佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

長崎原爆の日 2009

2009-08-09 | 佐世保・長崎



今日は長崎原爆の日。
私にとっては2回目の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典。

実はこのとき、すぐ近くの爆心地公園では、NO MOX の仲間が、
プルサーマル反対の署名活動をやっていたのですが、
私は式典に参列したかったので、終わり次第合流することにしました。

昨年の経験から今年は早めに到着。
なんとか巨大テントの下の席を確保できました。



夏真の炎天下の下で長時間の式典に参列するのは、高齢者ならずとも大変です。
とかく来賓席だけにテントが張られがちな式典ですが、長崎の平和祈念式典は違います。
参列者全体を暑さから守る巨大テントが張られます。
それだけではありません。

今年も去年と同様、ボランティアによって冷たいおしぼりとお茶が配られました。



あちこちから「わぁー、気持ちいいー!」という声があがります。
その声に若いボランティアたちは嬉しそうに、笑顔で応対しています。

この日この場所に集う人々を、職員も市民も共に心をこめて迎えようとしている、
そんな空気が伝わってきます。


開式の時間となりました。
今年も例年同様、高校生の男女による司会進行です。



大人でも子どもでもない、のびやかでまっすぐな声が心地よく響きます。

この後は撮影禁止(式の雰囲気を乱すため)、私もカメラをしまいました。

原爆死没者名奉安、献水、献花と進み、
11時2分、黙とう。

そして、田上長崎市長による平和宣言。

アメリカのオバマ大統領をはじめ、すべての核兵器保有国とその指導者の名前をあげ、
「被爆地長崎へ来てください、原爆資料館を訪れ、被爆の跡地に立ってみてください」
「死者の沈黙の叫び、犠牲者の無念の思いに、誰もが心ふるえるでしょう」と、
核兵器の現実を直視することを求め、
また市民に向かっては、
「歴史を作る主役は、私たちひとりひとりです」と、
それぞれの暮らしの中で行動をおこすことを呼びかけました。

続いて、被爆者代表の奥村アヤ子さん。
両親やきょうだい、すべての家族を原爆によって奪われた奥村さんの悲しみ、苦しみは、
多くの参列者の涙を誘いました。

その後、麻生首相をはじめとする来賓挨拶。

その中で印象的だったのが、ミゲル・デスコト・ブロックマン第63回国連総会議長のあいさつ。

彼は公的な立場の他に、ローマカトリック教会の信奉者という個人的な立場から、
「64年前にこの場所で起きた犯罪に私の教会のものが直接関与したことについて、
日本のすべての兄弟から許しを請うために来日したのです」と宣言しました。
「核兵器が二度と使用されないことを保証する唯一の確実な方法は、核兵器を廃絶すること」
そのための「断固たる行動をとること」
「日本と広島市長、長崎市長は、核保有国にこれを求める道義的な権威を持っています」

(この力強いメッセージが、すぐそばで聞いていた麻生総理の耳に届いただろうか・・
 たぶん否だろうナ・・)

そして、児童による合唱「子らのみ魂よ」、高校生による合唱「千羽鶴」と続き、
12時前に閉式。


急いで爆心地公園に駆けつけましたが、やはりもう仲間は移動した後でした。

そこで見たのは、去年と同じ場所に立って歌っていたユウイチ君。



懐かしい「オープンマイク」の文字。
一声かけたかったけど、歌の最中だったので遠慮しました。

ゴメンね。約束破って。
来年またここで逢いましょうって言って別れたのに・・
いま急いでいるの。
来年また来るよ。

と心の中で詫びて、次の署名活動場所の原爆資料館へ向かいました。


階段のところで、いきなり「お願いします」と渡されたのは、1枚の折り紙。
(えーっ。急いでるんですけど・・)という言葉が出せなかったのは、
目の前で一生懸命折っている子どもたちがいたから。

