失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

立川市 普済寺

2007年03月17日 | 江戸名所図会
 江戸名所図会に「芝崎普済寺(しばさきふさいじ)」という絵があります。

ちくま学芸文庫『新訂 江戸名所図会3』市古夏生・鈴木健一校訂 筑摩書房pp.436-437

 この絵も例によって、鳥瞰図的に描かれており、このように見える地点は、付近にありません。当時だったら火の見櫓のような高い場所にでも登らないと不可能のように思えるのですが、長谷川雪旦は、頭の中に眺望図作成ソフトのようなものをもっていたのでしょうか。(毎回思うのですが)
 それはともかく、現在のまちから、富士山と普済寺の位置関係がそれらしく見える場所探しをしてみました。

 一つ目は、立川南駅前の某商業ビルの屋内階段(一般の立ち入り可)からのものです。富士山が見える日を待ちました。すこし雲がかかっているのが残念です。ガラス窓越しです。



<中央の赤白の塔の下、送電線鉄塔の下に、普済寺の本堂の屋根が写っています>

 次は、多摩モノレールの車窓から。これもガラス窓越しです。この日は、富士山が隠れてます。撮影地点は、京王ストアの看板が写っているので、奥多摩街道付近です。赤い楕円で囲ったところが普済寺です。


 こう比べてみると、図会の富士山の左の山は「大室山」ということになります。今ひとつ写実的でないように思いますが、どうでしょうか。
 この絵も遠景を含めて全体を描いた絵に、別角度から描いた普済寺を組み合わせたもののように思えます。


 普済寺は、現地案内板(東京都教育委員会)によると、立川氏の居城跡に建てられたとのことで、そうしてみると「立川」の地名ともゆかりの深い場所です。

<写真左:普済寺の正面;写真右:本堂>

 図会には、もう一枚絵があります。六面石幢。

ちくま学芸文庫『新訂 江戸名所図会3』市古夏生・鈴木健一校訂 筑摩書房pp.440-441

 これは、現在、境内の保護用建屋の中にあります。

<右の写真は、図会の一番左に描かれている広目天>

<建屋の南は立川崖線で、下に残堀川が流れている>

 普済寺ちかくの立川崖線周辺には美しい風景が見られます。

<写真左:崖線下;写真右:崖線上、普済寺の北側。奥多摩街道の南側の屋敷林>

<写真左:崖線の坂道;写真右:この先、普済寺の裏門?に出ます。>

<冬枯れのけやきの枝が青空を背景に映える>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする