佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

雲仙・島原へ

2008-08-15 | 
今日は、佐世保を離れて雲仙・島原へ

期待通り、高地の雲仙に吹く風は涼しくて、車の窓を開けると、自然の風が気持ちいい
しかーし、誰の行いが悪いのか、山頂付近は雲に覆われていて下界が見えず!
楽しみにしていたロープウェイも乗らずに戻ることに…残念!



仁田峠付近ではたくさんの枯れ木が目に付いた。



道端の説明板によると、
2002年の雲仙・普賢岳大噴火の際、火山性ガスにより枯死したモミの木の残骸。
最近ではこの山の再生のため住民による植樹活動も行われているそうだ。

山を下りて、向かうは地獄。
地獄の入口に立つ九州ホテル内の「100年ダイニング」で、
地獄の湯煙を見ながら昼食。

窓から見るにはいい眺めでも、
実際に歩いてみると、強烈な硫黄の匂いに閉口!
一刻も早く地獄を脱したかった。
やはり地獄は行きたくない場所である・・・。



ビードロ美術館や、足湯広場で遊び、次に目指すは島原城。



着いたのがすでに5時を過ぎていたので、お城を眺め、周囲を散策するのみ。
だが、人気の引いた城の庭はしんとして風情がある。
城の裏の一角にいくつかの銅像がたっていた。
「観音菩薩像」、「若き日の小田信長」、「聖火」等々。
なかなか見ごたえのあるものばかり。



よくみると作者は、北村西望! 
あの長崎平和公園の平和祈念像の作者ではないか!
う~ん、どおりで、素晴らしい!
あの仁王像のような作品の怒った表情は、
その眼の玉といい、突き出した指先といいすごいなあぁ~
ため息交じりに見ていたら・・・

番外編?発見!
「天草四朗像」と記されたその像は・・・どう見ても美少年とは言い難い。
メタボのおじさんが羽織袴に鉢巻き締めて立ってるみたい(笑)
天草四朗というよりは、「桃太郎!」と皆の意見・・・。
(北村先生、すみません!)



実は島原は、知る人ぞ知る水の都なのである。
あちこちに水が湧き出ている。
これも、江戸時代の雲仙普賢岳の噴火によって湧き出したのだとか。
自然の力ってすごいなぁ。
人間の営みはやはり自然に左右されているんだなぁと思う。

市内のいたるところを流れる水路は、透明で清らか。
鯉がいっぱい泳いでいた。





その鯉に見とれていると、爆竹の音やお囃子が…。

今日は8月15日。精霊流しの日。
長崎県内いたるところで見られる仏教行事。
新しい仏様の霊を精霊船に乗せて運ぶ。
特に島原の精霊船は独特で、
竹と藁で作った船に切子灯篭を飾ったたいへん美しいもの。



ネット上でその写真を見て惹かれ、是非見たいと思っていたけれど、
どこに行けば見られるのかわからないままだったのだ。
それが、路地を歩いていたら、なんと…むこうからやって来た!
なんて運がいいんだろう。

まだ明るいので灯りはついていなかったけれど、
白と水色のコントラストが清楚で悲しげな美しさを醸し出している。

同じような船がいくつもいくつもやってきて、
船の前には「○○家」の文字が。
先頭を歩く初老の女性は喪主の方だろうか。

担ぎ手たちは何か掛け声をかけているが、聞き取れない。
交通整理をしていた方に夫が訊いてみると、「なまいどー」と言ってるそうな。
ナマイドー?
「そう、ナンマイダブツ、ナンマイダブツと言ってるうちにナマイドーになったんやろね」と、解説してくれた。
なるほど!

もう少し待ったら灯篭に灯がついて、有明海に流されるという。
その幻想的な光景を見たかったけれど、男性陣は興味なさそう。
「それより早く帰りたい。帰って飲みたい、飲みたい!」と
ドライバー役の夫が念仏を唱えるように言う。
しかたなく、後ろ髪を引かれる思いで、帰路に就きました。

いつかまた来たい。ゆっくりと。
できれば、ひとりで・・・

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