心組頭の家だけを取りあげます。

<2011/03/06 江戸東京たてもの園八王子千人同心組頭の家>

 江戸東京たてもの園全体では写真撮影の可否、床上公開の状況は建物ごとに違いますが、
八王子千人同心組頭の家については、写真撮影可で床上公開していました。
 旧所在地は、上記のパンフレットによると八王子市追分町となっています。

また建物の解説板によると

  1893年(明治26)に日野の大火で家を焼失した溝呂木(みぞろき)家が、
 八王子にあった千人同心の子孫である塩野家から建物を買い取り、
 その部材を転用して日野市に農家を建てた。
 ・・・
  この建物は、溝呂木家の各部材に残る痕跡調査から、
 江戸時代末期の千人同心の住んでいたころに復元した。」


ということです。

●旧所在地探訪
八王子の追分町とそのとなりの千人町に行ってみました。

<2011/04/03 八王子市千人町 左:「千人町」交差点、右:興岳寺の前>

「追分」は甲州街道(現国道20号)と陣馬街道の分岐点です。
下の写真では右が陣馬街道、左が甲州街道です。

<2011/04/03 八王子市追分町>
歩道橋から見えた小道(下の左の写真の赤い矢印)の雰囲気がよさそうだったのでここに行ってみると、

<2011/04/03 八王子市追分町 左:赤色矢印の先に屋敷跡 右:左と同じ場所から反対方向を>

「八王子千人同心屋敷跡記念碑」がありました。

<2011/04/03 八王子市追分町>

ここに千人同心の解説板があります。私はこれでにわか勉強。

<2011/04/03 八王子市追分町>

これによるとこのあたりは千人頭、原家の屋敷があったということです。
江戸東京たてもの園の家は塩野家ですのでここではないです。
(旧所在地探訪は今回はこれ以上詳しくしていません)

ほかに八王子千人同心に関して私の興味を引くことは、
千人同心が『新編武蔵風土記稿』の多摩郡、高麗郡、秩父郡の調査に携わったことや、
そのうちの植田猛縉(うえだもうしん)が何枚か挿絵を描き、自らも『武蔵名勝図会』を著していることなどです。
(これらの絵については八王子市郷土資料館の展示図録
『江戸時代に描かれた多摩の風景』(2010)八王子市教育委員会発行が参考になりました。)

●古民家園をめぐったあとでの感想
これで多摩地区で公開されている主な古民家をだいたい回りましたので、振り返って思ったことをのべてみます。
古民家園の管理運営のあり方は、正反対の2つの方向があるように思いました。
一つはたくさんの人に来て楽しんでもらい、地域の集いの場として活用していこうという方向
(狛江市、小平市、世田谷区など)。
この場合ボランティアの協力(というかボランティアが主体か)が欠かせないようです。
もう一つは、凍結的な保存でいいのでなるべくよけいな手間をかけないようにしようという方向。
無料で公開している自治体としては来園者が増えても収益が増えるわけでなく、
後者の方向に流れる圧力は常にあるのではなかいと思います。
それなら入園料をとって管理費をまかなえるかというとおそらく無理でしょう。
有料化すれば来園者は減るでしょうし、入場券の販売や金銭管理やらに要する経費すらまかなえないかもしれません。
結局、その古民家を地域の中で愛される場所として活用したいという熱意を持った人たちがいて、
自分たちも楽しめるようでないと、そこが賑わうことはないのでしょう。

●全部あわせてでっかい古民家園にみたててはどうでしょう
 すこしでも来園者数を増やせという課題が、もし与えられたとしたら、私ならどんなアイデアを出すか。
二,三の思いつき(というか私はこんなものがほしいという願望)を以下に書いてみます。
まず、まず各古民家園の横の連携をはかりますかね。
多摩地区なら多摩地区全体を民家園にみたてて、所在地マップ(個別の案内図とは別に全体図を)を共同で作り、
最寄り駅からのコースはもちろんとして、それぞれの民家園をつなぐなるべく安全に歩けるあるいは自転車で行けるような散歩コースなどを掘り起こしてみる。
比較することで各地域、民家の特徴・独自性を探してセールスポイントにする。
 物品販売として、民家の模型の型紙(ペーパーモデル)を売る。
縮尺とかパッケージとかを統一して各民家園をシリーズ化する、各民家園は自分のところの模型だけを売る。
その場に行かないと買えないものにする。全部集めると・・・とか。
 郷土館附属の民家園(そうでないところは郷土館と共同企画で)だったら、
民家園を出発点にして旧所在地周辺の歴史を訪ねる行事や旧所有者の人の話を聞く会などを企画する。



 ペーパーモデルについてはいつか厚紙や段ボールを使ってどこかの民家を自作してみようと思っています。
(型紙を作って販売するわけではありません)
 頭で思い描くほどには上手く作れないので、お見せできるようなものができるかどうかはわかりませんが。

(おしまい)
コメント
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