道彦の散歩道

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
毎日の事件事故の記録

10/07 ザッハトルテ&フォンダン・オ・ショコラ

2014年10月07日 | スイ-ツ・お菓子

【ザッハトルテ】

「ザッハトルテ」は、オーストリアの代表的な菓子(ザッハ)である。古典的なチョコレートケーキの一種。

小麦粉、バター、砂糖、チョコレートなどで作った生地を焼いてチョコレート味のバターケーキを作り、アンズのジャムを塗った後に、表面全体を溶かしチョコレート入りのフォンダン(糖衣)でコーテングする。
スポンジを上下に切り分けて、間にジャムを塗る場合もある。箸休めとして砂糖を入れずに泡立てた生クリームを添えて食べる。

こってりとした濃厚な味わいを特徴とする。ウイーンのホテル・ザッハーの名物菓子であるが、今日では広く世界各地で作られており、チョコレートケーキの王様と称される。

『歴史』

1832年に、クレメンス・メッテルニヒに仕える料理人の一人であったフランツ・ザッハーが考案した。飽食した貴族たちのために新しいデザートを作れというメッテルニヒの要望に応えたものであった。

「ザッハトルテ」は大変に好評で、翌日にはウイーン中の話題になったという。当時はザッハーはまだ16歳で下級の料理人にぎなかったが、「ザッハトルテ」の成功から頭角を現した。「ザッハトルテ」はフランスのスペシャリテ(特製料理)として好評を博し続けた。後に次男がホテル・ザッハーを開業すると、「ザッハトルテ」はそのレストランとカフェで提供された。

レシピは門外不出とされたが、3代目のエドマンド・ザッハーのときにホテル・ザッハーが財政難に陥ったのをきっかけに、資金援助をしたウイーンの王室御用達のケーキ店「デメル」が、代償に「ザッハトルテ」の販売権を得た。この際に、「元祖ザッハトルテ」の文字をケーキの上にホワイトチョコレートで描く権利も譲渡したとも言われる。

ここで、「デメル」の娘がザッハーに嫁いだ際にレシピが流失したとする話があるが、事実とは異なる俗説である。その後ね、ハンス・スクラッチ『ウイーンの菓子店』という本にまで、秘密のレシピは掲載されてしまった。ついにホテル・ザッハー側が、「デメル」を相手取って商標使用と販売の差し止めを求めて裁判を起こしたが、7年にも及ぶ裁判の結果、ホテル・ザッハーにもデメルにも双方の「ザッハトルテ」の販売を認める判決が下った。その結果、デメルのものは「デメルのザッハトルテむさそと、ホテル・ザッハーのものは「オリジナルザッハトルテ」として売ることになった。ホテル・ザッハーのものはアンズのジャムを内部に挟むのら対し、デメルの「ザッハトルテ」は表面にのみ塗る、という違いがある。

Img_2769

Img_2771

Img_2770

Img_2772

フォンダン・オ・ショコラ

「フォンダン・オ・ショコラ」は、フランスのチョコレートケーキである。日本語では「フォンダン・ショコラ」と表記されることがある。
「フォンダン」は、「溶ける」という意味の動詞に由来する男性名詞である。

中心まで完全に焼かないので、内部がチョコレートソース状になっている。温めて食べれば、風味豊かなチョコレート生地と、切断面からトロリと出てくるチョコレートを堪能することができる。

Img_2773

Img_2774

Img_2775

Img_2776


最新の画像もっと見る