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道彦の散歩道

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毎日の事件事故の記録

05/15 大沼だんご&酒まんぢゅう

2014年05月15日 | スイ-ツ・お菓子

【大沼だんご】

大沼土産といえば、やはり「大沼だんご」である。製造元である沼の屋の創業は1905年。100年以上り歴史を誇る。
創業者である堀口亀吉は上磯町出身で、上磯ー函館間の乗合馬車業を営んでいた。しかし、大沼の鉄道開設に携わっていた宮川勇と出会い、観光開発による将来性に着目。
1903年に大沼湖畔に小屋を建て、家族3人で生活を始めた。
当時の大沼は、道庁が景観を生かした公園開発に乗り出し、旅館も出来たばかり、観光土産はおろか、観光客が気軽に休憩できる場所もなかった。そこで亀吉が観光地に必要な名物として発案したのが「大沼だんご」であった。
これは亀吉の妻が、米どころである新潟県・佐渡島出身で、米を材料にした名物をと言う思いから生まれたものである。店舗だけでなく、大沼駅でまの立売りも行うようになったので、食べやすいように駅弁を模した折り箱を使った形態で販売するようになり、そのスタイルは現在も受け継がれている。

「だんご」は小指の先ほどの大きさで、湖面の浮島を表現するために串に刺さず、醤油餡、漉し餡、ゴマダレがかかっている。
自家製粉したしん粉を、蒸してから地元の水で急激に冷やすことで、「大沼だんご」独特のつるんとした口当たりになる。

餡は甘いものを想像してしまうが、この「大沼だんご」の餡は一味違い、塩辛いものを感じさせる。それが逆にだんごに合っていて美味しい。
ゴマは、胡麻のシンプルな味がだんごの美味しさを引き立てている。
醤油タレは、想像通り甘辛である。しかし、その濃厚な味は一口食べたら病みつきになる。

毎日店頭に買いに来てくれる地元客を大切にしようと、店舗や商品数わ増やすことなく、創業当時の場所で店を構えている。4代目社長は「シンプルな商品だからこそ、気を抜けません。伝統の味を守ってきたからこそ、100年も続いたと思います」と。

JR大沼駅での販売は1993年に打ち切られたが、現在では特急北斗の車内で販売されている。しかし、人気の「ゴマ折り」は製造数が少ないため「沼の屋」のみでの販売となっている。

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【酒まんぢゅう】

「酒まんぢゅう」は、北海道の駅弁のルーツと言われている。
確実な記録によることは困難だが、明治13年幌内鉄道、手宮ー札幌間が開通して間もない頃、銭函駅ホームで「甘酒饅頭」を売っていた人があり、それが銭函名物として人気を呼んだめ、一時は7,8人も売り子がホームに出勤するという状況を呈するに至ったため、開拓使から規制され4人の者に限り、売り子としてホームに出動することを許可されたという。これが立売そのものの始まりと言われている。

銭函駅の近くにあった和菓子屋が、自家製のドブロクを使って饅頭を作っていた。地元の人の話によると、最初に作ったのは西辻甚太郎という人で、最盛期には4,5軒の店で製造していた。
出来たてのホカホカを直接ホームへ持っていって販売するので、お腹の空いた旅人達によく売れたという。

弁当ではないが、これが北海道の駅弁のルーツと言われている。小樽駅の「トンネルもち」、野幌駅の「煉瓦もち」ともに和菓子の三大名物と呼ばれたが、戦後になってドブロクが自由に製造出来なくなると、自然に作られなくなってしまった。

この「酒まんぢゅう」が数年前に復活し、現在も銭函駅で売られている。作っているのは銭函から約100キロも離れた芦別市の菓子店。なぜ芦別で銭函名物がつくられているのか?

かって、銭函駅の「酒まんぢゅう」が大好きだった少年がいた。彼は銭函で育ち、鉄道マンだった父と一緒に、近所の菓子屋のおばさんから作り方を教えてもらい、見よう見まねで「酒まんぢゅう」を作ったこともあった。やがて終戦となり、「酒まんぢゅう」は銭函から姿を消した。
大人になった彼は、記憶を頼りにその時のレシピを書き留めていて、何時か食べたいと思っていた。

そして1997年、60歳をすぎた彼は、昔を知る同級生とひょんなことから「あの酒まんぢゅう、もう一度銭函に復活出来ないだろうか」と思いつく。同級生は小樽や札幌の知人に話しをもちかけ、とこかの菓子屋で製造してもらえないかと探したが、記憶だけが頼りの半世紀前のまんぢゅうに賛同してくれる人は見つからなかった。

しかし、話は同級生同士を通じてどんどん広がり、芦別市に住む別の同級生の知人を通じて、「近くに腕のいい職人さんがいるから話してみよう」と言うことになった。
そうして、芦別で40年近く菓子作りを続けていた「小川菓子舖」の小川秀雄さんの元に、「酒まんぢゅう」のレシピが届いた。
「酒まんぢゅう」復活に沸き立つ仲間とともに、小川さんは何度も試作を重ねた。
中に入れる酒も色々探し回り、大阪のドブロクを取り寄せたり、道内の酒で試したりした。そして約半年後、なんとか形になつた試作品の「酒まんぢゅう」を宅急便で銭函に住む、かの「酒まんぢゅう」好きの男性に送った。その時の感想の手紙には「幻になっていた酒まんぢゅうが十個ほど入っていた。早速蒸かして食べてみた。只々感嘆。よくぞ生まれ変わってくれたものよ。涙が出てきた。私はすぐに合格と連絡し・・・・・」。

合格の知らせを受けた小川さんは、1998年の末から本格的に製造を始めた。作り方はごくシンプルで、材料も昔ながらの小豆、小麦粉ね砂糖、日本酒、酒種だけを使う。
酒を加えて生地を練り、餡を包み、蒸篭で蒸しあげる。最後に焼き印を押して出来上がり。

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