とにかく大急ぎで折って、できた鶴をテープで張り付け、
隣の女の子の完成を見届けてバイバイしました。


急いでると言いつつ、またまた興味惹かれるものに遭遇。


(なんじゃ?この屏風のようなものは?)
と近づいてみると・・・



平和へのメッセージが書かれた小さな板きれ(たぶん蒲鉾板の再利用かな?)を
繋いだ素敵な作品。

どうやって繋いでるのかな?と近づいて見ていたら、
「書きませんか?」とお誘いの声。

「いえ、先を急いでますので。ごめんなさい。素敵ですね!」
と、今度はちゃんとお断りして、駆け出しました。


すぐ前の階段を上ると、もう原爆資料館。

佐世保の仲間のE さんの姿が見えました。
声をかけて、私もさっそく署名活動開始。

たくさんの人が快く署名に応じてくれました。

家族連れも多く、「プルサーマルって何?」と子どもに訊かれたお父さんは困り顔。
「原爆の材料となったプルトニウムという危険なものを発電所で燃やそうという計画なの」
と言うと、「へー、そうですか、それは怖いですね」とご両親はすぐペンを取ってくれました。

若いカップルなども、説明をするとかなり関心を持ってくれ、
パンフレットを渡すと、「ありがとう」の言葉が返ってきます。

この前、佐世保でやった時とは大違いの反応でした。

やはり、原爆の日の今日、原爆資料館を訪れる人々ですから当然なのかもしれませんが。

中には、自分たちもプルサーマルの署名活動をやってるとか、
「この前、六ヶ所村に行ったけどね・・・」と、逆に教えて下さったり。

また、「暑い中をたいへんですね。頑張って!」と言って、1000円もカンパして下さる女性も!
一瞬、女神様に見えました。。


署名活動を終えるとすぐに車で、次なる会場へ。
宮崎在住の菊池洋一さん(元原発建築技術者)のお話を聞く会です。
2時少し前について会場の準備。

予定をかなり過ぎて2時半頃から始まりました。


菊池さんのお話は、専門家であり現場にいた技術者だけが知っている興味深いお話でした。
原子力発電所というものがいかに杜撰な建築物であるか、とても具体的です。
もっと聴きたいのは山々でしたが、友人との約束があったので、こっそり部屋を出ました。

事前に、途中で退室する失礼を詫びておいたのですが、そのとき、
菊池さんは不快感を表すどころか、ご自身の講演録が記された雑誌を差し出し、
「あとで読んでください」とおっしゃって下さいました。
また、菊池さんのブログ「花宇宙 ひとつらなりの生命」のことも教えて下さいました。
感謝!です。


さて、友人Kさんとは「岡まさはる記念長崎平和資料館」で合流。
他に見学者の姿も見当たらず、私たちはそれぞれのペースでのんびり館内を見て回っていると、
途中から車いすの男性と、彼を案内する女性の声が聞こえてきました。

彼女の説明がとてもわかりやすかったので、てっきりここのスタッフかと勘違いし、
耳を傾けているうちに、いつのまにかKさんともども同行させてもらっていました。

ずいぶんたってから互いに自己紹介をしてみると、
なんと、その女性Mさんは、私の佐世保の友人をよく知る人でした。

また、ここのスタッフではないけれど、この資料館の展示や企画にかかわっている人で、
案内できるのは当然だったのです。

そして、車いすの男性Tさんは、NPO法人障害者自立センター「つっかいぼう」の理事で、
社民党障害者議員連絡会事務局長さん。
毎年原爆の日に長崎を訪れ、この資料館を訪れるとのこと。
Kさんも一年おきに長崎に来ているので、いろいろ話が弾みました。

閉館時間までいて、次に向かったのは、山王神社の1本足の鳥居と原爆クスノキ。

その後、早めの夕食を済ませ「万灯流し」を見物。



広島の灯篭流しとは全く違います。
遠くから見ると、まるで長い電車のよう。
整然と並んだ四角い灯りが、静かに流れて行きます。

その万灯を追いかけながら川岸の歩道をずっと歩いて行きましたが、
しばらくすると灯りの帯は川岸に引き揚げられ始めました。
どうやらここが終点のようです。

引き揚げられた万灯は、10人前後の男たちによってその場で解体、
底と側面が分離され、山のように積まれていきました。

灯りを吹き消す前にお願いして、間近で写真を撮らせてもらいました。



恒久平和・・・それは、長崎の願い、世界の願い、
そして、私の願いです。

 

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